「医療全体主義」の未来

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「お国のために死んで来い」が全体主義ならば、「集団免疫のために子供も大人も全員も打て」も全体主義。

メディアが煽り、国民が熱狂し、【空気】が醸成され、国家権力が動く。

「全体の利益のためなんだから多少の犠牲は目をつぶれ」

そんな国全体の空気に個人が抵抗できるはずもない。

やがて犠牲は甚大になり全体の利益を大きく損なうことに…しかし、国民が「莫大な犠牲」の事実を知ることは決してしない。

哀れな執行者である国家権力も、国民を煽ったメディアも、その立場上、国民に真実を知らせることなど決して出来ないのだ。

結果、誰も真実を知らないまま国家の破滅まで誰も立ち止まれない…。

それが全体主義の大きな特徴だ。

今回の全体主義も、前回の全体主義も構造は全く同じ。

違うのは、今回の全体主義の舞台が「戦争」ではなく「医療」であることだ。

これが「医療全体主義」の全体像と未来である。

なお破滅後、国民は自分たちが熱狂したことも忘れてシレッと「アイツらが暴走したせいだ!」と誰かを吊るし上げ責任を押し付けるのが常なのだが、その舞台の違いゆえ、かつてそれは「軍部」だったのが今回は「医クラ」ということになりそうである。