人々が殺到する「島」と「村」の悩み

オーストリア国営放送(ORF)のプレミアタイムの夜のニュース番組(Zeit im Bild)を観ていた。カメラは世界遺産に登録されているオーストリア中部オーバーエースターライヒ州の小規模な基礎自治体、小村ハルシュタット(Hallstatt)の風景を映していた。さらに村の住民らがプラカードを持ってデモをしている様子をテレビカメラが追っていた。プラカードには「旅行者はもうごめんだ」、「我々に安息を与えてほしい」といった内容が記されている。そのプラカードを持つ住民の周辺を旅行者らしい人々が通り過ぎる。

オーストリアのハルシュタット湖畔の風景(2015年11月5日、撮影)

ORF記者が住民に聞いている。彼らは異口同音に「昔は村は静かだったが、今は観光客で溢れ、騒音が一日中うるさい」という。ハルシュタットの村長は、「州政治家に掛け合って何とか対策をしてほしいと要請しているが、これまで何も実行されていない。ハルシュタットは旅行者のために存在しても、もはや私たち住民のためにではない」と嘆く。その口調には深刻さが伝わってくる。旅行者の訪問を制限してほしいというわけだ。世界遺産に指定された歴史的な観光地で「旅行者よ、来ないでくれ」という叫びが飛び出すところなどはないだろう。

住民たちもORF記者も口にこそしなかったが、中国旅行者の殺到以来、世界遺産のハルシュタット湖などの美観が損なわれ出したといわれて既に久しい。中国人はオーストリアの湖畔の風景に魅了され、中国の企業が2012年6月、ハルシュタット湖畔の家並み、ホテル、教会、広場ばかりではなく、街の色彩までそのまま完全コピーし、中国で高級分譲地を建設し、販売を始めたことで話題になったことがあるほどだ(「オリジナルとコピーの“文化闘争”」2015年11月7日参考)。

中国旅行者がハルシュタット湖の美しさを発見する前は、湖とその周辺は静かだったが、中国旅行者が殺到して以来、約900人の住民が住むコミュニティはチャイナ・ヴィレッジ(中国村)となったわけだ。ハルシュタットの住民は観光バスで降りてくる旅行者の圧倒的な数の前に少数住民のような思いを感じているわけだ。

当方もハルシュタットを訪問したことがあるが、40年前の当時はアジア系団体旅行者の姿はほとんど見られなかったことを思い出しながら、ハルシュタットの住民の苦悩に同情した。

北アフリカから地中海を渡って欧州に向かう難民たち(「国境なき医師団」=MSF公式サイトから)

ORFのニュース画面はイタリア最南端の島ランペドゥーザ沖に不法移民が乗っているゴムボートと救助の船に移った。アナウンサーは「連日、多数の難民たちが島に殺到し、島の難民収容所は既にどこもパンク状況です」という。シチリア島南方にある同島の住民数は約5500人だ。イタリア通信(ANSA)によると、27日だけで4267人の難民が新たに収容された。ちなみに、ローマの内務省によると、イタリアで登録された今年の難民総数は10万7530人で、昨年同期の5万2954人を大きく上回っている。

欧州連合(EU)は先月16日、チュニジアの首都チュニスで、北アフリカから地中海を経由して欧州に殺到する不法難民、移民問題、密航業者対策で協力を強化する一方、経済不況下にあるチュニジアに対し、EU委員会は最大9億ユーロの財政支援を実施することなどが明記された覚書に署名したことで、北アフリカからの移民・難民が減少するものと期待しているが、現実は何も変わらないのだ。実際、イタリア・ランペドゥーザ島沖で今月に入っても移民を乗せた船2隻が転覆する事故が起きたばかりだ。

ランペドゥーザ島沖といえば、2013年10月3日、難民545人がボートに乗り、波の荒い秋の海をリビアのミスラタ海岸からスタートし、約140キロ先のランベドゥーザ島を目指したが、途中乗った船が火災を起こし沈没し、360人が犠牲となったでき事を思い出す。マルタのジョセフ・ムスカット首相(当時)は同月12日、イギリスのBBCとのインタビューの中で、「EUは空言を弄するだけだ。どれだけの難民がこれからも死ななければならないか。このままの状況では地中海は墓場になってしまう」と嘆いた(「地中海が墓場になる!」2013年10月17日参考)。

偶然かもしれないが、27日夜のニュース番組では、ハルシュタットでは「観光客」、ランベドゥーザ島では「難民・移民」の殺到風景が映しだされていた。約900人のハルシュタットの住民も、約5500人のランベドゥーザ島民も外の世界から彼らの数を凌ぐ人々(観光客、移民・難民)を迎え、その対応で苦悩せざるを得ないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年8月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。