【書評】廣田尚久『ウクライナ戦争と和平法則』

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1年半を超えるロシアによるウクライナ侵略戦争に加えて、この一月はイスラエルのガザ地区への猛爆に心を痛めていた矢先、「和平法則」というタイムリーな著書に出会えた。素人ながらきちんと読んでみると、この二つの戦争の停戦や和平について考える素材がたくさんあるように思われた。

本書は弁護士であり、また大学でも法学の教鞭をとり、さらに自身で「紛争解決センター」を設立して、旺盛な著述活動を続けてきた廣田尚久の最新作である。

4年前から始まったコロナ禍の2022年2月24日に、ロシアがウクライナ侵略戦争を開始してからすでに1年半が過ぎた。ともに「解決の目処が立たない問題」(本書2頁、以下頁数のみ記す)を、自らの「紛争解決」法則に照らして何とかその糸口でも見つけたいという問題意識が全篇を覆っている。

それはまさしく「和平への祈り」と言える。日本国民だけではなく、世界各国でも同じ思いの人々がたくさんいるだろう。本書の脱稿が2023年4月だから、今ならばガザ地区へのイスラエルの猛攻撃の「解決」も含められるはずである。

「第1章 戦争の歴史」では、人類の破滅につながろうとした第1次世界大戦と第2次世界大戦の概略が描かれ、ところどころではテーマを絞った細かな分析がなされている。そして、第2次世界大戦後の国連の動きと最終的な「社会主義陣営の崩壊」までが叙述された。

「第2章 ウクライナ戦争」ではまさしく同時進行してきた戦闘について、小泉悠『ウクライナ戦争』(筑摩書房、2022)を手掛かりにして、その背景、原因、現状などが独自のマスコミデータを加えて、分かりやすく整理されている。

圧巻は「第3章 和平法則」である。自身の「紛争解決センター」は、「弁護士としてさまざまな民事紛争を和解によって解決」(5頁)した経験から作られているので、それを活かして独自のいくつもの「和平法則」が紹介されている。

(1)総論的な和平法則
囚人のジレンマの法則、真逆の法則、対話と合意の法則、正義に蓋の法則、「目には目を」不可能の法則、懲罰無効果の法則、和平先行の法則

(2)手続的な和平法則
調停有効の法則、仲裁有望の法則

(3)実体的な和平法則
規範使用の法則、過酷条件回避の法則、卓抜の法則

前提としてはここでの「和平」は、「交渉のプロセス」も「結果としての和平の結論」も含むとされた(131頁)。だからここには法則(law)だけではなく、経験則(empiricism)も含まれているように思われる。

ともかくも弁護士廣田の紛争解決の経験が圧縮された「法則」群であり、要点が簡潔にまとめられていて応用しやすい。それらを学びながら私は、絶えずロシアによるウクライナ侵略戦争とイスラエルによるガザ地区猛爆を念頭において、どの「法則」なら解決への指針を与えるかを考えてみた。

おそらく一つの「和平法則」による解決は困難であり、状況次第で上記12の「法則」からいくつかが選択されて、組み合わされることになるというのが読後の感想である。

ガザ地区への猛爆に関しては、アメリカとイスラエルの協議、G7外相サミットの声明、国連安保理での停戦勧告などすでに「和平」のための動きは世界中で見られる。あのドイツでさえも国民の意識が揺れていて、いたずらなイスラエル寄りには距離を置く意見が出ている。そうすると、「対話と合意の法則」は欠かせないようだ。

もう一つは、国連はじめ諸外国の様々な連携が戦争当時国への強い圧力となり、「撤収前に和平が行われる」という「和平先行の法則」への期待がある。

ただし、ロシアによるウクライナ侵略戦争に象徴されるように、国連安保理決議ではいつも棄権や反対が一定程度存在するのが常態だから、戦争当事国の味方もいることになり、「強い圧力」が生みだされにくい。そうすると、「撤収」行動には至らず、戦闘が1年半も続くことになる。

一方で「仲裁」も伝統的な紛争解決方法である。日本での相続問題や土地紛争それに離婚や親権問題など民事関連では、旦那さんなど地元有力者が「まあまあ」という姿勢で双方の当事者の間に入り、一定の調停を果たす歴史があったから、「仲裁」は馴染みの方法ではある。

しかしその場合には、紛争当事者双方による仲介者への認知と尊敬が前提となっていた。「あの方が言われるのだから、この辺りで手を打とう」という気持ちにさせる威厳や声望を当事者双方が持たなければ、この方法は成功しない。

ロシアによるウクライナ侵略戦争でもイスラエルのガザ地区への猛爆にしても、世界的な「仲介者」が不在なのだから、廣田がいうように「現実性に乏しく、夢のような話」(170頁)なのだが、「国際世論」がもつ「仲介」機能に私は期待したい。

実体的な和平法則のうち「過酷条件回避の法則」は一般論としては納得できる。本文でも第1次世界大戦後のドイツへの過酷な賠償を事例とし、「和平の内容に過酷な条件は避けたい」(176頁)とされた。なぜなら、「和平は、将来指向」(177頁)だからである。

そうはいっても、病院、学校、発電所、水道施設、マンション、アパートなど市民生活の根幹をなす都市装置が一方的に破壊され、破片が散乱して、がれきの山と化した映像を毎日テレビニュースで見ている世界各国の国民感情からすると、その片付けと再建の責任はどこが受け持つのかという難問に悩んでしまう。

ウクライナ全土でもイスラエルのガザ地区でも「将来指向」だからこそ、破壊した当事者の責任が一番先に問われるという意見も強まるのではないか。「ひたすら前を向いて知恵を絞るべき」(178頁)ことは分かるが、誰が、どこが、真っ先に「前を向くのか」もまた重要である。かえすがえすも、組織が硬直化した国連の機能不全が悩ましい。

「第4章 パラダイムシフト」については、「資本主義というパラダイムを転換すれば、そのあらかたの難問を解決することができる」(187頁)という指摘も含めて、拙著『社会資本主義』でも論じた部分があるので、ここでは割愛することにしたい。

「異次元」論争で始まった今年の年末は、本書の「和平法則」に学び、身近な争いから人類の危機を招く戦争にまで目配りして、来年の「平和」に向けての思索と議論を深めよう。

ウクライナ戦争と和平法則