10月9日に発表されたノーベル経済学賞は、クラウディア・ゴールディン氏というアメリカの女性経済学者による、男女の賃金格差の要因に関する研究に対して与えられました。
これに対して、X(twitter)で、日本における「反フェミニズム」の人たちの主張がゴールディン氏の研究には含まれているとか、いやいやそうじゃないとか、論争が起こっていたのをチラ見していたんですが、忙しくて深入りできずにいたところ、やっと月末に時間を作ってゴールディン氏の著書を読みました。
著書を読んだ感じで結論から言うと、以下の四点のような感じなんですね。
- 日本の「反フェミニズム論者」の言ってる内容が含まれている…とまでは言えずゴールディン氏本人はそっちの方向に理解される事を警戒している感じではあるが、一種の論理的帰結としてそういう要素が”含まれている”ぐらいは言えそう。
- もちろんゴールディン氏は「フェミニズム寄り」の立場ではあるが、ただすべてを「上の世代(あるいは”男という種族”)の差別意識が元凶」だという事にしてなんでもかんでも糾弾していれば改善するという発想からも距離を置いている。
- むしろ、「男女の賃金格差」は「差別意識」とは違う”ある経済の構造”から来ていると分析しているのがポイントで、解決策の方向性も一応示されてはいる。
- そういう意味で、「誰かの”差別意識”が問題だ」という話を延々やっているタイプのジェンダー論壇みたいなものからも結果的に距離を置いているのがこの研究の特徴で、その知見を日本に活かすにはどうしたらいいか?について考えるべき。
端的に言えば、
「反フェミニストの意見を後押し」しているわけでは全然ないが、「世界のあらゆる問題の原因がジェンダー関連の”意識の問題”だ」として糾弾しまくるタイプのフェミニストとも違うビジョンを描いているのがゴールディン氏の研究
…というように言えると思います。
SNSで「いつもの罵りあい」を続けるのが”生きがい”になってる人もいるでしょうからそういう人は続けてもらってもいいんですが、それとは全く別のところで、ゴールディン氏が提示した「賃金格差の原因」が何で、その「解決の方向性」を日本でも実践していくにはどうしたらいいか?を議論する場も必要ですよね。
特に、ゴールディン氏が示している「解決の方向性」はアメリカ社会ですらほんの一部の分野ですら実現しておらず、他の分野に応用していくには、それぞれの業界・地域特性にフィットした実地の工夫の積み重ねが大量に必要とされる領域があるはずです。
特に日本の場合のこういう議論で最悪なパターンは、海外在住で長いこと日本にいないとか、あるいは外資系企業とか海外アカデミアとかの「日本社会と繋がりの薄いキャリア」を経てきた人が「日本社会に提言」を行う時に、その提言が「日本社会の実情」とあまりに乖離していて現実に実現しようがないというギャップが放置されてしまいがちになるところです。
その「現実の細かいミスマッチをすり合わせる事が必要な段階」にまで来てるのに、大上段から「日本社会って遅れてるよねーはあー地獄だわー」みたいな言説だけを放置していると相互憎悪は募るばかりですし余計に解決の積み上げも行っていけない。
一方で私は、外資コンサルで欧州のグローバル企業のプロジェクトにいたこともあるし、今は日本の中小企業のコンサルタントなのでどちらの世界も一応わかる。
それだけじゃなくて、コンサル業のかたわら色んな個人と文通をしながら人生を考えるという仕事もしていてそのクライアントにはそれこそ”老若男女”色々な人がいます。
学者とかお医者さんとかアイドル音楽の作曲家とか農家の人とか、そういう特殊な職業の人もいますが多くはいわゆる「勤め人」で、だいたい半数は女性で、下は20代の人から上は60代の人まで、地方から東京から海外在住の人まで、色んな人生のあり方に触れてきたところがある。
好きなドラマとか漫画とか音楽の話をしてたりお子さんの教育問題の愚痴を聞いていたりとかの事も多いのでそんなに「キャリア論」を話してるわけではないですが、そういう意味で「色々な立場の女性から見た実地の日本社会の今」を色々な角度から知れる立場にいるとは言えると思います(”文通”にご興味があればこちらからどうぞ)。
で!
