同性愛者として生きるということ 英国のスポーツ界、教育、教会、家庭

前回、元BPの経営トップ、ジョン・ブラウン氏が書いた「ガラスのクローゼット」(2014年)を紹介した。

今回は、さまざまな職場や家庭における、同性愛者とカミングアウトの周辺状況に注目したい。

スポーツ界では

先の「ガラスのクローゼット」は、同性愛者であることを特に表に出しにくい業界の1つとして、スポーツ界を挙げている。

「ガラスのクローゼット(TheGlassCloset)」の表紙(筆者撮影)

英国では2010年の平等法の下、企業や公的サービスが性的指向によって人を差別することを禁じている。しかし、守ってくれるはずの法律があっても「隠れた」(「クローゼットに入っている」)状態を選択する人がプロ・スポーツ界では非常に多い。

これは、同性愛や同性愛者に対する恐怖感や嫌悪感、つまり「ホモフォビア」に基づいた、ファンからの抵抗・批判・冷やかしや、スポンサーが支援を取りやめるなどの事態を恐れるからだ。同僚や組織の経営陣からの抵抗や冷遇される可能性もある。

英国のプロサッカー選手で同性愛者であることを1990年に公表したのが、ジャスティン・ファシャヌーだった。いくつかのチームでプレイしたが、公表後は同性愛者であることでファンからの暴言の的になった。

1998年、米メリーランド州滞在中に10代の少年がファシャヌーから性的攻撃を受けたと警察に通報。英国に逃れたファシャヌーはロンドンで首吊り自殺した。遺書には、少年とは合意を得ての性行為であったこと、自分が同性愛者であるために米国では公正な裁判が行われないだろうと書かれていた。

ドイツの元サッカー選手トーマス・ヒッツルスペルガーは、2013年、31歳で現役を引退し、同性愛者であることを2014年1月に公表した。英プレミア・リーグで戦った経験を持つ選手の中では最初に告白した人物となった。「なんら恥じることではない」という姿勢を通しているが、現役時代には公表できなかったという事実が、同性愛者への偏見・圧力が相当であったことを想像させる。

独ブンデスリーガのサッカー選手フィリップ・ラームは、「同性愛者の選手を普通であるとみなすまでになっていない」と発言している(2012年1月17日、AP通信記事)。

その後、一人また一人とカミングアウトが続いている。

2021年、オーストラリアのプロサッカー選手ジョシュ・カヴァロが、SNS上で同性愛者であることを公表。

2022年には英サッカークラブ、ブラックプールに所属するジェイク・ダニエルズ選手がチームを通じて声明を発表し、同性愛者であることを明らかにした。当時17歳のダニエルズ氏はプロデビューしたばかりだ。

学校現場と同性愛者

学校教育の現場の状況はどうだろう?学校の先生が同性愛者であった場合、子供たちには本当のことを話すべきだろうか?

ガーディアン紙(2015年6月16日付)に、カミングアウトした結果、勤務先の学校を転々としたリンジー・スキナー先生の体験談がつづられている。先生は、イングランド地方南西部ブリッジウオーター・カレッジ・アカデミー(中等学校)の副校長を務めるようになった。

教師生活の中で、自分の性的指向を少しずつ公にするようになったという。ある時、突然生徒に「レズビアンですか?」と聞かれ、ちゅうちょしながらも正直に答えた。自分の性的指向を巡って生徒同士が喧嘩となり、悲しい思いをしたこともあった。

生徒たちはおおむね「どちらでもかまわない」という態度で受け入れてくれたが、ある学校では管理職の教師から「レズビアンらしくなく振る舞って欲しい」と注意を受けた。ブロンドの髪を長く伸ばし、スカート姿が多いスキナー先生はこの言葉に戸惑った。一体どう振る舞ったらいいのか。「自分自身を否定されている」と感じ、転校した。

「自分は『レズの先生』ではなく、『先生だが、たまたまレズだった』」と感じている」。自分の知り合いの教師の中で同性愛者であるとカミングアウトした人は一人もいないそうだ。

スキナー先生は、自分が学校にいることで、同性愛あるいは、トランスジェンダーの子供たちに「性的指向が違っていてもいいんだ」ということを示せるのではないか、と信じているという。

「LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスセクシュアル=性的少数者)の生徒の90%が性的指向のためにいじめを受け、40%が自傷行為に及んでいる」、「異なる性的指向を持つことが汚名とならない状態を実現させたい」。

教会では

同性愛者にとって最も壁が高い世界の1つは、宗教組織かもしれない。

同性カップルに婚姻に準じる地位を与える「シビル・パートナーシップ制度」が英国で施行されたのは2005年だった。現在までに同性婚が合法化されている。

ただし、英国国教会やウェールズ聖公会はこれまでの伝統や教義上、結婚を男性一人と女性一人との結びつきとしているために特別措置が認められた。両組織は同性婚を執り行うことができないとされ、同性カップルの結婚を教会で祝福するかどうかについて逡巡する必要がなくなった。

結婚という形でのカップルの関係を社会的に認知してもらうことを望む同性愛者と、伝統的に同性婚を認めてこなかった英国国教会やウェールズ聖公会のどちらもが受け入れ可能な法律体制となったわけだが、教会の聖職者で同性愛者であった場合、何らかのあつれきが生まれてもおかしくなかった。

