京アニ火災から4年:日本の防火体制は何も変わっていない

牧 功三

規制至上主義から何も変わっていない

36人が死亡、32人が重軽傷を負った京都アニメーション放火殺人事件から4年が経ち、奇跡的に一命をとりとめた青葉真司被告の裁判が9月5日に京都地裁で始まった。

犯人がこの凶行に至った動機や不幸にも被害に遭われた方々やそのご家族に注目が集まる一方、こういった犯罪から命をどう守るかという防火安全についてはあまり話題になっていない。

炎上する京都アニメーション本社
NHKより

この恐ろしい犯罪からもう4年も経ったのだが日本の防火体制は実は何も変わっていない。変わったことと言えば、ガソリン販売の規制が強化され、ガソリンを販売するため容器に詰め替えるときに顧客の本人確認、使用目的の確認及び販売記録の作成が行われるようになったくらいであるが、この規制強化後の2021年12月に大阪のクリニックでこの事件を真似たと思われる放火殺人事件が発生している。

日本では「防火イコール法規制を守ること」となっていて、建築基準法および消防法の法規制をギリギリでクリアすればそれ以上余計なことをする必要はないという考え方が一般的である。事件後に京都市消防局が「現場は十分な防火対策」と発表したとの報道があったが、これは誤解を招く表現であり「法的に問題はなかった」とするべきであった。

本来法規制は、人命へのリスクの観点から社会としてこれ以下は許容できないから絶対に守ってくださいという最低限度の要求であるべきである。現実には法規制が建物の実態に合わなかったり、不十分であったり、そもそも非科学的で間違っていることもあり得る。

重要なのはセキュリティー強化、避難経路の確保とスプリンクラー

筆者がアフリカのある国で仕事をした際に、日本では多くの建物で敷地を囲うフェンスがなく、誰でも敷地内に自由に入れると言ったところ大変驚かれたことがある。

残念ながら日本でも、こうした犯罪が増えるにつれて建物のセキュリティーを強化せざるを得なくなるのではないか。警備員を配置し防犯カメラを設置することによって不審者が建物内に入ることを未然に防ぎ、入口で手荷物検査を実施して可燃性危険物等を建物内に持ち込ませないことである。

また避難経路の確保も重要である。この火災では屋上へ出るための扉の鍵を開けることができず多くの方が屋上へつながる階段で亡くなってしまった。アメリカでは避難経路上に存在する扉にはパニックドアと呼ばれる非常時に火災報知設備等の信号で開錠され避難方向に押すことで開く扉がよく使われている(図を参照)。

図 パニックドア

また避難経路は2つ以上あることが望ましく、建物のどこで火災が発生しても逃げる経路を予めシュミレーションしておくことであり、避難経路に荷物等が置かれて塞がれることがないように注意するべきである。

もう1つ重要なことはスプリンクラーの設置である。NFPA(全米防火協会)の統計(2015~2019)によると、スプリンクラーによって火災1,000件あたりの死者数を6.7人から0.7人と約1/10に減らしたとしている。

火災初期の爆発で配管が破壊される等の特殊な例を除いてスプリンクラーはほとんどの火災において有効である。「ガソリン火災」にスプリンクラーは不適と指摘される方もいるようであるが、少量のガソリンを使用した放火に対してもスプリンクラーは有効である。スプリンクラーからの散水によって着火場所の周囲の可燃物や天井を濡らして燃えにくくすることにより火災の制御が可能である。

この火災はガソリン火災ではない

この火災を「ガソリン火災」として何か特殊な対策が必要だと思われる方もいるようであるが、犯人が持ち込んだガソリンは10~15リットル程度であり着火に使われただけである。ガソリンは大容量の貯蔵タンクから継続的に供給されたわけではない。ガソリンは揮発性が非常に高く、この程度の量のガソリンは着火後の数秒~数十秒で燃え尽きたと思われる。

ガソリンが火災初期に燃え尽きた後に燃えたのは、建物内に存在していたオフィス家具、書類、内装等の一般可燃物である。よってこの火災は一般の火災であり「ガソリン火災」ではない。

ちなみに日本の消防法でガソリンが危険物として規制対象となる量は40リットル(市町村条例では8リットル)であり、それ以下の量であれば規制対象外である。

アメリカでもガソリン等の可燃性の液体や、ガスを使用した放火は大きな被害をもたらしている。NFPAが出している放火に関する統計(2014~2018)によると、アメリカでは年平均で52,260件の放火が発生しており、400人の死者および950人の負傷者が発生している。

可燃性の液体やガスを使用した放火は件数においては全体の6%にすぎないにも関わらず、死者の37%および負傷者の22%を占めている。

アメリカで大きな被害が出ているので、何か特別な対策をしているかというとそうではない。推奨されるのはやはりスプリンクラーである。可燃性液体やガスを使用した放火にもスプリンクラーは有効であり、Google検索をすればアメリカでガソリンを使用した放火にスプリンクラーが有効であったケースを容易に何件か見つけられる。

煙の発生を抑えて人命を守る早期作動型スプリンクラー

NFPAは作動の早さによってスプリンクラーを標準型(Standard Response Type)と早期作動型(Quick Response Type)に分類している。正確にはRTI(Response Time Index)という作動の際の熱への感度によって分類され、RTI値が80以上のスプリンクラーを標準型、RTI値が50以下のスプリンクラーを早期作動型としている。