特に日本社会で「今」働いている30代ぐらいの女性で子育ても・・・という場合、例えば10年前とかと比べても全然違う環境があるし、「日本の会社」とのミスマッチを丁寧に解きほぐせばお互いにとってベストな関係性を作っていくことが可能な方向も見えてきてるんじゃないかという感じがしているんですよね。
そしてそれこそ、「ゴールディン氏の改善提案の方向性」にかなり近いものだと感じているので、そのあたりについて深掘りしつつ、「ゴールディン氏の提言」を日本社会で活かしていくための実地の議論を掘り下げる記事を書きます。
まずこの前編では「ゴールディン氏の主張とはどういうものか?」のまとめ。
そして続く後編では「ゴールディン氏の主張を日本社会で応用するために必要な議論とはどういうものか?」について書きます。
1. ひとつめのテーマは”女性の社会進出の歴史分析”
ゴールディン氏の著書のテーマは大きく2つに分かれていて、一つは、なんと”19世紀末(すごい)”から現代にいたるまでの、百数十年にもわたる女性の社会進出の流れを世代ごとに5グループに分け、それぞれその時代にはどういう事が問題視され、どういう風に社会が変わってきたのか?という分析です。
最初期にはそもそも結婚したら”絶対”退職しないといけないみたいなルールが社会のあちこちにあった状態から、なんだかんだ「家庭と仕事」を両方取る人たちが出てきて、さらに単に従属的な仕事でなくいわゆる「キャリア」志向の女性が出てきて、さらに「キャリア志向でさらに子供を持つ」人たちが出てきて…みたいな百年を超える歴史のプロセスが描かれます。
以下画像は、世代ごとに「家庭かキャリアのどちらかしか選べなかった」時代から、徐々に「キャリアも家庭も」実現できるように変化してきた事がわかると思います。
読んでいて印象的だったのは、ある種の「世代間の価値観の違い」で揺れ動きながら螺旋状に人々の価値観が変わっていく様子ですね。
多くの女性は、「一世代上の女性」の生き方を参考にしたり反面教師にしたりして自分の生き方を決定していくことになる。
例えば第二次大戦前後ぐらいの時期において、「上の世代の女性」は、「キャリアを取るなら当然家庭は捨てる」形になっていて、「下の世代の女性」はそれは嫌だな、と思ってとりあえずむしろ結婚する道を選んだが、その後仕事ができるように教師などの「手に職つける」学問を身につける例が多かった、とか。
逆に、そういう世代↑の女性が「男と並び立つようなキャリアを諦めてしまった」と感じた下の世代の女性は、どんどん結婚・出産を遅らせるようになり、「ハイキャリア」を目指して研鑽するようになっていった。
一方で、その「ハイキャリア志向」の女性たちはいずれ以下のような問題に直面することになります。
しかし、第4グループの女性たちに、「生物時計の針が進んでいる」という警告を発する者は誰もイなかった。35歳をすぎると妊娠率が急激に下がるという医学的データがまだ確率されていなかったのだ。卵子の老化によって赤ちゃんに先天性異常が出る可能性を視野に入れている人は誰もいなかった。第4グループにとって、問題なのは妊娠を「防ぐ」ことであって、妊娠することではなかった。母親になるのを遅らせてもそれほど影響はないと信じていたのだ。
上記の結果として、結局子供を持つことを諦めた人も多いし、一方で高齢出産技術の進展によって思ったほど出生率がアメリカの場合は落ちなかった側面もあるらしい。
そして上記の「第4グループ」に続く「第5グループ」の現代女性は、上記のような問題もすべて当然のこととして認識した上で、「できるだけ早く産みたいし、一方でキャリアも諦めたくない」みたいな問題に新しい解決策を求めるようになっている、ということですね。
というわけで、この問題については、「同じ女性でも一世代下」だと見えている世界が全然違い、価値観や優先順位がかなり違うことがありえるのだ、という事に注意すべきだという教訓が得られる側面もあったように思います。
そして上記はすべて「アメリカの話」ですが、日本もまあ、一世代ぐらい後を追いつつ似たような価値観になってきているところはある。
たまにSNSでバズってる「”古い考えの男”に対する不満爆発」みたいな話も、そういうのがアメリカでも皆無というわけでもないし、むしろ日本でもそういうネタが「燃えまくる」というのは時代が変わってきた証拠みたいなところもある。
なんせここ5年とか言うレベルで社会の雰囲気は激変しているので、「5年前の幼児の親」だった人と「今の幼児の親」が見ている風景はかなり違う可能性が高い。よく言われてる「公園で遊んでるパパ」とか「保育園のお迎えに来るパパ」比率とかもかなり変わっているはず。
そして「さらに”新しい方向性”が日本社会に定着」するためには、後に書くように「日本社会の付加価値の出し方」と噛み合った「女性(に限らず子育てしながら)の働き方」についてのオリジナルな方向性が徹底的に深掘りされていくことがどうしても必要になるはずだと思います。
で!
