松川るい議員SNS投稿問題から、政治家評価の視点のあり方を考える

自民党の松川るい女性局長が、フランス・パリでの研修中、エッフェル塔前でポーズを取り、撮影し、その写真をSNSに投稿した。そのことが批判を受けている。

「海外視察で遊んでるな」「浮かれてる」「うらやましい」と思ってしまう人も多くいるだろう。中には、「現地で何をしてるのだ」「ふざけてるな」と怒りを感じた人もいるだろう。その気持ちは確かに理解はできる。また、ネット世論を見ていると根強い批判が数多く存在する。研修内容とか、様々な批判にまで発展しているケースもある。

自民党女性部 エッフェル塔の前

ここまでの批判は厳しすぎでは?

しかし、これらの批判はちょっと厳しすぎると思う。研修時の移動・休憩時間みたいな瞬間に、観光地で記念写真を撮ってSNSに載せる行為で、ちょっと浮かれていたかもしれないけど、そんなに問題なのかということだ。そもそも政治家さんの中には、有力支援者との蜜月写真をアップしたり、今回の投稿以上に「問題の多い」投稿は数多く存在する。

大事な点は2つある。

第1に、今回は仕事の移動時間の合間の行動、休憩時間みたいなものである。政治家も人間であり、視察活動のふとした瞬間に写真を撮ることくらいはいいじゃないかと思うのだ。ある意味プライベート感覚だったのかもしれないが、政治家のSNS投稿には、政治家が「家族と誕生日」をアップしたり、お弁当をアップするものだってある。政治家に「24時間期待される振舞いをしろ」と言うのは酷である。

政治家を評価する視点

第2に、政治家としての行動よりも、政治家としての重要度の低い「しょうもない」場面を評価をすることは意味があるのだろうかと思う。

政治家は議員提案、議会やメディアでの発言、質問主意書などでの行動内容で問われるべきだと思う。政策評価書を読み込み、報告書などをチェック、法案を作るための調査、各関係者と調整、利害関係者以外の国民への説明、様々な政策提案、問題提起、見解の表明などの「普段の活動」と「そのレベル・内容・質」でしっかり仕事をしてもらい、我々国民のために努力しているかが大事である。

僕ら国民は得てして自分の価値観などで「判断」してしまう。「なにやっとんねん!」「あほか!」「何調子に乗ってんねん」と写真に突っ込んでしまう人も多いだろう。

しかし、よく冷静に考えてみたいもの。その政治家の何を知っているのか? 1つのちょっとした行為で全人格を断罪するのはかわいそうじゃないか? フェアではないのではないか? と考えてみていきたいものだ。

プライベートに近い場面でのちょっとした行為のミスをつつくのもいいが、広い視点で政治家たちをチェックしていきたいもの。それが「賢い有権者」であろう。

野党の立憲民主党の岡田幹事長は「写真を見ると、何をしに行ったのか、国民から疑問を持たれて仕方ないようなものもある」と批判し、国民民主党の玉木党首は「エッフェル塔で写真を撮り、アップするのは、政治家としてのセンスの問題」などと批判をしている。

僕が野党の人間ならこう答える「松川議員にも色々事情があったので本人から話を聞かないとわからない。久々の海外で友達と一緒で浮かれてしまったのだろうが、誰だって自分の憧れの場所にいったらそうなるもの。それより大切なのは日本のジェンダー・ギャップ指数が116位と低いことについての見解。帰国後、15位のフランスの政策から何を学んできたのか、どのように政策に反映させていくのか、工夫するのか、SNSの活用方法を聞いてみたい」と。

「しょうもない」場面の「しょうもない」批判を言いあっても意味がない。大事なのは、振舞いよりも仕事の中身なのだ

政治家をチェックする視点を変えよう

僕たちが政治家をチェックすべきは仕事の中身であり、その質であるべきではないだろうか。政治家の目立つ言動、話題になったごく一瞬の行為で政治家を評価してしまい、「この人はこういう人」というラベリング・レッテル貼りをしてしまうと、政治的な成果は出さないが巧みな言葉で自己アピールしたりする中身のない政治家、風見鶏のように空気を読み出世や地位ばかりを狙う政治家をのさばらせてしまう可能性がある。

代議士は主権者である国民の代理人であるにも関わらず、利害関係者への利益誘導にしか熱心に行動しないとか、国民から広く聞こうともせず偉ぶった態度を示したりとか、話を聞いた振りをして対話すらする気がないとか、いち国民からメールを受けても返事すらしないとか、そんな政治家の方がよっぽど問題であろう(実際のところ、たくさん存在する)。