そもそもイスラエルとハマスが対立するパレスチナ問題ってなに?

パレスチナ問題は、イスラエルとパレスチナの間で長年にわたり続けている紛争を指します。パレスチナ人とは一般にパレスチナ地方に居住するアラブ人を指しています。

第一次世界大戦でのイギリスの中東問題での対応が発端と言われています。イギリスは、アラブ人にはオスマン帝国からの独立を約束し(フセイン=マクマホン書簡)、フランスと中東を分割する協定を結び(サイクスピコ協定)、国家をもたなかったユダヤ人にも国家建設(のちのイスラエル)を約束し(バルフォア宣言)て協力を取り付けたことが発端でした。

パレスチナ地域は、歴史的にはアラブ人が多数派を占める地域であり、イスラエル建国前はイギリス委任統治下にありました。1947年に国際連合の提案に基づいて、イスラエルとパレスチナの2つの国家が共存することが計画されましたが、この提案はもともと住んでいたパレスチナ側には受け入れられず、紛争が勃発しました。

1948年のイスラエル建国後、周辺のアラブ国との間で複数の戦争が勃発し(四度にわたる中東戦争)、イスラエルはその領土を拡大しました。1973年に勃発した第4次中東戦争は第1次オイルショックの原因となり日本にも大きな影響を及ぼしました。

この過程で多くのパレスチナ人が避難民となり、パレスチナ問題は国際的な懸念事項となっています。

パレスチナを巡る紛争の歴史 外務省HPより

現在、パレスチナにはガザ地区と西岸地区(ヨルダン川西岸)の2つの主要な地域が存在し、それぞれが異なる政治的組織に支配されています。ガザ地区はハマスというイスラム主義政治団体に支配され、西岸地区はパレスチナ自治政府(アッバス議長率いるファタハが与党)が統治しています。

イスラエルとパレスチナの地図 外務省HPより

しかし、これらの地域の国際的な承認や領土の支配権については依然として争いが続いています。

国際社会は、和平交渉を通じて解決を試みており、キャンプ・デービッド合意(1978年)や、オスロ合意(1993年)(1995年からパレスチナ自治政府が西岸及びガザで自治を実施する)などがその試みの一部ですが、長らく持続的な平和が実現していません。また、アメリカとイスラエルとの独特な関係から近年は平和裏な解決から遠のいていました。

クリントン米大統領の仲介でイスラエル・ラビン首相とPLOアラファト議長の間で結ばれた「オスロ合意」。この2年後ラビン首相は和平反対派のユダヤ人により暗殺された。Wikipediaより

この問題は、中東地域や国際政治に大きな影響を与えており、宗教的、歴史的な背景も含めて非常に複雑です。

3つの一神教によるエルサレムを巡る紛争は絶えなかった。 エルサレムにある岩のドーム Wikipediaより

「ハマス」はパレスチナの武装組織の一派でしたが、パレスチナ自治政府の汚職などへの不満からその影響力が強まりパレスチナ自治政府の主流派と対立し、2007年からガザ地区を武力で実効支配しています。

ハマスの指導者・イスマーイール・ハニヤ氏(左)とイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相 Wikipediaより

中東湾岸諸国とイスラエルの対立もパレスチナ問題が背景にありましたが、近年は経済的な利害などから改善が進んでいました。そんな中で、今回のハマスの攻撃が起こりました。

イスラエルとパレスチナの対立の要因は、イスラエルの建国に伴うパレスチナ人の処遇、領土の支配権、難民の問題、エルサレムの地位、安全保障などが中心ですが、その解決の道筋はますます険しいものとなりました。