岸田首相は嫌だけど、じゃあ他に誰がいる?

岸田首相の人気が着実に低下しています。ただ過去、退任に追い込まれた首相達と違う点を挙げるとすれば岸田氏の直接の汚点は少ないのです。人事問題では就任当初から苦労してきました。閣僚の問題が相次いだと思えば、今度は副大臣や政務官の辞任が相次ぎます。

岸田首相 同首相HPより

メディアは「十分な身体検査をしていなかったのではないか?」と糾弾します。が、十分な身体検査が制度的、道義的に可能なのか、と言えば世界中何処を見ても100%は無いのです。仮に自民党の閣僚に問題ある人が3%いたとします。それは野党にも同じ3%、問題ある人がいるというのが統計的類推です。自民も野党も身体検査のやり方は基本は同じでどこかの政党だけがCTスキャンのような特別に透視できる仕組みがあるわけではないのです。

とすれば岸田人事で相次いだ人事の不祥事について考えなくてはいけないのは国会議員の資質です。選挙の時、選挙民は何を根拠にその人に支持票を入れるのか、その仕組みそのものをまず考えるべきなのです。主流を占める支持票の理由は自分が支持する政党だから、というのが理由であるはずです。

そうであれば候補者の個人については「自分の中でこの候補者をどう、受け入れるか?」というマインドになり、最後は、「消去法で考えてもやっぱりこの政党のこの人ね」なのです。つまり政党政治では候補者個人よりも政党が重視される故に政党公認さえとってしまえば身体検査を受けることは無いのです。順調に何期か議員をやれば政務官や副大臣のポストが廻ってくることはあるでしょう。その時、週刊文春という恐ろしい「調査機関」が「ウッシッシ」といいながら「こんな話があるのですが…」となるわけです。

話を元に戻すと岸田氏は岸田氏なりのスタイルで頑張っていることは確かなのです。可も不可もなく、パンチ力もなく、オールラウンドにいろいろやっています。故に野党は追求しにくく、安倍元首相のように刺激と個性の塊ではない実に日本的で牧歌的でおっとりしているのです攻めどころが少ないのです。そうなれば野党が声を上げられるのは人事しかない、そしてそれを後ろ支えするのが週刊誌、ということなのです。野党ー週刊誌報道=???なのでしょうか?

言い換えれば週刊誌的ネタで岸田氏個人の判断をするのは間違いで本質的に見て岸田氏を判断すべきなのです。

で、お前はどうなのか、と聞かれたら正直申し上げますが、「どなたかと代わってもらいたい。だけどタマがない」が個人的な意見です。政界に通な方は即座に5-6人の名前が上がるでしょう。もちろん私も知っています。が、どの人も私から見ればジュニアなんです。

欧米ならば多少、粗削りでもサポートする仕組みがあります。ところが日本の場合はパーフェクトを目指さないと必ず引きずりおろされる、それが日本の国民性なのです。もう一点は様々なニュースや意見に関して重要度や優先度をつけないまま、メディアが順不同に並べるので読み手や聞き手が混乱しているのです。国家受難のニュースの次にどこかの飲食店で食中毒があったといった極めてマイノリティな問題が並んでいても読者はそれを判断できず、「まぁ!」となるわけです。

残念ながら日本の選挙民は自分の考えよりもメディアなどが放つ色や味や匂いがたっぷりしみ込んだ情報に翻弄されているのです。故に首相などトップに立つ人は受難であり、「カエルの面にションベン」ぐらいの肝がないと務まらないのです。小池都知事なんて肝が太いだけでなく分厚い化粧の仮面もあるせいか、翻ることはありまえせん。あれぐらい芯が座っていないとトップなど出来ないわけです。

その点からみれば岸田氏は何が起きても冷静沈着、顔色が変わらない点は大したものです。ただ、2年強やって日本が失ったものもあります。それは世界の中でのプレゼンス。もう一つが日本の向かう道を指し示していないこと。この2つです。安倍氏は両方あったのです。そして世界の中で日本にスポットライトが当たり始めました。構造改革は志半ばでしたが、議論を通じてその必要性を十分に浸透させました。が、岸田氏は両方足りないのです。

なので私から見れば岸田氏は「アドミニストレーター」。つまり首相という名の事務処理係でしかないのです。よって誰かに代わってもらいたいけれど私の見る限りでは難しいところです。

ではお前ならどうすべきと考えるか、と言われたら「副首相を5名ほど立てよ」です。そして各副首相に国家の最重要な問題、例えば外務、国家安全、経済、社会、国務について相当の権限を与えながら首相は全体を統率する、というスタイルです。なぜか、といえば今の50代から下には一人で全てを抱えこむということは育った教育環境、生活環境、社会環境を含め、そのようなスタイルに不慣れである、よって集団体制が日本にはふさわしい、というのが私の考えです。

現実的に出来る出来ない、という話ではないのです。何があるべきか、理想をまず掲げる、そしてそれに向かえる方法はあるのか、と考えることが重要なのです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年11月16日の記事より転載させていただきました。