熊が人を襲う災害が自然界で頻発している。一方SNSでもトロールが人々を誹謗中傷しネットリンチにかける”暴行”が連日発生している。中でも「X(旧Twitter)」は、実名を必要としていないためか暴言の程度も頻度も比較的高い。このXでは、政治家の多くが根拠のない中傷や侮辱に悩まされており、SNSの積極活用と風評対策には軒並み苦労しているように見える。
誠に厄介なXだが有効活用している事例も散見される。例えば玉木雄一郎国民民主党代表は、Xを政治活動に積極活用して一定の成果を得ている公人の筆頭格であろう。
虎穴に入らずんば虎子を得ず
先日も玉木氏の瞬発力が遺憾なく発揮される瞬間を観測した。
それは「社会保険問題」(高齢者医療と保険料負担)に関する投稿での出来事だ。言葉足らずな投稿で炎上し、医療従事者を含む多くの読者(Xユーザー)から叱責や反感の表明を受けた。しかし炎上事態を認識するや否や速やかに次のような「お詫びと釈明」を連投した。
【お詫びと釈明】さすがに、これはあまりに「ザクっと」言い過ぎました。当然、診療報酬は医者の給料だけで成り立っているわけではありませんし、例えば、お医者様も勤務医と開業医では状況も異なることなどは理解しています。誤解を与える「ザクっと」した説明、お詫び申し上げます。ただ、どうすれば… https://t.co/tfRf0PEiJT
— 玉木雄一郎(国民民主党代表) (@tamakiyuichiro) November 1, 2023
すると、本気になった現役の医療従事者たちから、逆に核心を突いた改善提言リプライの数々(後述)を収穫することになったのである。これがわずか一晩の間(前夜から翌朝まで)での出来事だ。
なお、その経過について本稿では再現しない。なぜなら玉木氏自身が投稿の問題点を認識し、上述の通り速やかに「お詫びと釈明」投稿を行い、その後に削除したからである。
医療従事者による核心を突いた改善提言の事例
一例として、速やかに提言してくれた現役医師の方の記事から、その要点を抜粋すると以下の通りである。(くれぐれも誤解の無いよう、詳細は当該記事をご参照頂きたい。)
「現役世代の負担増を抑えながら我が国の医療制度の持続可能性を確保」する案を提案させていただきたくコメントいたしました。私の案は以下の通りです。
・病院集約化
・「医療における費用対効果の検討」を推し進める
・高度医療提供の適応を(臓器移植のように)年齢で区切る
・高齢者の負担増
・医療関係者の給与削減・優遇税制措置の撤廃など
(『玉木雄一郎(国民民主党代表)さんへ、我が国の医療制度の持続可能性を確保するアイデアです〜医師の視点〜』より引用)
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という諺はあるが「虎穴に入る(リスクをとる)」は単なる必要条件にすぎず、その裏「虎穴に入れば虎児を得る」は常に成立するわけではなく、大抵は致命傷を受けるものである。
しかし玉木代表は本件については「虎穴(X)に分け入り虎子(:政策ヒント、国民の意見)を得る」を実現させ“生還”したわけである。御見事。
「後期高齢者医療費」問題
知っての通り、「後期高齢者(75歳以上)医療制度」には歪な財政負担構造という問題がある。負担構造に加えて現状既に大きな赤字という財政バランスにも問題を抱えており、その持続可能性に疑問符が付いている、という状態である。国民皆保険を実現している日本では75歳に達するとそれまで加入していた健康保険から「後期高齢者医療制度」に加入先が切り替わるが、今のままこの制度を維持できるとは考えにくいのである。
例えば、池田信夫氏の論考(※)によれば、後期高齢者医療費はおよそ18.4兆円で、そのうち後期高齢者自身が払う保険料と窓口支払い(つまり自己負担相当)は合計3兆円(16%)に過ぎず、残りの15.4兆円(84%)は国と75歳未満が加入する健康保険、つまり“現役世代”と若年層が負担している状況である。
