人類の「宗教性」は進化を助けた

前日のコラム「『神経神学』信仰はどこから来るか」の続編だ。

人間の頭部内を張り巡る神経系統を検証しても「私」が見つかるとか、「魂」の棲家が発見されるということはないだろう。「見つかる」とすれば、「私」の言動を掴み、機能する神経系統だが、「私」自身ではない、と確信している。換言すれば、頭脳内の神経網を全て解明したとしても「私」という存在は見つからないのではないか。

アントン・ツァイリンガー名誉教授 Wikipediaより

すなわち、人間の頭脳は電波をキャッチするラジオの受信機であり、ラジオは電波を受信しているのであって、発信しているわけではない。だから、頭脳の神経が外傷で傷ついた場合、受信機が壊れたのと同じだから、電波を正確にキャッチできない、といった状況が生まれてくる。

例えば、人間の頭脳にはミラーニューロン(独Spiegelneuronen)という神経系統が存在し、他者の行動を模写するだけではなく、その感情にも反応する機能がある。フローニンゲン大学医学部のクリスチャン・カイザース教授(アムステルダム神経学社会実験研究所所長)は、「頭脳の世界はわれわれが考えているように私的な世界ではなく、他者の言動の世界を映し出す世界だ」という。すなわち、われわれの頭脳は自身の喜怒哀楽だけではなく、他者の喜怒哀楽に反応し、共感するという。その機能を担当しているのがミラーニューロンという神経系統だ。

また、前回のコラムでも紹介したが、ハーバード大学の研究者マイケル・ファーガソン氏は、恐怖反応のホルモンの調節、痛みの制御、人間関係の形成、性的な愛とは無関係の愛に関与しているのは古代の脳幹領域の「中脳水道周囲灰白質(PAG)」ではないかというのだ。

すなわち、頭脳内の無数の神経系統はそれぞれはっきりとした機能、作用を担当している。だから、その神経網に支障が出れば、機能は半減したり、消滅したりしてしまうわけだ。受信機が壊れてしまった「私」はそれゆえに苦悩する。

ファーガソン氏らは、「信じるという人間の宗教性は人類の進化の上で生物学的にもプラスとして働いてきたのではないか」という。経験などを通じて得てきた内容を信じる人間は困難を乗り越える際にそれがプラスとなる。信仰や信念を有する人間はそうではない人より困難を克服しやすい。そして人間には本来、「信じる」という働きを担当する神経系統が頭脳内に張り巡らされているわけだ。

昨年度ノーベル物理学賞受賞者、ウィーン大学のアントン・ツァイリンガー教授(Anton Zeilinger)は7月15日のザルツブルガー・ナハリヒテン紙とのインタビューの中で、「神を信じるのは合理的な考察でも直観でもない。私は常に神を信じてきた」という。同教授は、「科学的正当化の可能性は無限に拡張することはできない。ある時点で、正当化は止まる。哲学的にしか議論できない問題が常に存在する」と指摘し、「新しいアイデアの開発は合理性からは生まれない」と述べている。

量子テレポーテーションの実験で世界的に著名なツァイリンガー氏は、「量子物理学が神と直面する時点に到着することはあり得ない。神は実証できるという意味では自然科学的に発見されることはない。もし自然科学的な方法で神が発見されたとすれば、宗教と信仰の終わりを意味する」と、他のメディアとのインタビューで答えている。

近代史上、最高峰の神学者といわれたベネディクト16世は生涯、「理性と信仰」を課題に、その調和を追求してきたローマ教皇だった。キリスト教の歴史でも信仰が全面に強調された時代から、啓蒙運動、科学の発展で理性が主導的な地位を握ってきた時代を経て今日に入る。そして21世紀に入り、その理性と信仰の調和が求められてきたわけだ。

ツァイリンガー教授は「敬虔な人は将来、神秘家になる」とインタビューの中で語っている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年7月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。