文部科学省は重い腰を上げ、世論からの厳しい声を受けながらようやく解散請求と相成りました。旧統一教会問題が噴出した当時、文科省の担当部署は8名でした。それが今では40名に増えたもののそれでも作業は山のようにあるとされます。
今回の問題の発端は安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者の旧統一教会への恨みでした。その後、次々と明かされた自民党を中心とする政治家の同教会への協力姿勢、そして信者二世などからの悲惨な実態の声が世間一般に広がる中、ようやく解散請求に踏み込むことになりました。
しかし、この解散請求も相当長い道のりになるだろうとみられています。個人的には教団側が徹底抗戦の意向を示していますので最終結論が出るまで4-5年以上かかってもおかしくないと考えています。その理由にオウム真理教と明覚寺事件の過去2回しかない宗教法人の解散決定は刑事事件という明白な背景があったにもかかわらず、明覚寺問題は判決確定まで3年もかかっているのです。
徹底抗戦ということは今回の地裁の判断が出たら高裁、最高裁にまで進むということでしょう。教団側の判断は当然ながら韓国側の意向に沿うということであり、時間稼ぎを行うものだと思います。その上、教団側は多分ですが、新たな受け皿を作り、徐々にそちらに主たる機能を移していく作戦に出るのではないかとみています。教団の資産の差し押さえもほとんどできず、決定が出た時はもぬけの殻である可能性は高いでしょう。
オウム真理教でもアレフに変わってそれなりの活動は継続しています。その点では旧統一教会解散請求決定は、岸田首相は否定しますが、実質的には政治的配慮に基づく判断だろうと考えています。
実は私が長年不思議に思っていたのは、旧統一教会問題は80年代ぐらいから話題になり始め、その問題提起も少なくとも30年以上言われ続けていた点です。ある意味、ジャニーズ問題と同じです。それなのにその問題の解決に踏み込むどころか、政治家が大挙して政治活動支援のために教団参りをしてきたわけです。これを「不作為 (Negligence)」と「政治家の妨害」と言わずしてなんというのかと思います。
文科省としては政治家の強い支持があり、介入できなかったと主張するでしょうし、政治家はそんな意図は決してないとしらを切り続けるのです。日本における問題解決のステップは往々にして大事件が起きてから大変だ、と大騒ぎをします。仮に安倍首相が凶弾に倒れていなければ政治家の厚い壁に阻まれ「解散請求?なんでそんなことをしなくてはいけないのだ!」で終わっていたのです。そういう意味では山上容疑者は大きな利権を銃弾でぶち抜いたと言わざるを得ないでしょう。(同容疑者の肩を持っているわけではないので念のため。)
もう1つは教団の思想が先の戦争や植民地時代の恨み返しのような性格を持っており、特に日本の女性に一定の思想の植え付けを行い、教団の意図する方向に誘導し続けた点においてそれをなぜ許し、日本の女性はそれでもなお、入信し続けるのか、これが謎なのです。
言い換えれば、仮に日本の教団が解散されようが、日本の女性は海を渡り、韓国で入信できるのです。今回の解散請求はほんの一幕で本質については何ら変わることはないでしょう。
では日本の女性は本当に入信したくてそうしているのか、といえば個人的にはそのような人はほんの一握りで、実はいつの間にか洗脳されていたということではないかと思います。特に日本人女性の韓国に対する興味は極めて強く、ジャニーズが無くなってもK-POPがあるという声もあるし、コロナが終わってようやく韓国旅行ができるという女性も多いです。
韓国ドラマが引き続き根強い人気なのは日本のドラマのような作品へのこだわりではなく、強烈でストレートに感性に訴える作りのため、見終わった後の印象が長く続くわけです。わかりやすい例でいうと日本の推理小説は最後の数ページでどんでん返しの結末が来るエンタメ要素を取り入れたパタンが一種の流行になっていますが、あの手の小説は読んでいる時だけが面白く、読後感の印象がほぼ残らないのです。理由はあっけに取られて印象の重みづけが出来ないまま話が終わるからです。韓国ドラマが上手だというのは読後感づくりだという点はあまり触れられていない点だし、女性の感性に見事に訴えるのです。
解散請求は一つの大きな節目であることは間違いありません。日本の社会問題の歴史にも残るでしょう。が、まだ始まりに過ぎず、何ら解決していないということは忘れてはいけないでしょう。
では今日はこのぐらいで
。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年10月13日の記事より転載させていただきました。