“バチカンのクルーニー”は飛ばされた

英国王室では社会からの批判に対して反論してはならない。王室を出ていったヘンリー王子の批判に対しも、チャールズ国王やウィリアム皇太子は面と向かって反論できない。民主的社会ではフェアではないが、英王室の慣習だ。

同じことが、ローマ・カトリック教会最高指導者にして“ペテロの後継者”フランシスコ教皇の立場にもいえる。教会の刷新を目指す教皇に対して、教会内外から批判や中傷が絶えないが、教皇本人は反論したり、論争に加わったりはしない。

“バチカンのジョージ・クルーニー”と呼ばれたゲンスヴァイン大司教とフランシスコ教皇(バチカンニュースから、2020年2月6日)

だからといって、ローマ教皇は自身への批判や中傷に対し、沈黙して甘受するだけか、というとそうではないのだ。時が満ちたならば、宝刀を抜いて言われなき批判や中傷した人物をバッサリと切り捨てる。

フランシスコ教皇はその宝刀を前教皇ベネディクト16世(在位2005年~2013年2月)の元私設秘書ゲオルク・ゲンスヴァイン大司教に対して抜いたのだ。フランシスコ教皇は同大司教をバチカンから追放し、大司教の出身地ドイツに追い払ったのだ。

ゲンスヴァイン大司教(66)は誰?という読者のために少し復習する。

同大司教は“バチカンのジョージ・クルーニー”と呼ばれてきたハンサムな聖職者だ。ドイツのフライブルク大司教区出身で2005年2月以降、前教皇ベネディクト16世の私設秘書として広く知られるようになり、ベネディクトが2013年に生前退位後もその職務を務め、ローマ教皇に新たに選出されたフランシスコ教皇の下でバチカンの教皇宮殿長を一時期務めてきた。ゲンスヴァイン大司教は前・現2人のローマ教皇の秘書として仕えてきた唯一の高位聖職者なのだ。

問題は名誉教皇だったベネディクト16世が昨年亡くなってからだ。ゲンスヴァイン大司教は職務がなくなった。新しい任務を受けるためにフランシスコ教皇の指令を待ってバチカン内で待機していた。そして人事が明らかになったのだ。

バチカンは先月中旬、ゲンスヴァイン大司教が7月に故郷ドイツのフライブルク大司教区に戻ると発表した。ゲンスヴァイン大司教の新任地では「恒久的な固定した任務はない」という。明らかに左遷人事であったことが判明したのだ。

バチカンニュースが17日報じたところによると、大司教区では「ゲンスヴァイン大司教は洗礼や地域の祝祭礼拝など個別の任務を引き受ける。今秋からは名誉教会参事として、フライブルク大聖堂の定期的な礼拝を執り行うことになるだろう」というのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

故郷に戻ったゲンスヴァイン大司教はイタリアの新聞「Corriere della Sera」のジャーナリストに対して、「まだ自分が何をするか見極める必要がある」と語り、「自分は大司教区ではただ邪魔者になっているだけだ」と呟いたという。

同大司教の未来について、バチカンにとって重要ではない南米の教皇庁大使として派遣されるか、教皇庁立大学で教鞭を取るのではないか、といった噂が流れていた。実際は、正式な任務もなく故郷に戻ることになったわけだ。イタリアの上流社会との交流を愛し、テニスが大好きなゲンスヴァイン大司教にとって失望する人事だったことは明らかだ。

フランシスコ教皇によるゲンスヴァイン大司教バッシングが始まったわけだ。その背景をまとめておく。

ゲンスヴァイン大司教は今年1月、フランシスコ教皇とベネディクト16世に仕えてきた聖職者の立場から、両教皇の関係や問題などを暴露した本を出版した。同暴露本「Nothing but the Truth」がフランシスコ教皇を批判していることから、バチカン教皇庁内では「大司教の本の出版は教会の統一を破壊する恐れがある」として、本の出版を阻止すべきだという強硬発言すら聞かれた。

ドイツ人聖職者ゲンスヴァイン大司教の本の狙いは亡くなったベネディクト16世の知られていない顔を読者に伝えるといった穏やかなものではなく、ズバリ、フランシスコ教皇批判に集中していた。

ゲンスヴァイン大司教とフランシスコ教皇との関係を知る必要があるだろう。同大司教はベネディクト16世が2013年に生前退位し、南米出身のフランシスコ教皇が後継の教皇に選出された後、数年間はフランシスコ教皇の秘書の仕事を継続したが、2020年、フランシスコ教皇は自身の秘書を選び、ゲンスヴァイン大司教を解任する形で教皇庁教皇公邸管理部室長の立場を停職させた。大司教の仕事を名誉教皇となったベネディクト16世のお世話係の地位(私設秘書)に限定したわけだ。フランシスコ教皇の人事について、同大司教は本の中で「大きなショックを受けた」と正直に告白している。

本の中ではまた、フランシスコ教皇がラテン語のミサなどを完全に撤回した時、ベネディクト16世はショックを受けたこと、フランシスコ教皇のジェンダー政策に対し、ベネディクト16世が、「社会のジェンダー政策は間違っていると、もっと明確に批判すべきだ」という趣旨の書簡をフランシスコ教皇に送ったが、返答がなかったことなどを暴露し、同大司教は、ベネディクト16世とフランシスコ教皇の関係がメディアで報じられるような兄弟関係ではなく、最初から厳しいものがあったことを示唆し、その責任の多くをフランシスコ教皇に押しやっている。

バチカン関係者によると、フランシスコ教皇はゲンスヴァイン大司教の本の内容を不快に感じたが、それを口に出すことはなかったものの、忘れていたわけではなかった。人事が下されたのだ。フランシスコ教皇はバチカン内でゲンスヴァイン大司教の顔を見なくてもいいように、ドイツに戻した。それも大司教が既にいるドイツのフライブルク大司教区にだ。その結果、ゲンスヴァイン大司教は公式の固定した任務のない大司教、という惨めな立場になったわけだ。

フランシスコ教皇は外見は柔和だが、人事では厳しい。ベネディクト16世がドイツから呼んだ保守派の教理省長官ミュラー枢機卿の任期更新を拒否したり、アルゼンチン出身のビクトル・マヌエル・フェルナンデス大司教をここにきて教理省長官に任命するなど、人事を通じて自身の勢力圏を拡大していった。

コンクラーベで教皇選出権を持つ枢機卿137人のうち、フランシスコ教皇が任命したのは102人だ。残りの35人はベネディクト16世、ないしはヨハネ・パウロ2世(在任1978年~2005年)によって任命された枢機卿だ。同教皇は任期10年間で次期教皇選出会で自身の路線を継承する教皇が選ばれるように布石を打ってきたわけだ。

一方、“バチカンのジョージ・クルーニー”と呼ばれ、2人の教皇に仕えたゲンスヴァイン大司教は、70歳をまだ迎えていないのに定年退職者のような、華やかさのない仕事を与えられたわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年7月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。