この2つの使い分けを大雑把に説明すると、標準型スプリンクラーは工場や物流倉庫等において経済的損害防止を目的として使用され、早期作動型スプリンクラーは住宅、医療施設、集会所等において人命への安全を目的として使用される。

早期作動型スプリンクラーは、1980年代に開発された技術であり目新しい技術ではない。NFSA(米国スプリンクラー協会)のKenneth E.Ismam氏の「Do Quick-Response Sprinklers Provide Better Fire Protection? (早期作動型スプリンクラーは防火上好ましいか?)」という2005年の寄稿によると、標準型スプリンクラーは火災が発生した部屋の外にいる人々を守るのに対して早期作動型スプリンクラーは火災が発生した部屋の中にいる人々を守ることを目的として開発されており、実物大火災試験のデータがこれを裏付けているとしている。

1980年代後半から1990年代前半にかけて、FMRC(現在のFM Global)やNIST(アメリカ国立標準技術研究所)等が、ホテルの客室や実験室において実物大火災試験を実施してその有効性を確認している。

NISTが1990年にワシントンDCのプラザホテルにおいて排煙設備の必要性を判断することを目的として行った試験では、「標準型スプリンクラー」「早期作動型スプリンクラー」「スプリンクラーなし」「排煙設備あり」「排煙設備なし」の条件で火災試験を行っている。結論として、早期作動型スプリンクラーを設置すれば、一酸化炭素の発生を抑えて避難に必要な視界を保てるため、排煙設備の代用とできるとしている。

今回犯人が、建物の螺旋階段付近でガソリンに着火させたことによって、火のまわりが速く大量の煙を発生させて大きな被害を出す結果となった。亡くなられた36人のうち約7割が一酸化炭素中毒とのことである。

アメリカでこれと全く同じ条件で火災試験を実施した例があるとは思えないが、スプリンクラーによって火災における死者数が約1/10になっているというNFPAの統計データがある。この建物においても早期作動型スプリンクラーが設置されていれば、煙の発生を抑えて死傷者数を大幅に減らせた可能性があるのではないか。

消防検定制度と水道法の規制

日本で科学的な防火を妨げている一番大きな原因は消防検定制度である。国内消防法では、第21条の2によりスプリンクラーヘッドなどの12種類の検定対象機械器具については、日本消防検定協会または登録検定機関が行う国家検定を通ったもの以外は販売すらできないとしている。

「散水パターンが検定基準に合わない」という他国では聞いたことがない不可解な理由で、NFPAのスプリンクラーが排除されているが、この制度ができたのは1960年代である。当時の事情を知る方によると「アメリカから何のクレームもなかった」ので、60年近く経った現在も続いているとのことである。

国民の生命と財産を守ることがこの制度の一番の目的でないことは明らかである。検定制度を理由としてNFPAのスプリンクラーを排除した結果、防火に関する科学的な知見も入ってこなくなったのではないか。

アメリカでスプリンクラー普及率が高い理由として、公設水道管の圧力が高いことと、水道直結式が認められていることが挙げられる。スプリンクラー設備はおおまかにスプリンクラーヘッド、配管、ポンプ、水槽によって構成されるが、アメリカでは公設水道管に消火用配管を接続して水を直接供給できるため、ポンプと水槽が不要であり低コストでの設置が可能である。

この方法は水道直結式と呼ばれアメリカ以外でも多くの国で認められているが、日本では水道法の規制によって高齢者施設等の例外を除いて認められていない。日本ではほぼ必ずポンプと水槽の設置が必要となるため、設置コストが割高となる。

人命安全を目的として設置する早期作動型スプリンクーについては、作動に必要な水量が少なく水圧も低いため、水道法改正さえすれば多くの建物で低コストでの設置が可能であると思われる。

防火の縦割り行政

日本の防火は国土交通省所管の建築防火と総務省消防庁所管の消火に分かれている。

多くの大学の工学系学部に建築学科があり、防火の専門家とされる先生方もいるが、そういった先生方は建築防火(防火区画、排煙、避難)の専門家であって、スプリンクラーをはじめとする消火の専門家ではない。

そういった先生方は、他国の事情やNFPAのデータ等からスプリンクラーが有効であると知っていても積極的に推奨する立場ではない。

規制至上主義では国民の生命と財産は守れない

今回のように「十分な防火対策」とされる建物で多大な被害が発生しており、さらに他の建物では法規制で要求された消火設備の誤作動によって死傷者や多大な損害が発生している。

アゴラの記事で何度も書いているがアメリカではスプリンクラーの有効性の検証を年間35,000件以上行っているのに対して日本では東京消防庁が十数件行っている程度である。

日本の防火は十分なデータや検証がなく、「何故そうなっているのか」について科学的な説明がないことが多い。法規制に誤りや不十分な点があることは明らかであり、そのまま信じていては生命と財産は守れない。

牧 功三
米国の損害保険会社、プラントエンジニアリング会社、米国のコンサルタント会社等で産業防災および企業のリスクマネジメント業務に従事。2010年に日本火災学会の火災誌に「NFPAとスプリンクラー」を寄稿。米国技術士 防火部門、米国BCSP認定安全専門家、NFPA認定防火技術者

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