ジャニーズ問題に隠れる違和感

多田 芳昭

ジャニーズ性加害の問題に関する記者会見が行われた。

カリスマ創業者によるタレント予備軍の子供への性加害、独裁者としてタレント生命、生殺与奪権を握った形での人権侵害があったことは、ほぼ間違いないだろう。日本国内よりもむしろ海外から注目されていた事案である。

おぞましいという表現が正しいかは分からないが、事実であれば常軌を逸しており、長期に渡り誰も止められなかったのは、独裁帝国がゆえに起こす弊害であろう。決して再発させてはならないと考えるのは誰しも同じだろう。

そこまでの総論はその通りという前提に立って、それでも記者会見を見て、違和感を感じざるを得なかったのも事実である。

ジャニーズ事務所Wikipediaより

その一つ目は、この問題自体古くから分かっていたことだからだ。なぜ今なのか?

曝露本も出版されており、タブロイ紙や雑誌でも報じられていたにもかかわらず、マスメディアは一切報じてこなかった。記者からの質問に、事実を知っていたのかというものがあり、総じて「噂話では・・・」「物言える環境では無かった」という種類の回答を繰り返していたが、つまり現経営陣は当時「知らなかった」ということであり、それでも責任を取る姿勢を貫いている。

では聞きたい。追及する側に座してるメディの皆さんは、性加害やキャリアを盾にしたハラスメントの事実を知っていましたか、と。

知らなかっとは口が裂けても言えまい。

ジャニーズ現経営陣と同様の「噂話では・・・」程度の回答に逃げるしかできないだろうが、それでも立場が違うのであり、もし「物を言える環境では無かった」というなら、その時点でジャーナリストの立場を降りるべきではないのか。

メディアの立場で建前のSDGSではなく、目の前にある具体的な課題に立ち向かっておれば、ジャニーズは帝国としては存在できず、健全なエンタメが継続的に発展する環境になっていたのではないのか。

ジャニーズ現経営陣は、自責は無くとも、被害者救済や業界の立て直しに真剣に立ち向かう、責任取る姿勢を示しているのだ。

メディアも表面上のメッセージを出すだけではなく、本質的構造の事実究明を行い、責任を取り、改革を目指す行動が必要なはずだ。

被害者の訴えは全て事実となるのだろうか

二つ目の違和感が、会見席上では誰も事実認定に至る根拠を示していないことだ。当たり前かもしれない、加害者側2名が既に死去しているからだ。死人に口なしである。そして根拠なく認めた事実を疑う空気は全く存在しなかった。

確かに様々な周辺情報や被害者の弁、状況証拠などから相当部分の事実認定できる要素はあるだろうが、それでも全て自動的に事実とするのもおかしな話である。事実と認定するのは誰なのだろう。

本来そういった場合の解決のために裁判という手段が用意されている。しかし現実には、被疑者死亡に付き不起訴となる状況であり、法的には時効を迎えているものもあるという。まさに法的には過去の罪に訴求することは御法度であり、過去の事象を現在の価値観で裁くのも許されないのである。

それに対して、現経営陣として「法を越えた救済」という人道的見地に立った対応を示しているのは解決に向かえる方法論であろう。

一方で、新社長自身にも加害者としての疑いが存在する。しかしこのことに関しては、即答で「事実ではない」と全否定した。

弁明が出来ない故人の罪に関しては、魔女裁判よろしく事実と認めつつ、自分の罪と指摘されたことは、事実でないと否定する。違和感を感じるのは私だけだろうか。

危機管理として向き合え

危機管理として臨む記者会見の対応としては、よくできていたとは感じる。シナリオの組み立て、話し方など、流石に餅は餅屋、長けていた印象だ。

ただ、悪いいい方をすれば、芸能界とメディア、もたれ合った環境で行われた出来レースとして左傾化するリスクも感じられる。

芸能界とメディアに横たわる問題として、同様の話は他にも聞こえてくる。それこそ「噂話では・・・」レベルの話かもしれないが、噂話の段階で、事実確認をし、個々に是々非々で向き合うべきだろう。

全て疑わしきは糾弾、という魔女裁判的に言ったもの勝ちにしては決してならない。それでも噂話の段階で、もし噂話が事実であった場合を想定して、事実確認をし、事実であれば適切に危機として向き合う危機管理対応を取るべきだろう。

危機管理はその影響範囲を特定し、適切な対処が必要になる。今回のジャニーズ問題であるならば、創業者夫妻による加害事案に絞られているが、関連の他の加害者やメディアの加担などは今なお継続中の危機事態ではないのだろうか。

過去の話なら過去の話として同様に整理し、むしろ今なお続く危機に向き合わなければならないのだ。