聖母マリアはなぜ頻繁に出現するか

世界各地で聖母マリアが出現している。ポルトガルの小村ファティマ(1917年)やフランス南部のルルド(1858年)は聖母マリアの再臨地として良く知られている。世界から毎年、多くの巡礼者が訪ねてくる。そのほか、ボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエ(1981年)、そして象牙海岸のアビジャン近くのアウドワンで涙を流す聖母マリアの像などが挙げられる。

ポルトガルのファティマの聖母マリア再臨地で祈るフランシスコ教皇(2023年8月、バチカンニュース公式サイトから)

例えば、ファテイマでは聖母マリアは3人の羊飼いの子供たちに3つの予言をし、核戦争を含む世界の未来について予言していたとしてメディアでも一時大きな反響があった。聖母マリアが出現したルルドはその泉の水を飲むことで病が癒されることで有名だ。メジュゴリエでは聖母マリアの出現の真偽で久しくバチカンと現地の教会の間で見解が分かれている。

ローマ・カトリック教会の総本山、バチカン教皇庁の教皇アカデミー「Pontificia Academia Mariana Internationalis」(PAMI)は今年4月13日、「世界各地で報告される聖母マリアの再臨、それに関連した神秘的な現象の信憑性を調査する監視委員会を設置する」と発表した。聖母マリアの出現、啓示、聖痕などのさまざまな事例を分析し、その出現の真偽、意味などを解明するためだ。世界各地で聖母マリアが出現するが、その真偽で疑問が提示され、バチカンからは聖母マリアの再臨地として公認されるのを待っているケースが多いからだ。バチカン側は基本的に聖母マリアの出現を含む奇跡については慎重なアプローチを取り、個々のケースの検証に多くの時間をかける。

PAMIのチェッチン神父は実際、「聖母マリアの再臨などで語られるメッセージが混乱を引き起こし、恐ろしい終末論的なシナリオを広めたり、教会批判を拡散することも増えてきた。世界のさまざまな地域で報告されている亡霊や神秘的な現象を正しく評価および研究するために、国内外の委員会を活性化する必要がある」と特別監視委員会の設置の意味を説明している。

バチカンニュースは今月17日、「聖母マリアの出現は本当か、嘘か」というセンセーショナルな見出しで大きく報道していた。神学者でマリア学者のマリアニスト・ジャン・ルイ・バレ修道士は、「これらの現象は一般的に私的啓示と呼ばれるものに該当する。そして、啓示と言うと、神の秘密を指すものであり、神の言葉と秘跡を通じて自己を明らかにしている。したがって、神の言葉に私たちを結びつける強い経験をする人々がおり、この経験を調査し、必要に応じて認める必要が出てくる。なぜなら、これらの経験が教会の牧会に影響を及ぼす可能性があるからだ」という。

興味深い点は、世界各地の聖母マリアの出現では、その啓示、預言の受け手が多くの場合、枢機卿や司教といった教会の高位聖職者ではなく、小さな村の羊飼いの子供や教養のない貧しい人々だということだ。それゆえに、バチカンや教会側が聖母マリアの出現といった現象に対して迅速にその真偽を決定できない理由となっている。ルルドやファティマでは子供たち、グアダルーペ(メキシコ)では素朴なインディオが聖母マリアの出現を目撃した証人だった。

カトリック教会では「神の啓示」は使徒時代で終わり、それ以降の啓示や予言は「個人的啓示」とし、その個人的啓示を信じるかどうかはあくまでも信者個人の問題と受け取られてきた。イタリア中部の港町で聖母マリア像から血の涙が流れたり、同国南部のサレルノ市でカプチン会の修道増、故ピオ神父を描いた像から同じように血の涙が流れるという現象が起きている。スロバキアのリトマノハーでも聖母マリアが2人の少女に現れ、数多くの啓示を行っている、といった具合だ。

ジャン・ルイ・バレ修道士は、「教会はエルキュール・ポワロ(アガサ・クリスティ作の推理小説に登場する架空の名探偵)にも匹敵するような厳密な調査を行っている。真実の証拠は、人々が神の言葉を読み、教会と共に共同体を築き、秘跡を受けるように促すことだ」と強調する一方、「実際のところ、事態はしばしば異なる。教会の指導者が懐疑的な立場を取るのは、教会の民の中で不安が伴う現象や、教会の権威に対する騒動、極端な意見対立と関連していることがあるからだ」と説明する。

同修道士によると、「真正なマリアの出現はすべて同じ方向にある。マリアの使命は、私たちをイエスの帰還に準備させることだ。そこには完全なエスカトロジー(終末論)の側面がある。歴史には意味があり、マリアは私たちの心をイエスの栄光の帰還への希望に向ける手助けをする」と述べている。

同修道士は、聖母マリアは教会の改革者ではなく、イエスの権威を称える証人という立場からその出現を解釈している。当方は聖母マリアの出現では同修道士とは少し異なった見方だ。「マリアの使命」という視点には同意するが、マリアには昇天後ではなく、生前にイエスの母親としての使命があったはずだからだ。

なぜ聖母マリアは昇天後も度々出現し、多くは涙を流している姿が目撃されるのか。地上のキリスト者の信仰の欠如を嘆き、涙しているという風に一般には解釈されているが、当方はマリア自身が生前の歩みで涙を流さざるを得ない事情があったのではないか、と考えている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年8月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。