アメリカはなぜ安倍晋三を賞賛したのか(古森 義久)

首相官邸HPより

顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久

アメリカの首都ワシントンで記者としての取材活動を続けていると、安倍晋三氏がまだ健在であるような錯覚に襲われることがよくある。そして、はっと、させられるのだ。

私が長年の報道拠点としてきたワシントンで、2023年10月という時点でも、そんな思いをさせられた。安倍氏が暗殺された2022年7月8日から1年3ヵ月ほどが過ぎていた。だが安倍氏はなお活動中だとつい思わされるのだ。

なぜかといえば、この時点でもまだアメリカ側の政府、議会、研究機関の関係者たちが安倍氏の施策や業績を話題にすることが多いからである。とくにアジアやインド太平洋の政策にかかわる米側の関係者たちは安倍氏がなお健在であるかのように語るのだ。

安倍氏が進めた政策がアメリカ側にとってもいま活気を高め、勢いを強めているという感じなのである。そこからは、その背後にはご本人がまだあの微笑とともに姿勢よく立っている、というイメージまでが浮かんでくるのだ。

たとえば23年8月にワシントン近郊の大統領山荘、キャンプデービッドで開かれたアメリカ、日本、韓国の3国首脳会議では3国のかつてない防衛協力の強化が合意された。北朝鮮や中国の脅威に備えての3国の軍事要素の強い連帯だった。その直後にはアメリカ政府内外の識者たちから「この前進はまさに安倍晋三首相の政策の産物だ」という見解が語られたのである。

このようにアメリカ側では安倍晋三氏への賞賛がいまなお表明される。なぜ当の日本よりも強いと思われる安倍氏への前向きな評価がこれまでも、そして同氏の死後のいまも述べられるのだろうか。

その点に多角的な光を当てた書を私は上梓した。『アメリカはなぜ安倍晋三を賞賛したのか』(産経新聞出版)というタイトルの本である。

安倍氏は周知のように、この日本戦略研究フォーラムの最高顧問でもあった。2022年4月21日には同フォーラム主催のシンポジウムで格調の高い演説をしている。「台湾海峡危機と日本の安全保障」という主題だった。

ワシントンでは安倍晋三首相がなお健在と思わされる体験をこの9月18日にも味わった。この日の夕方、アメリカ連邦議会の議事堂下院側の一室で福島産をも含む日本の水産物を賞味するパーティーが開かれた。主催はワシントンの日本大使館だった。地元の寿司レストラン「鮨小川」の練達のシェフが日本の新鮮な魚を使って作る寿司を下院議員たちが食べるという集いだった。

しかしその背後には日本側からの強烈な政治メッセージがこめられていた。東京電力福島第一原子力発電所が処理水を海洋に放出したことに対して中国政府が「汚染水だ」と断じて、日本の水産品の輸入を全面停止した。しかしその処理水の安全性は国際原子力機関(IAEA)によっても完全に証明されている。アメリカをはじめとする主要諸国もすべて日本の安全性の主張に賛成している。

だからこの時期に日本の魚を使った寿司を食べることは日本側の主張に同意し、中国側の主張を非と断じることになる。

この議事堂内のそんな集いになんと現職の下院議員が共和、民主両党40人ほども出席し、みなおいしそうに寿司を食べたのだ。そのなかには福島沖でとれたヒラメやスズキも入っていた。

さてなぜこの出来事が安倍晋三氏につながるかというと、この寿司パーティーに顔を出した下院外交委員長のマイケル・マコール議員が「いまや日米同盟も、アメリカと日本のそれぞれの中国への政策も、安倍晋三首相が示した路線を着実に進んでいますね」と語ったのだった。

マコール議員には私は何回か接触したことがあり、今回も一対一の立ち話のなかで、同議員はごく自然にそんな言葉を口にした。ベテランのマコール議員はもちろん安倍首相との直接の交流があったのである。

さらに現在のアメリカで安倍氏の軌跡を強く想起させるのは、ドナルト・トランプ前大統領の活発な動きである。トランプ氏は民主党、共和党の激突のなかでいまアメリカ政治の最大の論議の的だといえる。そのトランプ氏と安倍氏とが緊密な絆を築き、4年ほども日米関係に特別な時代を生んだことは米側でも周知の事実だった。

日米の首脳同士の「相棒」とまで評された親密な仲はトランプ大統領に安倍首相への信頼とまで呼べる態度をとらせた。「アメリカ第一」を唱え、外国の代表には冷徹な姿勢でのぞんだトランプ大統領としては珍しく、安倍氏には「シンゾーはすばらしい男だ」などと、礼賛の言葉を惜しまなかった。

その結果としてトランプ政権は中国への厳しい対決姿勢のなかで日本との同盟強化を強調し、尖閣諸島の防衛誓約を明示した。トランプ大統領は安倍氏が悲願としてきた北朝鮮による日本人拉致事件の解決へも積極的に協力した。

トランプ大統領は国連総会での演説で横田めぐみさんを「日本の13歳の優しい少女」と呼び、日本人拉致の悲劇を全世界に向けて語り、事件の解決を訴えました。金正恩朝鮮労働党総書記に直接、拉致された日本人の即時解放をも求めたのだ。その間、トランプ大統領は拉致被害者の日本人家族とも何度も面会していた。安倍首相の意向をくんでの言動だった。

こんな経緯を知る人間には、いまもなおトランプ氏の脇に立つ安倍晋三氏の姿が浮かんできてしまうのである。

しかしアメリカでの安倍晋三氏に対する反応はかつてはかなりの批判や非難があった。だが安倍氏はそれを乗り越えて、米側の超党派の賞賛を獲得するようになったのだ。私はその複雑な経緯をこの書『アメリカはなぜ安倍晋三を賞賛したのか』で詳細に報告した。

古森 義久(Komori  Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年11月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。