神の「ユダヤ民族との3つの契約」

先ず、旧約聖書から「出エジプト記」第21章23~24節を引用する。

命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない

と記されている。

次は新約聖書の「マタイによる福音書」第5章38~39節からの引用だ。

キリストは、

目には目を、歯には歯をと命じられたのを、あなたがたは聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う、悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい

と諭し、善をもって悪に報いるべきだと語っている。

エルサレムの「嘆きの壁」で祈るフランシスコ教皇(2014年5月)=2023年9月7日、バチカンメディアから

あなたはどちらの聖句が好きですか、といった質問をするつもりはない。前者は旧約聖書の聖句であり、後者は新約聖書の中の話だ。前者は天地創造の創世記から預言書まで39巻から構成された聖典であり、後者はイエス生誕後のイエスの福音と使徒たちの活動に関連したもので、27巻から成り立っている。そして新旧66巻を合わせて「聖書」と呼ばれている。

世界のベストセラーと呼ばれる「聖書」の内容は上記のように新旧の間で一見矛盾する内容が記されている箇所が少なくないのだ。

旧約聖書は聖書暦でイエス生誕前までの4000年の歴史が記述され、新約聖書は2000前のイエス生誕前後の話が中心になっている。新旧聖書の時代背景が異なるから、その内容も多少、相違が出てきても当然だろう。それ以上に、聖書歴6000年を神の一環としたストーリーとして読むべきだ、という判断から、聖書といえば、新旧両聖書を意味するようになって久しい。

しかし、ここにきて“旧約聖書追放・排斥論”が聞かれ出した。「旧約聖書」排除論の最大の理由は、ビックバーン、インフレーション理論など宇宙の起源を追及する学問が急速に発展する中、旧約聖書の最初の聖典「創世記」に記述されている、神が6日間で世界を創造したという天地創造説と現代の天文学の成果の間で不一致する点がさらに増えてきたなどが挙げられる。

それだけではない。旧約聖書の神は「妬む神」であり、異教の神々を信じる民を躊躇なく抹殺する。そしてユダヤ民族の選民意識を煽る一方、女性蔑視から少数民族迫害まで、旧約の神は人権と少数民族、女性の権利を擁護する21世紀の社会では絶対受け入れられない、という判断がある。だから「聖書はイエスの言動を記述した新約聖書だけで十分だ」という声が神学者の間で出てきたわけだ。

ユダヤ民族の歴史が記述された旧約聖書を読み切るためには確かに忍耐が必要だ。その上、内容はインターネット時代の21世紀にはマッチしないものが少なくない。だから、排除しようという考えは一見、合理的な判断だが、聖書が新約聖書だけになり、読みやすくなったとしても、去った信者たちが教会に戻ってくるわけではないだろう。

問題は深刻だ。聖書から旧約聖書39巻を排除した場合、神の創造目的、失楽園の話を失うことで、聖書の人類救済というテーマは意味を失い、ひいては、救い主イエスの使命は一層、曖昧模糊となってしまう危険性が出てくる(「旧約の『妬む神』を聖書から追放?」2015年5月07日参考)。

旧約聖書の神の契約をどのように取り扱うべきかで聖書学者、聖職者は頭を悩ましてきた。バチカンニュースは7日、「ユダヤ教:絶えず続く契約」という見出しで、新しい契約(新約聖書)がある現在、神の選ばれた民(イスラエル人)との神聖な契約(旧約聖書)をいつまで堅持すべきか」という問題を取り扱っている。聖パウロも「ローマ人への手紙」の中で言及しているテーマだったというのだ。

近代教皇の中で最も神学に通じていたベネディクト16世は2018年、このテーマで論文を書き、「神とユダヤ人との契約は絶えず続いている」と述べたヨハネ・パウロ2世の発言を検証し、「神とその民との契約は唯一ではなく、多くの契約が存在した。また、契約の解除についての言葉は、旧約聖書の神学的な概念には含まれていない」と指摘し、「『絶えず続く契約』の公式は、ユダヤ人とキリスト教徒の間の新しい対話の最初の段階では役立ったかもしれないが、長期的には適さない」とその修正の必要を示唆している。

フランシスコ教皇は7日、このテーマについて、神はユダヤ民族との間に3つの契約を結んでいると語り、「『ノアとの契約』は、人類と創造物との関係に焦点が当てられている。『アブラハムとの契約』は、統一と実りの前提条件として神への信仰が強調されている。最後に、『シナイの契約』は、法の授与とイスラエルの選出が、全ての民族のための救いの道具としての役割があった」と説明している。

フランシスコ教皇は「神のユダヤ民族との契約は3つあって、それぞれ異なる重点が置かれている。そして、3つの契約の間を結びつける要素として、「神の賜物と召命の永遠性(ローマ人への手紙第11章29節)」を指摘し、「神は誰かを選んで他を排除するためではなく、常にすべてを包み込むために選ぶ」と述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年9月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。