NHK番組が語る「進化」論への疑問
私はNHKの「ヒューマニエンス」という番組を毎回楽しく見ているのだが、多少気になるのは「進化」についてあまりにも楽観的というか目的論的に議論している点である。つまり、生物とか遺伝子に何か変化が起こると、何らかの目的を果たすのに便利なように「進化」した、みたいな論が多すぎる。しかし、生物学の教える進化の様相は、それほど単純ではない。
例えば生物「種」の概念は「掛け合わせて生まれた子が再び生殖できる範囲」である。例えば、人類は白人黒人何人であろうと混血児も生殖機能を持つから、すべて「ヒト科」の一種である。だから、人種差別は科学的に見ても明白に誤りである。
そもそも、全世界的に混血の進んだ現代において「純粋な○○人」など、未開民族等を除けば、ほぼ存在しないだろう。むろん「純粋な日本人」なども。分かっている範囲だけでも、日本人の起源は北方・南方系があり、縄文人と弥生人の混血もある。かつて、日本は「雑種文化」の国、と言った加藤周一の指摘は正しく、それは単に文化的な側面だけでなく、人類遺伝学的にも言えることである。
一方、ウマとロバの合いの子「ラバ」は生殖機能を欠くので「種」に数えられない。ヒョウとライオンの合いの子「レオポン」も同様だ。つまり「種」というのは結構「頑固」で、容易に入り混じったりしないのだ。だからこそ、長年にわたり同じ「種」が生息している。
生物「種」の多様性と進化の謎
ところが、自然界には数百万以上の生物「種」がいる。最も多いのは昆虫で、哺乳類などは比較的少ないが、それでも6000種以上いる(広義の動物界の0.4%)。簡単に入り混じらないはずの「種」が、何故これ程までに多様に分化したのかが謎である。それに、同じ「種」の中でも外見だけでなく生態や機能が大きく異なるものがある。植物界も同様で、同じ「バラ科」の花が、如何に多様多彩であるかを見るだけでも、私などはその不思議さに打たれるばかりだ。
これらの多彩さに対する説明用語として「進化」が使われることが多いが、そのメカニズムは全然明らかでない。私の考えでは「進化」と言う概念は、変化を後から見て、後付けでつけた知恵のように思える。そもそも、親から子が生まれて行く過程の、どこで何が変化することによって、後から「進化」と呼ばれるほどの変化が起きるのか、全然分かっていない。
例えばヒトで言えば、樹上生活中心の四足歩行から地上に降りて直立歩行し、脳体積が拡大して行く過程を「進化」と呼んでいるが、その過程が「ひとりでに」自然に起こるとは、とても考えられない。また、このような変化は、なぜ一方向にしか進まないのだろうか?
遺伝子の変異と進化論の問題点
一応の説明として、遺伝子に突然変異が起こり、その中で生息環境に適する変異を起こした種だけが生き残り、その過程を繰り返すことで結果的に「進化」が起きるのだという考えがある。
しかし、遺伝子の変異は普通、長い塩基配列の中で全く無差別に確率論的に起きるので、大半の変異は致命的である(微生物を用いた実験で分かっている)。数百〜数千以上の塩基配列からなる遺伝子の中で、たった1個の塩基が挿入または欠損するだけで、その箇所以下のアミノ酸配列は全然違ってしまうからだ(フレームシフト変異と呼ばれる)。
また、動植物のように複雑な組織体の場合、一つの器官あるいは機能に関与する遺伝子は多数あるのが普通なので、進化に遺伝子変異が影響するとしても、結果的に「良い」方向への変異が起こる確率は、かなり小さいと予測される。つまり、悠長に「遺伝子の変異」を待っているだけで、ヒトの場合、お猿に近い状態から直立歩行に適した四肢の発達や脳体積の増加は起きるのか?と言う疑問は晴れない。基本的に獲得形質(親が生きている間に獲得した能力等)は子に遺伝しないことになっているので。
だから「ヒューマニエンス」やその他の自然系番組において「ヒトを始め生物はその環境に適するように進化してきた」と簡単に言われるけれど、事態はそれほど単純明快ではないのだ。
それに、2018年の話だが、米国政府の遺伝子データバンクにある500万以上のDNAと、10万種以上の生物種のDNAを徹底的に調査した結果、驚くべきデータが出てきたのだ。それは「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内だと結論される」という内容だったからだ。恐るべき、衝撃的な結論だ。進化論が崩壊する・・。
Sweeping gene survey reveals new facets of evolution
これまでの定説は、太陽系・地球が46億年前に誕生し、35億年前頃に最初の生命が誕生し、そこから徐々に「進化」して現在に至る、と言うものだった。人間ですら、遡れば400万年前に祖先が現れたとされていたのだ。
ところが上記の研究結果では、地球上の生物の90%以上は20万年より前への遺伝子的な繋がりがない、つまり地球のほとんどの生物は20万年前以降に出現したことになる。
現存する数百万種以上の多様な生物が、ほぼ全部この20万年以内に出現したとすると、その分化の速度は恐ろしく早いことになる。なぜ、そんなことが可能になるのか・・?
有名な「カンブリア爆発」は、約5億4200万年前から比較的短期間に今日知られている動物の「門」が突如、全部出揃ったとされる現象だが、これとの整合性はどうなる・・?
私自身は、進化論と言う説をあまり信用してなくて、あの進化系統図なるものも、単に見つかった化石を古い順に並べただけじゃないの?と言う感を拭えなかったので、進化論が崩壊しても痛くも痒くもないが、進化・分化の謎が一つも解けていない事実は変わらない。
それは本稿前半に書いたように、細胞・遺伝子レベルから「進化」を考えると、以前に書いたタンパク質のアミノ酸配列選択の順列組み合わせ計算と同様、とてつもなく長い時間がかかりそうだからだ。遺伝子時計の概念を用いると、僅か20万年では、とても足りそうにない。つまり、生命の謎は、発生から進化に至る多くの段階で、未解明のままなのだ。
偏向する科学報道と生命の謎への畏敬
実は、今回この話題を取り上げたのは、この件に関する日本語報道が全然なかったからだ。科学メディアにも出ていない。もう5年も経っているのに、これは、どうしたことだ・・?
気候変動問題に対する報道が偏向していることは私もアゴラで何度も述べたが、最近、それを裏付ける論文も出た(気候ジャーナリズムは壊れている 新たな論文が明らかにした困った偏向報道)。しかし報道の偏向は気候変動問題に限ったことではなさそうだ。
上記の、生物学上の大問題もそうだし、福島第一原発でのALPS処理水の海洋放出に対する議論の取り上げ方もそうである。報道の大半はIAEA包括報告書を完全に正しいことを前提としているが、原子力市民委員会が公表した見解を読むと、その前提は相当に揺らぐ。この見解をまともに取り上げた報道を私は見たことがないが、非常に真面目に真摯に書かれた文書だと思う。心あるジャーナリストは、なぜこの見解を取り上げて議論しないのだろうか?
本稿を書いた動機は二つある。一つは、前半に長々と書いたように、生命というものが如何に不思議で謎に満ちた存在であるかをもっと広く知っていただきたかったこと、つまり科学的に真剣に考える愉しさと、常識に逆らって考える困難さ、さらに「生きていること」の不思議さ大切さ、つまり生命の貴重さを、実感して欲しかった。
それと、報道の多くが物事の上っ面しか捉えず、しばしば政治的その他のバイアスのために偏向することがあり得るので、それを見抜くためにも真に科学的な思考が重要であると訴えたかったからである。