筆者は長年異文化の外国に住んでいることから、商用で折々帰国していた時に違和感を感じたことがある。それは日本にずっと住んでいると感じないことかもしれない。その一部を今思い出しながら言及することにしたい。
これは日本の教育というものが知識の詰め込みが中心になっているからで、人の精神面を育てることが疎かになっていることの表れだと思う。
兎に角、親切と感謝の心が欠ける日本
筆者は日本でタクシーに乗るのが苦痛で、できるだけ乗らないようにしていた。理由は、筆者がいつも持っている重い荷物をタクシーのトランクに入れるのに、乗客である筆者がそれを積まなければならないからである。
そして荷物を出すのも筆者の仕事。それは本末転倒。乗客へのサービスとして運転手がやるべき仕事のはず。ところが、運転手は筆者がそれを積むのを傍観しているだけ。そして、料金を払った時だけ「ありがとうございます」とマニュアルとしてそれを言うだけ。そこには本当の感謝の気持ちなど籠っていないのはすぐにわかる。
このような不親切を繰り返し経験するのが嫌で、筆者はできるだけタクシーには乗らないことにしていた。
一方、地方に行くと運転手が比較的親切にそれを積んでくれていた。東京や大阪でそれを期待すれば失望が待っているだけであった。ある時、都内でとても親切な運転手がいた。荷物をちゃんとトランクに積んでくれた。非常に親切だったので、珍しい運転手さんだと言ってその親切に感謝した。彼は北海道の旭川でタクシーの運転手をしていたが、飯が食えなくて東京だと十分に稼げるだろうと思って上京したという。ところがバブルが崩壊したあとで、期待していたほど稼げなくなっているそうだ。
福岡空港のタクシー乗り場で率先して私の荷物を積んでくれた運転手がいた。それに筆者は感謝した。その運転手が一つ経験談を語ってくれた。同じ場所で前に並んでいたタクシーが荷物をもっていた老婆の乗車を拒否。その次に待っていたのが筆者が乗ったタクシー。彼は親切に老婆の荷物を積んであげた。その姿勢に老婆は感謝して、本来は博多駅まで行く予定であったのを「熊本まで行ってください」と言ったそうだ。それで彼は乗車拒否したタクシーにつかつかと近づいて「これから熊本まで行って来る」と言ってやったそうだ。
広島の駅前のデパートの書店売り場に隣接して喫茶があった。そこで買いたい本も読めることになっていた。ところが、お客が入る度にカウンターにいる人が「こんにちは」と元気ある声で言う。料金を払う人が出ていくたびにまた元気な声で「ありがとうございました」という。静かに本を読める雰囲気を壊している。それに気が付かないのがカウンターにいる当人。これも気持ちの籠っていないマニュアルの典型のひとつだ。
JR水戸駅を出たところに書店があった。そこでもレジにいる人がお客が出て行く度に「ありがとうございした」と店全体に聞こえる声で言っていた。これも静かに読みたい本を探している人には迷惑だと思った。
JR上野駅の階段で老婆が荷物を持って登っていた。大勢の人が彼女の傍を通り過ぎて行くのだが、誰も手助けしようとしない。私も荷物持っていたので、まず私の荷物を先に上にあげてからすぐにその老婆の荷物を持ってあげた。
JR新宿駅で一人の盲人が改札口を探していた。あの大勢の人が彼の前後を通り過ぎて行くのであるが、誰も手助けしようとしない。このような現象は日本でしか起きないであろう。みんな忙しくで心に余裕がないのであろう。そこで私が彼に近づいて改札口のところまで案内してあげた。
私に同行していた人がデパートで売り場を尋ねて教えてもらった後、感謝の言葉を一つも言うことなく私をその後も案内してくれた。しかし、私はそこでその人の隠された人間性を見る思いがした。
エレベータに入って来た人の中に乳母車に赤ん坊を乗せた主婦がいた。目的の階に到着した時に誰もその彼女が先に出ることを優先することなくさっさと出て行った。彼女が一人残されればOpen ボタンを押して、すぐに出なければならなくなる。結局、私が最後に残って彼女と乳母車が先に出るようにしてあげた。勿論、その行為に彼女から感謝された。
ある小売店を訪問した時に応対してくれたのは買う決定権の無い店員だけ。それではいくら商品説明をしても私にとって時間の無駄。態々1万キロを飛んで来たのにそれだけの応対であるのは関心のない証拠。であれば、最初から興味なしと言ってくれる方が親切というもの。他の店を訪問できたであろうから。
これに似たことは私の同業者のスペイン人からも聞いたことがある。売り込みの商品に関心がないのであれば最初から「興味なし」と回答しておくべきだ。それを遠路はるばるスペインから来てくれたのであるからアテンドするのが礼儀だと思っているようだ。逆にそれは売り手にとっては迷惑な話。それだけ無駄な時間を過ごさせてしまうことになるのであるから。
筆者の顧客であったある大手企業で1級建築士のひとりがカタログ作りを担当していたことに筆者は驚いた。そのような人事をする人事課の人の能力を疑いたくなった。
日本では部下が上司を恐れているような感じを受ける場面が双方の言葉のやり取りから感じる場面がよくあった。部下はやっていることに自信がないのであろうか。
路上で僧侶が托鉢をしていると、お布施をあげる人はほんの一握り。しかも、その姿を無視して通り過ぎる人が多すぎる。もっと宗教心を養うべきだと思う。今の日本の人たちは物質主義になり過ぎている。だから人間性という面での成長がないのである。
駅で列車が出発する前までに目的地までの駅名など車内アナウンスが繰返し流される。あれはもう雑音でしかない。乗客にとっては迷惑だ。それもマニュアルなのであろう
以上が今思い出した内容を書いた次第である。
読者の皆さんは「世界人助け指数」というのがあるのはご存知であろか。2022年は119ヶ国が対象になっているが、日本が何番目に位置しているかご存知であろか。昨年の日本は118番目に位置している国なのである。