ハマスと「犠牲者メンタリティー」

パレスチナのガザ地区を2007年以来実効支配するイスラム過激テロ組織「ハマス」が7日、イスラエルに向かって数千発のロケットを発射する一方、境界線の金網を切断してイスラエル領土内に侵入、イスラエル人らを殺害し、約150人を拉致。10日にはハマスが音楽祭やキブツ(集団農場)でイスラエル人を大量虐殺した現場調査が行われた。イスラエルのネタニヤフ首相は「これは虐殺だ」と激怒している。

イスラエルに連帯を表明するデモ集会(2023年10月11日、連邦首相官邸前、オーストリア国営放送ニュース番組のスクリーンショット)

イスラエルに連帯を表明するデモ集会(2023年10月11日、連邦首相官邸前、オーストリア国営放送ニュース番組のスクリーンショット)

パレスチナ人たちの親ハマス・デモ集会(2023年10月11日、ウィーン・シュテファン大聖堂広場で、オーストリア国営放送ニュース番組のスクリーンショット)

ハマスの大規模なテロ襲撃に報復するためにイスラエル軍はガザ地区の「ハマス」の拠点を空爆すると共に、ガザ地区の境界線に大量の軍を集結させ、地上軍を投入する準備を進めている。11日午前現在、イスラエル側には約1200人の死者、その数をを上回る負傷者が出ている。

ドイツ民間ニュース専門局ntvは11日、英国の「キングス・カレッジ・ロンドン(KCL)」で教鞭を取るテロ問題専門家のペーター・ノイマン教授にインタビューした。同教授はイスラエル軍がガザ地区に地上軍を投入すると予想し、「イスラエル軍とハマス側の双方に多くの犠牲が出るだろう」と指摘。同時に、イスラエル側がガザ地区を完全封鎖し、電気、水道、ガス、食糧などの供給をストップしていることに対し、「ハマスはガザ地区内のパレスチナ人の悲惨な状況を見せ、世界に向かってイスラエル軍の非人道的攻撃を批判するだろう。これはハマスの常套手段だ。加害者と犠牲者の立場を逆転するやり方だ」と説明して、警戒を呼び掛けた。

今回のイスラエル軍とハマスの戦闘は、ハマスの大規模なテロ攻勢から始まった。イスラエル側にはこれまでにないほどの多数の犠牲者が出、「ハマスの軍事侵攻はイスラエルの9・11だ」と呼ばれている。要するに、ハマスが加害者であり、イスラエル側は明らかに犠牲者の立場だ(ちなみに、ハマスが7日にイスラエル攻撃を開始したのは、その日がロシアのプーチン大統領の71歳の誕生日だったことから、ハマスからプーチン氏への誕生日プレゼントだった、という珍奇な説が聞かれる)。

なお、ドイツのベアボック外相は11日、連邦議会でのハマスのテロによる犠牲者を追悼する会議で、「イスラエル軍がガザ地区に侵攻するならば、ハマスは必ずパレスチナ人の犠牲を強調し、イスラエル軍の非人道的な軍事攻勢を批判してくるだろう」と指摘していた。

欧州の各地で11日、犠牲となったイスラエル人の追悼集会が開催された。ウィーンでは英雄広場でネハンマー首相ら政府関係者も参加し、イスラエルに全面的な連帯を表明した。ネハンマー首相は、「われわれはイスラエルを全面的に支援すると共に、ハマスのテロに対して最大級の批判をする。わが国は過去、ナチス・ドイツ政権の犠牲国としてユダヤ人の大量虐待(ホロコースト)の責任を拒んできたが、わが国は犠牲国であり、同時に加害国だった」と述べ、ナチス戦争犯罪に謝罪していた。

一方、ウィーン市内では同時間、シュテファン大聖堂前でパレスチナ人らが結集して、ハマスに連帯を表明し、イスラエル側のガザ地区占領を批判した。同集会は不穏な衝突が起きる危険性があるとして禁止されたが、多くのパレスチナ人たちが集まり、気勢を上げた。

ところで、ハマスの「われわれは犠牲者だ」という主張を聞いていると、ウクライナ戦争でもその論理が展開されていることに気が付く。ウクライナ戦争は2022年2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻してから始まった。ウクライナ戦争の加害者はロシアであり、ウクライナ側は犠牲者だ。にもかかわらず、ロシアのプーチン大統領は常に、「ウクライナ戦争はウクライナ側とそれを支援する欧米諸国が始めたものだ。ロシアは犠牲者だ」と発言してきた。ハマスと同じ論理だ。

ハマスのテロ指導者やロシアのプーチン大統領が急性認知症に患っているのではない。彼らは誰が戦争やテロを始めたかを知っている。確信犯だ。ただ、彼らの詭弁は第一に国際社会に向かって発しているのではなく、ハマスはガザ地区に住むパレスチナ人に向かって、プーチン大統領はロシア国民向けに発しているのだ。すなわち、内部向けだ。

加害者は責任を負うが、犠牲者には責任がない。悪いのは相手だ、という論理だ。恣意的に犠牲者の立場を主張することで加害者は巧みに責任を放棄する一方、聞き手の「犠牲者メンタリテイー」を鼓舞することで、敵に対する闘争心を駆り立てる。一見、高等戦術のようだが、「犠牲者メンタリティー」は世界で広がっているのだ。

例えば、米国では少数派の権利を擁護する人種差別反対運動や性少数派(LGBT)擁護が広がっている。特に民主党は、「黒人は常に犠牲となっている」と口癖のように主張してきた。だから、多くの黒人は、「自分たちは犠牲者だ」と信じている。フェミニズム、ミートゥー運動もその点、同じだ。しかし、それが行き過ぎると、弱者、少数派の横暴となる一方、強者=悪者説が広がり、強者は守勢を強いられる。社会は活力を失い、健全な社会発展にもブレーキがかかる(「成長を妨げる『犠牲者メンタリティ』」2019年2月24日参考)。

いずれにしても、イスラエル軍のガザ地区地上戦が始まり、ガザ地区の完全封鎖が実行されれば、ハマスは必ずイスラエルの非人道主義を糾弾し、パレスチナ人の「犠牲者メンタリティー」を鼓舞するだろう。欧米社会でもメディアや一部の政治家たちはその「犠牲者メンタリティ」に騙され、イスラエル側を批判するだろう。ガザ地区の地上戦が長期化し、封鎖が長引けば、イスラエル批判は高まり、その時になれば、ハマスがキブツで行った大量虐殺テロも忘れられてしまうだろう。

人は時には加害者となり、時には被害者、犠牲者となる。常に加害者であったり、いつも犠牲者である、ということはない。加害者が犠牲者ぶる時は騙されないように用心する必要がある。そして「あなたは犠牲者だ」と言い寄る者がいた場合、警戒する必要があるだろう。あなたの「犠牲者メンタリティー」を利用しようとしているからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年10月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。