こうやって「歴史を遡って」見ていくと、確かに昔は、「女にこの職業が務まるわけねえだろぉ〜」みたいな「差別意識」とかを変えていくことが大問題だったわけですが、それが徐々に変わってきている事がわかるんですね。
要するに、「今の賃金格差」の主要な要因は「”ジェンダー論的”な差別意識」が原因じゃないんだ、という点がある意味でこの研究のキモで、それをかなり剛腕な定量分析から導き出しているのが「ノーベル経済学賞」的なすごいところなんですね。
それが「この本の2つめの大テーマ」ということになります。
2. ふたつめのテーマは「グリーディジョブ」こそが元凶だとする分析
これは日本における「男女の賃金差別」みたいな話でも同じなんですが、例えばある企業に新卒で入った男女がいたとして、じゃあ太郎くんと花子さんの初任給が性別を理由に違うなんてことがあるわけではないんですよね。それは違法です。
例えば5年目とかまで普通に出世していって、同じ職階で同じ残業時間とかなら、これも男女で給与が違うということはありえない。
そういう形で条件を揃えて、ゴールディン氏の本の中では色んな「同じ年に同じロースクールを出た男女カップルが同じ法律事務所に就職したとして」みたいな事例がかなり定量的に分析されています。
そういうデータ上でも、「子育て」問題が発生するまでは、男女の賃金差はほとんどない。
一方で、子供ができると、夫婦のどちらかが「柔軟な働き方」をせざるを得なくなり、それを女性側が担う可能性が高まり、結果として給与の男女格差が広まり始める事が示されている。
そして、現代社会において非常に高給である「グリーディジョブ(Greedy Jobs 貪欲な仕事)においては、「24時間365日いつでも駆けつけられる状態を維持する」ような献身こそが求められがちであると。
その時にそのカップルは選択を迫られる。
- 夫婦ともに時間に融通の効く仕事にシフトして子育てする(グリーディジョブから夫婦ともに撤退する)
- 夫婦どちらか(現状は夫の場合が多い)がグリーディジョブに挑戦し、もう一方は時間に融通がきく仕事にシフトする
上記のABの選択肢が出てくるわけだけど、今のアメリカでは、そして多分日本でも、「A」を選ぶと夫婦合計の世帯年収がかなり下がっちゃうんですね。
だからある意味で「カップル内公平性」を放棄することでBを選ぶと、「世帯年収を最大化」できて、かつ少なくともカップルの片方はちゃんと子育てに参加できる・・・というある種の「夫婦にとっての”最適”な選択」が生まれてしまう。
で、これはカップル間の納得づくの協力関係で生まれることだから、別に「性差別が原因」とも言えないところがあるから難しいわけですよね。
「女性の側がケア役割を担うべき」という”差別的な性規範”ゆえにこうなってるのが許せないというのなら、じゃあ女性側が「グリーディジョブ」に挑戦して男が負担減する選択肢を選べばいいじゃん、という話になるからですね。(もちろん、そうやって”片方がキャリアを譲った”にも関わらず、グリーディジョブを担ってる方の人が後々”誰が稼いでると思ってるんだ”みたいな態度を取るのは良くない、みたいな話は、男女逆の場合も含めて人間の信義として良くないことではあります)
この記事の冒頭で、ゴールディン氏の研究には日本の「反フェミニズム論壇」の意見がある程度含まれている側面があると書いたのはそういうところです。
で、確かにこの分析結果を素直に読むと、一種の論理的帰結として「じゃあ女性側がグリーディジョブに挑戦して男側が雇用調節してケア役割になればいいじゃん」という話は当然出てくるんですが、その方向性についてゴールディン氏は、そうする事で男女の賃金格差自体がバランスする可能性はある事は認めています。
現実にも私の知り合いにもそういう例はチラホラ出てきていますし、今後増える例であることは間違いない。
ただ一方で、ゴールディン氏は時代の流れとして、男女両方ともに「もっと子供に時間を使いたい」と思っている人が増えていて、優秀な人材を確保したければそういう方向にシフトする事が必要ですね…という流れがあることから、「女もグリーディジョブやれよ」論にはあまり乗り気じゃない感じなんですね。
そうじゃなくて、社会全体が「グリーディジョブでなくても成果を出せる形」に転換していく方向を考えるべきだ、という立場。
そして、どうすれば「グリーディジョブの非グリーディジョブ化」が可能になるのか?という例で事例化されているのは、アメリカにおける「薬剤師」関連の仕事です。
3. 仕事の標準化・システム化で「取替可能」になる事でグリーディジョブから解放される?
