昨今、最大手芸能事務所の一角として、長年日本のエンタメ界を支配してきたジャニーズ事務所が批判にさらされる一方で、新興の音楽事務所として注目を浴びている存在があります。
30代半ばの若手実業家・日高光啓氏(“SKY-HI”という名のアーティストとしても知られる)の手により、2020年、「日本の音楽業界を変革する」という旗印の下で創設され、新興の音楽レーベルとして注目を浴びつつある事務所、「BMSG」です。
このBMSGは、10代〜20代前半の若い男性を採用・育成してグループとして売り出すという点で、ジャニーズ事務所と共通している部分もあります。
ただし、ジャニーズ事務所とは決定的に異なる点は、「韓国をはじめとした世界のアーティストと渡り合えるハイレベルな集団を作る」ことを目指していることです。
(筆者もK-POP等に特別詳しいわけではありませんが)韓国のアーティスト厳しいオーディションと徹底した訓練を経て完成度を高められたパフォーマンス集団と戦うということは、従来の日本の芸能界にとってのスタンダードであった「若い子が愛嬌を振りまいてれば、歌や踊りは下手でもいいんだよ」という思想を否定することでもあります。
この記事では、創業者の日高光啓氏が、若手経営者としてどのようなマインドで日本の音楽業界が持つ旧弊に対して問題意識を募らせ、そして思春期真っ最中の若いアーティストたちの指導にあたっているかに触れていきます。
音楽業界・芸能界に限らず、他業界で働く私たちにとっても、人材育成のヒントとなる点があるはずです。
「日本の音楽業界は30年前の構造に縛られている」
日高氏がBMSGを創業したのは2020年9月、同氏が33歳の時でした。
BMSG創業後、日高氏が日本の音楽業界に感じていた問題意識について、『日経エンタテイメント!』に連載されたインタビューの中で、以下のように語っています。
音楽業界のビジネスモデルが、いまだに業界がバブルに湧いた30年前の成功体験を引きずったままであり、特にアイドル的なアーティストの場合、CD偏重の「売る仕組み」に頼りすぎている(日経BP社『マネジメントのはなし。』3P)
日高氏が問題視している「30年前の成功体験」としての「CD偏重」の弊害の一部として、「CDの売上を至上のKPIとした結果、歌唱力や表現力など、アーティストとしての本質的なパフォーマンススキルを鍛えて勝負するよりも、ファンに同じ楽曲のCDを何度も買わせるようなインセンティブをつけたり、メディア上でバラエティタレントのような露出と宣伝を行う」ことが挙げられます。
個々のアーティストが事務所によるマーケティング戦略の歯車となってしまう一方で、本来の「音楽の才能」に恵まれた若者達がスポットライトを浴びることなく夢を諦める、という状況が長く続いてきたことを、日高氏はかねてから危惧していたようです。
このような問題意識を若くして抱き、30代半ばにして私財1億円を投入してBMSGを創設した日高氏ですが、このような大胆な行動の背景には、元々は日高氏自身がアーティストとして20年近くの芸歴を持ち、芸能界に潜む問題を肌身で感じてきたという事情があります。
日高氏は2005年以来(彼が18歳の時)、エイベックス所属の男女混合グループ・AAAのメンバーとして15年間活動してきたほか、近年はソロのHIPHOPアーティスト「SKY-HI」としても存在感を示していました(また、エイベックスに移籍する以前にはジャニーズJrに所属していた時期もあったようです)。
音楽業界において多様な経験を積む中で、日高氏は「日本の音楽業界の構造はおかしい」「アーティストの才能を歪な形で消費する形になっている」と感じたようです。
そして、「歪な構造」を作り上げた要因の一つこそが、上記した「CD売上至上主義」であると日高氏は睨んでいます。
2023年に放送されたテレ東BIZで、キャスターの豊島晋作氏との対談の中では
音楽業界と芸能界が一緒だったのが間違っていて…
(テレ東BIZ『SKY-HIが語る音楽業界の危機~J-POPは世界で勝てない?~【豊島晋作のテレ東経済ニュースアカデミー】
と語った場面があったほか、BMSGのステートメント(社是)として
歌やダンスといった芸能活動のクオリティよりも愛嬌や対応に需要が傾いた際に、本人がそれを享受してしまえば、需要はより高まる。いつしか芸能というものはそういうものだと認識が進んでいってしまい、接客サービス業と化す(『WHAT’S “BMSG”』)
と綴るなど、これまでの日本の音楽業界の構造への静かな怒りが、節々から感じられます。
日本型組織に欠けていた「才能を殺さない」意志
筆者から見たBMSG最大の特色は、韓国の音楽レーベルのように徹底したスパルタ教育で知られる勢力と真っ向勝負する覚悟を示しつつ、一方では「タレントの人生・人格をコントロールしない」ことにあると見ています。
というのも、日高氏の過去の発言を辿っていくと、「CD売上至上主義」と並んで「日本式の教育観」に対しても強い問題意識を抱いていることを感じ取ることができるのです。
過去の対談の中では
音楽活動で学業をないがしろにしたがために成績を落としたり、進学に影響があってはもってのほか‥‥(中略)‥‥僕らだって大事に育てられた息子さんを預からせてもらっている責任は大きいです(日経BP社『マネジメントのはなし。』134P)
と語っているのですが、これは音楽業界のみならず日本型組織に広く蔓延っている「新人を服従させ、個人の思想やプライベートをコントロールしようとする」姿勢とは180度逆であると言えるのではないでしょうか?
また、
「不遇」をこれからの世代には絶対に経験させてはいけないから、状況を変えていきたい(日経BP社『マネジメントのはなし。』218P)
という発言もありました。
音楽業界に限らず、日本の職場や部活動等のコミュニティでは「俺は新人の時にこんな苦労をしたんだから、(新人に向かって)お前も俺と同じ苦労をしろ」というような発言があちこちで聞かれますが、(“自分の過去の正当化”ではなく、)真の意味で後輩の幸福を願うなら、やはり日高氏が言うように「自分が味わった不遇を味あわせたくない」という発想になるのではないでしょうか?
日高氏のような一流の人物が、「まだ無名の若者のために頭を悩ませ、言葉を選ぶ」姿勢には、心を動かされるものがあります。
芸能の世界に限らず勤め人の世界にも言えることですが、これほど自分のために「悩んでくれる」先輩に出会えることは、とても幸せなことではないでしょうか。
一方で、自分自身は後輩や目下の立場の人のために「悩む」ことができているか、あるいは、上から目線で“面倒をみてやっている”感覚に陥っていないかと思うと、私自身、この文章を書いている最中も、冷や汗が出そうな思いがします。
働く私たちにとって、パワハラの被害者となるリスクだけでなく、いつの間にか加害者となってしまっているリスクも隣り合わせにあることを忘れるべきでないと思います。
ハラスメントまではいかずとも、少しでも気を抜けば「先輩という立場に甘んじて後輩を軽んじてしまう」ことになりがちです。
そんな私たちにとって、「一流の人物が、立場を捨てて後輩や部下のために悩む姿勢」を見ることは、自身の心から傲慢さを追い出すための薬になると考えています。