※『現役世代の老人医療支援にただ乗りする「寝たきり大黒柱」 』から金額を引用して筆者が比率を計算した。2022年の数値。)
なぜこのようなことになったのか。当該記事では経緯にも簡単に触れていたので抜粋する。
特に問題なのは、巨額の赤字を出している老人医療である。問題の始まりは、1969年に美濃部東京都知事が70歳以上の老人医療無料化を打ち出したことだった。その後多くの革新自治体で無料化され、1973年に田中内閣が全国で無料化した。
「老人医療無料化」で健保組合の財政は破綻した
これは一時的な人気取りだったが、その後30年も実質的に無料化が続き、その赤字を市町村の国民健保が負担し、その赤字をサラリーマンの健保組合からの拠出金で埋めた。これは負担と給付の関係が不透明だったので、1999年に健保組合が不払い運動を起こした。その結果、2002年に1割負担になり、2008年に後期高齢者医療制度が独立し、健保組合からの支援金が明確になった。(同記事より。太字は筆者)
簡潔明瞭な経緯の説明だ。ただ、「一時的な人気取りのはずが、その後30年もの間、実質無料策が続いたのはなぜか」がよくわからない。そこで厚労省サイトを確認すると、下図のような資料があった。
高齢者医療制度の歩み(厚労省の説明)
要するに、
『命を預かる医療』という大義名分の前では政治的なリーダーシップが機能せず、『医療費ブラックボックスの拡大』という医療費高騰の仕組みが残存し、保険料を粛々と支払う現役世代がその代償を背負い負担増に耐え続けて今に至った。
このように理解しても事実からそう遠くはないだろう。また別の角度から見ると「誰でもいつかは高齢者になるのだから(=お前も高齢者優遇をいつかは享受する側になるから)許容せよ」というロジックの前に沈黙してきたのが現在の姿である。
人口推計試算に照らせば現行制度の破綻は自明
厚労省はまた、下記のような図の中で「我が国は、世界最長の平均寿命や高い保険医療水準を実現」したとし、「これを支えてきたのが国民皆保険制度です」と説明している。
しかし、75歳以上の人口と“現役”世代(75歳未満)の比率を人口推計に照らして確認すると、近い将来この「国民皆保険制度」、特に「後期高齢者医療制度」を支えきれなくなることは自明である。まずは総務省と厚労省のデータで将来推計を確認する。
推計に基づく人口ピラミッド
下記数表はわが国の総人口と高齢者人口について1950年から2020年までの推移(~2015年までは国勢調査、2019年・2020年は人口推計、2025年~2040年までは将来推計)である。「老人医療費の無料化」が始まった1970年頃の75歳以上人口の比率は2.1%に過ぎない。これが足元の2020年には14.9%、2040年には20.2%まで上昇するものと推計されている。5人に1人は75歳以上という高齢化社会である。
更に人口ピラミッドの図を参照すると2060年には75歳以上の比率は27%まで上昇するが、20歳~74歳までの人口を75歳以上人口でわると約2.24となる。つまり医療制度に関しては「約2人の“現役”世代で1人の後期高齢者を支える」という比率であり、2025年推計の「約4人で1人を支える」から一気に2倍近い負担となる。もちろん国が負担する部分に関しては(個人にとって)間接的な支援となるがそれは直接か間接かの違いに過ぎない。
見るからに赤い部分(75歳以上)の面積が大きく歪な構造である。しかし雰囲気は伝わってくるが明瞭ではない。そこで年齢別人口構成比をシンプルな円グラフにすると以下の通り。
【2020年後期高齢者(75歳以上)比率】
2020年において、75歳以上人口は14.9%であった。
【2040年後期高齢者(75歳以上)比率】
2040年になると、75歳以上人口は20.2%に上昇する見通しである。
【2040年80歳以上高齢者比率】