アメリカにおける薬剤師関連の仕事は、今は男女の給料差がほとんどなく、また、「子育てのために時間に融通の効く仕事のスタイル」を選んでいても、時間給あたりのペナルティはほとんどないらしい。
この変化が起きたここ数十年の間に何があったかというと、薬剤師業が「標準化・システム化」されて、個々人のワーカーが取替可能な存在になったからなんですね。
昔の薬剤師は、一人ずつの顧客に対して特別に調合したりする仕事が多く、顧客から見て「指名」で仕事をしている薬剤師が多かった。
でも今の薬剤師はもっと圧倒的に標準化されており、そもそも零細事業者の薬局がほとんどなくなり、巨大なチェーンビジネスがどんどん買収してシステム化が進み、「誰がやっても同じ」仕事になった。
結果として、「顧客から指名を受ける薬剤師」みたいな存在は消滅した事によって、「グリーディジョブの非グリーディジョブ化」が完成した、ということらしい。
そうすると、全体的に平均給料は増えるし、なにより時間に融通がきく仕事になることで、男女の給与格差もほとんどない状態になったという。
ゴールディン氏の著作の中で、この話が「本当にうまく行っている例」というのは薬剤師ぐらいで、そこの説得力はイマイチ弱いように思うんですが、この「標準化によって取り替え可能な存在になる」事がむしろ「男女賃金格差を解消する上で重要」というのは、一般的に思われている以上に応用可能な方法だと思います。
4. 「標準化・システム化」による効率上昇が役に立つ側面は必ずある
以下の私の本でも詳しく書いてあるんですが、日本の中小企業が他国に比べて「零細」サイズのまま放置されている企業が多く、結果として「取替不可能」な状態の仕事であるゆえに長時間労働や薄給から抜け出せない例が多いということは、かねてから色んなところで指摘されている点ではあります。
上記の本では、実際にクライアント企業で10年で平均給与を150万円ほど引き上げられた事例などを紹介しつつ、そのあたりの変化について述べていますのでご興味があればぜひ。
例えば「経理の人が一人しかいない」サイズの会社なら、繁忙期にその人が死ぬ思いをするのは避けられないので、その人が「柔軟な働き方」ができるわけがない。
これは単に「子育てのために」というだけじゃなく、別に子供がいない人でも休日の取りやすさといった観点からも同じ問題があるといえるでしょう。
それが、経理の人が数人いて、仕事を抱え込まずにお互い取り替え可能な状態が維持できる規模であるなら、比較的状況に応じて融通効かせることは可能になる。
また、そのぐらいのサイズになれば「当たり前のIT投資」とかも可能になるので、そもそも経理作業みたいなものひとつとっても同じ作業とは思えないぐらい効率化している可能性も高い。
「標準化」に全然なじまないように思われている「営業」の仕事みたいなものも、最近は「個々人のスキルと度胸」でフルコミッションで売るみたいな世界はだんだん少なくなってきてはいて、見込み客集めからそこへのコンタクト、契約からのアップセルのタイミングまですべてシステム化されていて、
素人を集めて言ったとおりに動いてもらう
…事でむしろ成果を出す流れになりつつある。「顧客」を「担当者」だけで囲い込ませないようにする流れも普通に起きている。
先述した私の本でも書きましたが、今日本中で「あまりに零細のまま放置されてきた日本企業を”資本の力”で統合して”戦えるサイズ”にし、新時代風の仕組みを導入して効率化していく」流れは絶賛進行中なので、その「動き」と丁寧にジェンダームーブメントは協業していく事が今後必要になってくるでしょう。
5. 欧州の女性の社会進出は「プロの経済プラン」と表裏一体だった
ただ、この「標準化・システム化」を進めるということは、「強みの源泉」は単に使える資本力の多寡に限定されてしまう懸念もあるんですよ。
ゴールディン氏も、「零細薬局がなくなって全部巨大資本運営のチェーンになってしまった」事に対してかすかな懸念を感じているような書きぶりだったりしますし、「薬剤師でできること」が他の業界でもできないか?を考えていくにあたっては、それぞれの業界の特性をちゃんと理解した上でそれぞれ特別な方法論を考えていく必要がある。
つまり、「標準化・システム化」を問題なく行うためには、むしろその企業(もっと言えばその国)にとって「標準化しえない部分」における強みの源泉がどこなのかをちゃんと深く考えた上で、そこが崩壊しないようにしながら進めていく必要が出てくる。
