プロ人材の善し悪し:日本の過去30年は経営そのものが問題

日本人は「プロ」という言葉に非常に弱いと思います。日常生活においてプロフェッショナルという言葉にイチコロなのです。まるでゴキブリホイホイみたいなものです。ある人にレトルトカレーを買ってきてもらった際「なぜこれを?」と聞けば商品名に「プロ」と名付けてあるからと。

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経営の世界でもプロ経営者という言葉をこの10年ぐらい耳にすることが多くなりました。何がプロなのかといえば平たく言えば「流れ者」のようなものです。もともとアメリカでは経営側と現場は隔離されており、経営者が現場に降りてくることはあまりありません。経営者は経営のプロとして高いレベルの情報収集、分析、経営判断を行い、それを諮問機関を通じて決定していく、それが仕事なのです。工場に出向く必要はなく、工場の責任者からの情報が判断材料であり、労働者と会話することもありません。

そのギャップは欧米で仕事をすれば感じるでしょう。大体社長と現場のスタッフが一緒に写った写真などあまり見かけたことがないです。

その経営者は概ねMBAを取り、エリート社員として昇進街道を驀進します。私もそういう方は存じ上げていますが、正直詰まらない人が多いのも事実です。何故か、といえば全ての事象を論理と数字で片づけようとするからです。でも世の中、そんなわけないのです。

私は建設会社に在籍していましたので工事費の見積もりにはある程度理解があります。その際、2つのアプローチがあります。コストベースか、業務内容のフィー積み上げベースか、です。後者の場合、一つの工事を細かく作業分類し、項目ごとにフィーを足し上げるのです。すると当然ながらフィーの総額はとてつもなく高くなるのですが、論理的であり、顧客に説明できるとされます。経営的視線ですね。

しかし私はそれは見積もり側の論理であり、時としてだまし討ちだろうと思っています。例えば、つい先日、東京の物件で既存ブロック塀を撤去し、違うデザインの塀の新設と門扉の設置をする見積もりを依頼しました。案の定、このフィー積み上げ方式で項目数はざっと15もあります。大した作業ではないのに実にくだらない見積もりを作ったのです。結果はとんでもない見積額。見た瞬間アウトでした。何故かといえば彼らのコストは概ね、材料費と人件費しかないのです。そこから積み上げた私の見立てはその見積額の半分です。私はゼネコンにいたから数字は分かるよ、と事前にヒントを上げたのに残念な結果でした。論理的積み上げも間違った論理があるということです。

日本でプロ経営者がもてはやされた理由はサラリーマン経営者が主流となり、殻を破れなかったからだと思います。サントリーの新浪剛史、資生堂の魚谷雅彦、LIXILの瀬戸欣哉各氏などのほか、社長になっていなくても経営の中枢に入り込んでいるプロの経営者やそのサポート役はかなり増えており、日経によればこの4年で3倍になり、業務依頼数は年11.3万件あるとされます。では本当にプロ経営者に会社の運営を任せてもよいのでしょうか?

もしも皆さんがさすがプロね、と思うのはどんな職業でしょうか?飲食店のシェフ、運転手、大工、運動選手、美容師…。そのほとんどが単一の作業について深い経験とノウハウを持っている点が共通です。では経営のプロって何なのでしょうか?私から見ればやはり数字ありきなのです。しかし、経営において将来を予想するのは数字からではなく、現場に吹く風や温度なのです。これがプロ経営者には案外、わからないのです。上がってくる数字は過去のものであり、そこには風も温度も表現されません。売り上げが上がっている、下がっているという無味乾燥な数字だけです。

例えばGAFAMの経営者はここでいうプロ経営者でしょうか?イーロンマスク氏はプロ経営者の定義からすればプロ経営者の範疇に属しますが、彼の経営スタイルはプロというより起業家としての野心の方がはるかに大きく、現場にも当然やってきます。つまり彼らに共通するのは将来の野望を持ち、そこに向かって着実に歩を進める投資する勇気と決断する能力なのです。

外国人経営者はどうなのでしょうか?例えば武田薬品のクリストフ ウェバー氏はプロ経営者でもありますが、それ以上に武田という組織をうまく利用しながら野心的な成長戦略を描いたのです。そういう意味では昔のカルロス ゴーンもそうでした。共に共通するのは組織を活用し、自分を高めるように仕向けるのです。そのために行うべき経営判断を大胆に着実に実行するのです。

結局、プロ経営者は成績を上げてなんぼなのです。ユニクロの柳井正氏は会社を愛していて売り上げをいつかは5兆円にすると目指しているし、永守重信氏はあの年齢になってもまだ最前線でM&Aを通じてモーターにこだわり続けます。

では新浪剛史氏はどうかといえば私はやや中途半端だと思うのです。三菱商事からローソンに行ったけれどローソンの立て直しは中途でサントリーに移ります。そこでビームとの経営統合では大活躍したけれど今は経済同友会の会長の業務が主流になっています。つまり一つのところに留まらないのです。それは誰のメリットかといえば新浪氏であり、会社の永続性ではないのです。もちろん、新浪氏がいたからこそできた業績もあります。そこは否定しません。ということはサントリーにすら人材は育っておらず、殻を破ってくれたことにプロ経営者としての能力を見たということでしょうか?

こうみると日本の過去30年の経営そのものに問題があったのかもしれません。過剰なガバナンスが社員を縮ませたように思えます。リスクへの異様な身構え方もあるかもしれません。それゆえプロの経営者への依存なのでしょう。ようやく変わりつつある日本型経営も私の感覚ではアメリカに比べ20年は遅れているように見えます。発想としては遅れを取り戻すというより日本型で世界を主導できる経営を確立するのもアリだと思います。追いかけるだけが全てではないと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年10月16日の記事より転載させていただきました。