80歳以上高齢者の比率を計算すると2040年になっても14.2%に留まる。劇的に低下するわけではないが、負担割合で見るならば、現状(2020年)の75歳以上とほとんど変わらない水準に抑えられる見通しとなる。
これらの将来推計を見て感じるのは、「高齢者」や「後期高齢者」の定義を変えて、「支える側」と「支えられる側」の比率を変えない限り、歪な構造がいつまでも残り、財政的に厳しい局面を迎えるのではないか、という不安である。そこで、少なくとも下記2点について提案したい。
提案①:「高齢者・後期高齢者」の定義変更
現行の「高齢者医療制度」は、遠くない将来のどこかで財政的に支えきれなくなると考える。その時“ハードランディング”が起これば医療制度にも高齢者にも苛烈な状況が出現するだろう。
そこで制度の持続可能性を追求するならば、「高齢者」の定義を例えば「85歳」など大幅に後送りすることが論理的に妥当な選択肢の一つである。
あるいは年齢で一律ではなく、「健康年齢国民皆試験」などを実施して「柔軟かつ明瞭な、健康実態に連動した高齢者認定制度」を始めることも検討すべきではないだろうか。
これらによって、現行よりも「後期高齢者」の規模が小さくなるので支出が抑制できるだろう。また支える側の比率が上昇するので後期高齢者制度を支える側、つまり収入を増やす余地ができるだろう。
提案②:「医療実態把握」のための調査
根本的に支出を抑える策を立案するためには、まずは医療内容の実態を国として調査・捕捉する必要がある。現場の医療者からも疑問視されるような延命措置やその他諸々の高齢者医療については、その実態把握が急務である。
世界的な感染症が広がった2020年、医療に関して何らかの基準を設けて線引きすることの難しさが改めて確認できた。結局、政治が勇気をもって十分な政治的リーダーシップを発揮したとは言いにくい。(ただしそれはゼロではないし、初見の問題という制約を考慮すれば健闘したと評価できる。)
また、それはわが国の政治家だけの問題ではなく、国民の側にも応分の責任があると考える。
「合理的だが倫理的には判断しにくい」という属性の問題について、後世の評価に耐える仕事を政治家にしてもらうためには、その基礎となる実態把握がまずは大前提である。
それはまた、国民の側にも「自己負担は避けたいが、国には高水準の福祉サービスを維持して欲しい」という考えが通用しない時代が到来したことを認識してもらうためにも必須の根拠データとなるだろう。
むすび
上記の提案には、もちろん技術面に様々な障害はあるだろう。しかし「現行制度では財政的にも破綻する」という見通しを前提とするならば、もはや問題の先送りは不可能である。今のままでは、先の推計によれば2040年には日本の人口の約3分の1(35.3%)は「高齢者(65歳以上)」となる見込みだという。また、医療に限らず社会全体に視野を拡げれば「“現役”世代1.8人で1人の高齢者を支える」という社会になるが果たしてそれが可能であろうか。筆者はそうは思わない。
玉木代表は、果敢にこの問題の検討を開始した。また維新の会・音喜多政調会長も言及し始めている。率直に言えばこの問題は政治家にとって、政治生命をかける覚悟を要する、大きなリスクのある課題だ。粗い言及の仕方をすればたちまち足をすくわれるだろう。
他方GDPで日本はドイツに抜かれ世界第四位になる見込みであると報じられている。今構造改革に取り組まなければ、予想通りに“超”高齢化社会が到来し、今以上に活力のない日本が出現することになる。既に「若者が将来に夢を抱けず、結婚も子育てもままならない社会」になり始めていることは合計特殊出生率1.26(2022年)にも現れている。
政治家には勇気を出してこの改革に取り組んで頂きたい。
そして我々国民もまた、改革に取り組む政治家を、党派性を超えて応援すべきではないだろうか。まずは勇気を出して問題提起と検討を開始した玉木雄一郎代表にエールを贈りたい。