78回目の終戦記念日、「朝生」で若い世代と考えた「戦争と平和」

田原総一朗です。

8月15日は78回目の終戦記念日だった。11歳だった僕は軍国少年だったので、日本が負けたことが悔しく、信じられず、涙が止まらなかった。泣きつかれた頃には、すっかり夜だった。窓から外を見て、僕はびっくりした。

街が明るいのだ。前夜までは、灯火管制のため街は暗かったが、その必要はもうない。「ああ、戦争が終わったんだ」という、開放感がやっと僕の心にやってきた。この時見た、街の灯の美しさは、忘れられるものではない。

2学期が始まると、「この戦争は聖戦だ。お前たちも国のために死ぬんだ」と言っていた教師たちが豹変した。「一部の悪い指導者たちが始めた、悪い戦争、間違いだった」と言うのだ。戦争に負けた途端に、言っていることが180度変わる。「大人たちは信用できない」と思った。これは、僕のジャーナリストとしての原点だ。

統計によれば、日本の総人口の約9割が、戦後生まれとなった。戦争の記憶がある僕たちが、若い世代にどう伝えるのか。とても重い使命だと思っている。

当時首相だった田中角栄さんが、こう話してくれたのを、今でもよく覚えている。「政治家が戦争を知っている世代の間は、絶対に日本は戦争をしない」。ということは、「戦争を知らない世代」が、政治指導者になってからが重要なのだ。

ある意味、「戦争を知らない世代」が増えるのは、それだけ長く平和が続いた証明であり、喜ぶべきことだ。しかし、「知らない」ことが、怖いもの知らずにつながってしまってはいけない。大事なのは、僕たちが、何度でも、しつこいと言われようと、必死で戦争の悲惨さを伝えることだと思う。

8月19日放送の「朝まで生テレビ!」では、「終戦念日と今の私」と題して、戦争と平和について、徹底討論した。8人のパネリストのうち、戦争を知る世代は、作家の下重暁子さん、元防衛大臣の森本敏さん。そして僕の3人。

20、30代は3人の方々だ。作家の古市憲寿さんは、「コロナ禍の3年間、人々はこんなに簡単に同調圧力に屈する、一方向に流れるんだということが、ショックだった」と話す。古市さんの危惧は、戦時中の空気を知っている僕としても、よくわかった。

社会起業家の石山アンジュさんは、「もはや戦争は過去のものではない、と感じる年だった。『若い世代は戦争を知らない』とメディアは報じるけれど、ネットでつながっている世代だからこそ、ウクライナの戦争は身近に感じる」と言う。

被爆三世であり、核廃絶のため活動する中村涼香さんは、「歴史を学ぶ意義は、過去に何が起きたかを教訓として、同じ失敗を繰り返さないこと」と語った。

昨年12月、政府は、防衛費43兆円という、大幅な増額を閣議決定したことも、「朝生」で議論した。ウクライナ戦争、台湾有事への備えなど、世界の情勢が緊迫しているのはわかる。

しかし、国民に丁寧にそうした状況を説明もせず、国会を開くのではなく、なぜ「閣議決定」なのか。こうした政府の態度が、政治と国民との分断を生むのではないか、という意見が出た。まったく同感だ。

視聴者の皆さんに、「日本の平和は続くと思う?思わない?」という質問を投げかけると、印象的な答えをたくさんいただいた。その一つが、「平和とは『続く』か『続かない』かではなく、続けなければいけない」というご意見。まさにその通りである。

また、「もし日本が戦争をしたり、巻き込まれたりするなら、それはどんな事態か、どうやったらそれを回避できるか、必死で考えれば平和は続けられる」という意見も強く心に残った。折しも、番組が終わる頃、キャンプデービッドでの、日米韓3首脳の記者会見が始まった。

森本敏さんによれば、この首脳会談は、「ターニングポイント」だという。「ウクライナ戦争の出口が見えず、アメリカだけではやっていけない。日米韓の連携を一層強化して、北東アジアの安全保障の枠組みを作るために、どうしたらいいか、というのが今回の会談の狙い。日本の役割の度合いは、質量ともに大きくなる」と解説してくれた。

つまりは、日本が戦争に参加する、その可能性も非常に高くなるということだ。日本の岸田首相、そして政治家たちに、先ほどの視聴者のご意見を伝えたい。「もし日本が戦争に巻き込まれるなら、それはどんな事態か、どうやったらそれを回避できるか、必死で考えれば平和は続けられる」。


編集部より:この記事は「田原総一朗 公式ブログ」2023年8月25日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。