停戦(ceasefire)か休戦(truce)か一時中断(pause)か

篠田 英朗

ガザ危機をめぐり、日本語でわかりにくいニュースが流れている。世界中でイスラエルの軍事行動に憤っている人々が、即時の「停戦(ceasefire)」を求めている。

10月27日に121票(反対14票)の圧倒的多数で採決された国連総会決議は、「人道的休戦(truce)」を要請していた。停戦が、紛争当事者間の正式な合意文書の取り交わしを要件とするものだとすると、その含意を和らげたものだろう。イスラエルの軍事行動の停止を求めている点では、「停戦」と「休戦」の間に、それほど大きな違いはないと言える。

国際連合総会会議場 Wikipediaより

これに対して、アメリカは、「人道的一時中断(humanitarian pause)」の概念を振りかざして外交攻勢に出ている。日本やオーストラリアなど、国連総会決議を棄権したアメリカの同盟国が、これに追随する発言を繰り返している。

「一時中断」は、ガザ市民のための人道援助を可能にするため、一時的にだけ軍事行動を止めてほしい、という要請である。「停戦」とは全く異なるので「一時中断」だけを求めている意図は、ブリンケン国務長官が、「停戦はハマスを利する」として停戦には反対する意向を明確に示していることから、明らかである。

アメリカは、安全保障理事会で拒否権を発動して「人道的一時中断(humanitarian pause)」を謳ったブラジル提案の決議案を葬り去った。その際、アメリカは、その理由は、イスラエルの自衛権が明示されていなかったからだ、と説明した。自衛権明記の上で「一時中断」するのは良い、と考えているということになる。

イスラエルの自衛権行使の合法性は、一つの論点ではあるだろう。「停戦」論者の中には、イスラエルの自衛権行使を認めない立場も含まれているかもしれない。しかし実際には、10月7日直後にかなり感情的なイスラエルとの連帯を表明してしまったので、イスラエルの軍事行動に批判的な態度を取りにくくなり、苦肉の策として、「一時中断」を述べ始めた、というのが本当のところではないだろうか。

仮にイスラエルの自衛権行使(jus ad bellum)を認めたとしても、イスラエルの軍事行使の方法が国際人道法違反(jus in bello)に該当することがほぼ明白な状態であるために、諸国は軍事行動そのものの停止を求めている。

理論的には、自衛権行使を認めながら、国際人道法違反を指摘して是正を求める立場もありうるだろう。私自身は、10月7日直後は、そのような立場に近い考えを持っていた。ほとんど期待ないしは要請、あるいは祈りに近い気持ちで、そう考えていた。

しかしイスラエルの軍事行動は、一貫して継続的に国際人道法違反の状態で行われている、とみなさざるをえない。個々の行動の是正を求めている場合ではなく、イスラエルの国際人道法を無視した態度を前提にしたうえで、そうした軍事行動の停止を求めざるを得ない段階に入っている。

それが国連総会決議の意味であり、「一時中断」に支持が集まらず、「停戦」を要請する声が強まる一方である理由だろう。

私自身も、紛争当事者に国際人道法を遵守する意図がない場合には、自衛権行使の合法性を強調して、あとは「人道法忘れないでね」と付け加える態度は、全く不十分だと今は考えている。

日本政府は、アメリカに追随する姿勢を崩していないが、問題の解決を目指した立場とはみなされず、多数の諸国の賛同を得ることは難しいだろう。仮に「一時中断」を主張する場合には、「せめてイスラエル政府はこれくらい・・・」といった前置きをして、「停戦」の主張に妥当性があることを理解している立場を示すような配慮が必要だろう。

いずれにせよ、その場限りの近視眼的な姿勢ではなく、「国際社会の法の支配」を推進する立場から、後世の評価に耐えうる姿勢は何か、という問いも考えてみてほしい。