板ばさみになったのが、イングランド地方北東部リンカンシャー州の国教会牧師ジェレミー・ペンバートン氏だ。

BBCなどの報道によると、ペンバートン氏は2014年4月、男性パートナーと民事婚(シビル・マリッジ=教会以外の場所での結婚)をした。国教会の中では同性婚をした初めての聖職者である。

イングランド地方北部ノッティングガムシャー州のある病院での職を見つけたペンバートン氏は、自分が所属する教区の管理者となるローレンス・カニンガム司教から勤務許可を得る必要があった。ところが、司教は問い合わせをした病院に対し、ペンバートン氏に勤務許可を与えることを断った。病院側は職の提供を引っ込めてしまった。求人者が働く組織の中で「信用されている人物」とは判断できなくなったためだ。

ペンバートン氏は、カニンガム司教の判断を「差別」とし、判断撤回を求める裁判を起こした。

裁判の初日、ペンバートン氏は「勤務許可の拒否はよっぽどのことがない限り、発動されないものだ」とその衝撃を語りながら、涙する場面もあった。

国教会の広報担当者は以下のような説明をしている。「国教会にはホモフォビアはない。シビル・パートナーシップの関係にある聖職者を支援している」が、聖職者には「国教会の教えに従い、ロール・モデルとなる役割がある」。

ペンバートン氏は敗訴し、その後控訴院に上告したが、2018年、ここでも訴えを棄却された。

親に同性愛者だと告げられたら?

家族の一人が同性愛者であることをカミングアウトしたら、残りの家族はどんな反応し、どうやって生きていくのだろう?

サンデー・テレグラフ紙の付録の雑誌「ステラ」(2015年6月14日号)に、「父が『自分は同性愛者だ』と言った日」という見出しの記事が掲載されていた。親からの告白を受けた3人の女性と自分が親の側だった場合の体験談がつづられている。4人とも、実名での登場だ。(以下、2015年時点での年齢・年数です。)

21歳のリディア・ドイルさんが父親に同性愛者であることを告げられたのは7歳のときだ。兄は10歳だった。「もちろん、同性愛者が何かって知っているわよ」と強がりで返答したものの、実はその意味を分かっていなかった。

父は家を出て、何年か後にはボーイフレンドと一緒に暮らすようになった。兄は数年にわたり、父と話すことを拒絶した。

告白から14年。母はまだ新しいパートナーを見つけていないという。リディアさんは週に2回は父と電話で話し、携帯メールも毎日のように交換している。「父を愛している」。でも、「人を信用しないようになった」ともいう。

29歳のイブ・クラークさんは17年前に、父の告白を聞いた。その前から両親の間に隙間風が吹いていたことをイブさんと兄は知っており、告白を受けて「知っていたよ」と答えたという。

父は母と別れてから、今のパートナーと出会った。母も別の男性と知り合い、結婚した。現在は父の新しい家族と母と新しい夫とともに、大家族が一緒に休暇に出かけることもある。「とてもいい感じだと思う」。

43歳のシェリー・クラークさん(先の例のクラークさんと関連はない)の場合、両親が26年前に別れた経験を持つ。17歳だったシェリーさんは、両親から別離の話を聞いた。翌年、母が「新しいパートナーを見つけた。相手は女性」と言われた。「こんなこと、誰にも言えない」と思ったという。母がもう自分の母とは思えなくなり、罰を加えたくなった。毎晩のように、家に遅く帰った。母の顔を見たくなかったからだ。

シェリーさんの変化に気づいた先生が様子を聞いた。事情を伝えると、「世界にはレズビアンの人もいる。お母さんは誰かを見つけることができて、幸せなんだよ」。この言葉を聞いて、少しは気が楽になった。

大学に入って、友人の中に同性愛者がいた。成長するにつれて、次第に母に対する怒りが解けていった。結婚して、妊娠した時、母親と連絡を取りたくなった。子供をつれて母を訪れ、二人で泣きあった。いつしか、母を許していた。

最後は75歳のセーラ・メイソンさんの体験だ。40年前に夫と子供の元から離れた。今は2つ年下の女性と暮らす。

19歳で夫と結婚し、2人の子供をもうけたが、ある女性と出会い、自分の生活を見直すようになった。34歳で自分はレズビアンだと確信するようになり、さまざまなイベントで勉強を重ねた。夫に告げて、家を出たいといったが、最初は真剣に扱ってもらえなかった。

ロンドン市内にアパートを借り、一人暮らしを始めた。夫が子供たちに事情を説明したが、家に戻ると、自分だけで子供たちに会うことはできないようになっていた。そのうちに、娘がもう会いたくないと言い出した。子供たちにはその後、30年間、会えないままとなった。

鬱病状態になり、カウンセリングを受けているセーラさんが今後いつ子供たちに会えるかは分からない。カウンセラーは「現状を受け入れること」とアドバイスした。

(ウェブサイト「論座」が7月末で閉鎖されることになり、筆者の寄稿記事を補足の上、転載しています。)


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2023年8月2日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。