また、「標準化のゴリ押しがキモ」みたいになると、英語圏の、しかもアメリカの企業が一番「押し付けるパワー」があるので、同じことを日本がやったら単に競争に敗けるだけに終わる可能性もあるんですよね。
アメリカさんのズルいところは、こうやって「グリーディジョブはやめましょう」みたいなムーブメントを世界中に売り込んでおいて、日本でも「そうだ!グリーディジョブが温存されているから日本はダメなんだ!」みたいな流れが流行して労働時間を減らしていく中で、実物のアメリカの「本当に強みな分野」では相変わらず馬車馬のように働き続けることを決してやめない・・・みたいな「言ってることとやってること違いすぎないですか?」みたいな事なんで。
特に、既に労働時間の統計で日本はそれほど「労働時間」が長いわけでもなく(OECD30位でしかなく、アメリカも韓国もイスラエルもはるか上でもっと働いている)、韓国や中国といったライバルが馬車馬のように働きまくって追い上げてくる、追い抜いてしまった部分もある…中で、「日本企業の経営者は無能だから働かせすぎている」みたいな事ばかり言っていられるのかどうか、みたいな話はある。
そういう部分も含めて、単に「アメリカみたいになんでやらないの?バカじゃないの?」「日本は遅れてるよね」とか大上段に言っていればよかった時代はもう終わっているんですね。
そうじゃなくて、「欧米でもなく英語圏でもなく、人口構成も世界一高齢化している国」という特殊な条件とちゃんと向き合って、オリジナルな解決策を作っていくことが必要な時代なんですよ。
20世紀末、世界一だった日本経済に押される形で欧米では色々な改革が行われたわけですが、アメリカも欧州も「日本のやり方」を参考にしつつ結局それとは全然違う自分たちの強みが活かせる方向を見出していったわけですよね。
アメリカが「英語圏で覇権国家」の強みを活かしてIT分野で次々とデファクトなしくみを作って世界中から集金するエコシステムを作っていったように、欧州も色々な意味で「経済転換」を行っていったわけですが。
同時期に、欧州ではワークシェアリングとかを含めて女性の社会進出が進んで、それが「古い構造を温存しようとする力」を乗り越えるテコになった側面は大きいらしい。
上記に書いたように、今日本社会も「経済構造が地味に転換していく流れ」自体は起きているんですが、それは「この仕事は俺だけのものだ」と抱え込んでいるタイプの人の利害とぶつかるところが難しいんですよね。
でも、一世代前の欧州が「女性の社会進出によって雰囲気が変わる流れ」を利用できたように、日本社会の女性の社会進出も、それが「考え尽くされた経済構造の転換」と表裏一体に進めるようになっていけば、今はアチコチがすれ違いになっている歯車がしっかり噛み合って前進していけるようになるでしょう。
要するに、
- 欧州における女性の社会進出には、「自分たちらしさを徹底的に掘り下げて経済的に勝利をするプロの戦略」と表裏一体だったから実現した。
- 日本における女性の社会進出は、そういう「自分たちならではの価値の掘り下げと新時代に向けた勝ち筋を練り上げる」みたいな作用と分離してしまっていて、ただ単に「日本って遅れてるよねえ〜ああ嫌だ嫌だ、地獄だよねえ〜」ってボヤくことしかしていないから押し合いへし合いになって進まない
…という風に理解するべきタイミングなのだと思います。
6. ジェンダームーブメントが手を組むべきは「●●●騎士」ではない
要するに、ジェンダームーブメントが日本においてガッチリ手を組むべきは、四六時中なにかあったら
そうだよね〜日本って遅れてるよね〜ほんと嫌になるよねえ〜君はぜんぜん悪くないよぉ〜
…って何時間でもヨシヨシしてくれるタイプの勢力じゃないってことです。
こういうのを、ネット用語で「●●●騎士」(男性器の隠語が入ります…汚い言葉ですいません)と言いますが、こういう態度を取る人がちゃんと「男女平等」を本当に目指しているかというとかなり怪しい。
以下は先述の私の本からの図ですが、とりあえずそこに「課題がある」と周知されるまで(滑走路段階)に必要なモードと、「課題が認知されてから解決に至る」まで(飛行段階)に必要なモードは違うんですね。
