マネーマーケットは「魔の10月」を乗り切れるか?:魔物は中国か

私のポータルサイトのニュース一覧が悪いのか、ジャニーズの社名変更問題ばかりで「いい加減にせい!」と思っているのは私だけじゃないでしょうね。数々の国民的アイドルグループの創出と性犯罪という驚愕の関係ですが、この問題を正面切って論じない方がよい気もしています。理由はそのうち書きますが、日本は性の意識と実態が歴史的にとてもユニークでそれを知っている人からすれば驚きにはならない事実があるのです。こうご期待。

では今週のつぶやきをお送りします。

マネーマーケットは「魔の10月」を無事乗り切れるか?

10月には魔物がいる、というのは株式市場参加者が口には出したくない事実。1929年の大暴落、ブラックマンデー、リーマンショックなどはほぼこの時期に起きています。では今年は、といえば小粒のいやなネタがずらり並びます。自動車関係のストライキ、10月1日に迫る予算上限に伴う政府閉鎖、原油高、学生ローン返済の再開、コロナ貯蓄の枯渇…。ただ魔物が出現するならばこんな小物のネタではないし、当然、誰も予想していなかった激震が原因となります。

東京市場も弱弱しいの一言で9月半ばに4度目の挑戦となった日経平均33700円の壁が破れず、そこからほぼ2000円の下落を演じています。同様にNY市場でも個別銘柄が散発的に花火が打ちあがる程度で全体が盛り上がる気配は全くありません。まるで魔の10月を意識しているかのような感じですが、日本国内だけを見れば景況感は悪くはないと思います。人が動き、活気があり、前向きな姿勢に見えます。損保業界の闇や飲食店のコスト増倒産は大手でも利益圧迫になっていますが、個別問題はいつの時代でもあります。

個人的には魔物がいるとすれば中国かも知れないと思っています。経済運営がどうみても行き詰りになっており、にっちもさっちもいかないというところで政府がなにか爆弾を落とすのではないかという気がしています。特に不動産業界については大きすぎて潰せないの典型で恒大、碧桂園などを潰せば前金で払っている個人と下請け業者へのインパクトが大きすぎて政府に跳ね返ります。そのため政府管理で細々と生かしていくのがベストなのですが、今の政権は何をやらかすか全く予想できないところに不安を感じるのです。ドキドキしながらのひと月になりそうですね。

習近平国家主席 中国共産党新聞より

ウソでしょ?まさか解散するおつもりでしょうか、岸田様?

内閣改造したものの不評で支持率は逆に下がるという波乱。本人は完璧と思った内部のバランス。確かにポイントになる人を要所要所で押さえ、「しっかり考えました」と言わんばかりの布陣でしたが岸田氏の期待と裏腹になった理由は岸田氏の賞味期限が切れていることと、いかにも定石的でケーキに例えればスポンジとクリームを万全にしてトッピングにちょっと珍しいものを乗せただけで結局ほとんど味は変わらない、そんな感じでしょうか?可でも不可でもなく、専門家は文句もつけないけれど印象にも残らない、そんな感じなのでしょう。

降ってい湧いたのが秋の臨時国会で冒頭解散をするのでは、という雰囲気。では解散するとすれば何を名目におやりになるのか、そこが実に不鮮明です。解散権は首相の専権といいますが、金もかかるし、その間の政治の空白も出来ます。国民が納得し、社会一般が納得する解散ならよいのですが、今回、解散すれば岸田内閣の不人気は加速度を増す、そう見ています。問題はポスト岸田がいないことなのです。名前を挙げればいなくはないですが、「本当にそれでよいのでしょうか?」という疑問は生じます。

私は再三、自民党の本質的な時代は終わったと申し上げています。終わっても全然かまわないのですが、唯一の問題は政権交代になると官僚と閣僚の関係が逆転し、官僚主導になれば政治が空回りするリスクが高い点です。官僚が悪いという意味ではなく、官僚が自民党政権下の今のやり方に慣れ親しみ過ぎたのです。政権交代したんだから官僚のスタンスも変えろ、と言っても「ボク、できましぇーん」なのでしょう。個人的には仮に解散すれば日本の政治の大変革の幕開けとなる気がします。

異常気象への備え

司馬遼太郎の「国盗り物語」に美濃で長良川が大氾濫した話が出てきます。1534年の大洪水で長良川の位置が一夜にしてそっくり変わったともされます。その後も何度も氾濫を繰り返したこの川の歴史は気象と人間の戦いであったともいえるでしょう。そんな中、近年、世界各地で起きる異常気象は想定域を超えており、高度に進化した都市機能を破壊するほどの力を持っています。ニューヨークでは大雨で地下鉄が止まり、非常事態宣言が出ています。

都市では地下構築物に高度な機能を持たせていることから想定を超えた事態が起こった場合の機能不全とその影響力は計り知れないものがあります。日本のように常に自然災害と向き合いながら時代を経てきた国と未経験で想定を超えた場合のバックアップがない国とでは大いなる違いがあります。昨日、熱海に行ったのですが、山間にこれでもか、とホテルや住宅が林立するその様子をみると地盤に対する過信が無いとも言い切れません。横浜市の郊外には昭和の住宅ブームの際に作られた住宅が林立しています。勾配地の住宅地が崩れないのは山や丘全体をコーティングするように舗装をして排水機能を持たせているからで地山の場合は簡単に崩れるリスクがあります。

高床式住宅とは雪国でよく見られる自衛策の一つですが、近年のゲリラ豪雨で床上、床下浸水が頻繁に起きている現状を考えれば土地の低いところの自衛としての高床的なアイディアは悪くないのかもしれません。もちろん住宅に入るのに階段が余計に必要というデメリットもありますが、「備えあれば憂いなし」という言葉は含蓄があるものです。カナダでは雨が降るから電力は水力発電という方程式があるのですが、個人的にはそれがアダになることもあるのだろうと考えています。今、世界はそれぐらい想定を超えた気象状況と戦わねばならないともいえそうです。

後記
久々に京都に用事があり行っていたのですが、余りの外国人の多さに「ここは日本?」と思ってしまったほどです。東京よりはるかに混雑し、外国人の比率は極めて高いです。オーバーツーリズムと言いますが、京都の店舗では商魂たくましく英語で対応、尋常ではないほどの飲食店が共存できるのも外国人さまのおかげなのでしょう。街は美しく整備され、日本の観光地の顔として大いに繁栄しています。おっとこんなこと書くと京都人からご批判を受けそうですが「お宅、まだ100年なら新参者」と言われる独特の文化は外国人には理解不能なのでしょう。名古屋人や大阪人学の本はあるのに京都人学の本が見つからないのが不思議です。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年9月30日の記事より転載させていただきました。