女性の社会進出は当然のように起きていて、そこにあるミスマッチを色々と具体的に解決していかないといけないですね、というのが既に圧倒的な「合意」レベルになっている現状において、「単なる恨み言」「日本社会のローカルな事情と向き合う気がない断罪」とかやればやるほど単に相互憎悪が募るだけになってしまう。
いかに「ローカル社会側の切実な事情」を解像度高くすくいあげ、具体的なミスマッチを無数に解消していけるかが大事な時代になっている。
上記記事に書いたように、「今既に起きつつある日本経済の構造転換」は、そういう「経済の効率性」を追いつつも、日本社会の末端がアメリカ社会のようにスラム化しないように両取りの着地ができるかどうかについての、非常にデリケートなチャレンジなんですね。
そういう「デリケートな課題」に真剣に向き合うほど、「日本社会って遅れてるよねえ〜嫌んなるよねえ〜」みたいなレベルの言説の出番はないし、そういう「●●●騎士」とつるんでいる限り日本社会における「ジェンダー課題」は余計に解決から遠のいてしまう。
「そのローカル社会の切実な事情」に向き合う気がなく、ただ聞きかじりの幻想から文句を言うだけの人達と、逆にそういう「一般論でしかないもの」が自分たちの強みの基礎を掘り崩してしまわないように必死に「バックラッシュ」をしかける人たちには、SNSで常時開催中の永久戦争で両方とも疲弊していただいて、徐々に共倒れになっていただければ幸いです。
しかし「ジェンダームーブメント」的なことに熱中している人だって、逆に「熱烈な反フェミニスト」みたいな人だって、それなりの社会経験がある人は特に若い世代には多いですから、そういう層も巻き込んで、「ちゃんと具体的なミスマッチを解消していく」動きをエンパワーしていければいいですね。
前半の結論
ゴールディン氏の研究は、いわゆる「ジェンダー論の内輪の茶話」において「古い社会の差別意識が全ての元凶だ」みたいな話を延々とやっているレベルを一段飛び超えて、「結局今の経済構造や会社の制度のどういうミスマッチがあってどこを変えればいいのか」が具体的に見えてくる研究であった点が非常に優れていたように思います。
要するにそうやって「何段階かブレイクダウン」して、具体的な話にはいっていかないと問題は解決できないんですよね。
私が何度も言うことですが、「私立大学医学部入試の差別問題」を扱う時に、ちゃんと話を「医療制度改革」まで持っていかないで「ただ差別したいからしてるんだろう」みたいな茶話をしていても結局どこか別のところにシワ寄せするだけの弥縫策しか出てこない。
全部「意識の問題です」みたいな話を延々とやって、ほんの一部の男の「失言」を超絶大問題のように叩きまくっていれば社会が前に進むという幻想を乗り越えるべきが来ています。
逆に言うと、そうやって「その社会の本来的な特徴と噛み合った女性の無理のない働き方」が具体的な制度として動き出してこそ、そういう「失言」をする男を本当の意味で抑止することがはじめて可能になるんですよ。
そういう意味で、ゴールディン氏の著作に「反フェミニスト」的要素があるかないかというと、「”SNSの特級呪霊”のようなフェミニズム」とはかなり違う要素が含まれている…とは言えると思います。
そういう「恨み言の化身」みたいになってしまった人は、それだけの何らかの不遇な経験があったのでしょうし、それが生きがいである以上これからも続けていただくしかないとは思うんですが。
ただ、そういうのに延々付き合っていてもその「恨みの源泉」は解決できないわけですよね。
「特級呪霊」みたいになってしまった人たちの思いを本当に昇華するためにも、「具体的なミスマッチ」をいかに解消していけるか?という議論に、両側から注意を集中させて一歩ずつ変えていくことが必要ですよね。
その「具体的に日本社会を変えていくために大事なこと」は、ぜひ次回の「後編」を読んでいっていただければと思います。
特に、今の日本で働いている若い女性にとって「あと一歩前に出る」決断をすれば、キャリアが断然ラクに、そして可能性が開けたものになる方向性ってのがあるんだ、という話を「後編」ではしています。
(後編につづく)
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つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2023年10月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。