人は自分の都合で勤め先を選ぶのだから

人は、当然のことながら、自分のために働く。企業や官庁のような組織は、人は自分のために働くことを前提とし、その働きの集積が全体として社会的付加価値を創造できるように、構成員の働き方を動機づける体系である。組織による統制が必要なのは、各自が勝手に自分のために働くよりも、組織を通じて働くほうが創造される付加価値が大きくなるからで、これが分業の原理である。

分業の原理のもとで、人は与えられた役割への貢献を求められる、つまり組織への貢献を求められる。本来は、人が先にあって、人が組織を作るのだが、組織ができれば、組織が人を支配し、組織が人に対して組織のために働くように強制する。こうして、人は自分自身の手で自分自身に対峙する他者を作り出す、これが人間の疎外と呼ばれる現象で、この疎外のもとで、組織が先にあって、組織が人を雇うという倒錯が生じる。

その倒錯のもとでも、人は勤務先を選択する自由をもつはずである。勤務先を選択する段階において、組織のために働くことを目的とする人はあり得ない。しかし、だからといって、社会に貢献したいと思って、組織に入ったかは大いに疑問であって、そもそも、原点において職務上の自覚的な動機があったと考えるのは不自然である。

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人は、生活の必要に発して、何かの偶然で勤務先に出合い、職務上の理由ではなく、個人的な好みで決断すると考えるのが自然である。個人的な好みとは、勤務先の所在地、知名度、事業の安定度などであり、自分の得られる処遇等の条件である。要は、人は自分のために働くのであって、そこに職務上の動機を仮構するのは、多くの場合、雇う側にとっても、雇われる側にとっても、自分の決断を合理化するための方便にすぎないであろう。

働くことが企業に勤めることになるとき、生きがいと働きがいが一致することは稀で、人は、多くの場合、単に生活の資を得るために働くのだから、雇う側を中心にした人の採用という発想は、人は企業に属すべきだということを前提にしたものとして、そもそも、おかしいのであって、むしろ、全く逆に、人が自分の生活の都合で企業の提供する職務を採用するのである。

実は、このように考えない限り、企業の立場からの選考基準が定まらない。なぜなら、職務が明確に定義されているからこそ、定義された職務に対する人の適性を論じ得るからである。また、職務が明確に定義されていることは、働く人にとっては、職務を選択する際の便宜であり、企業にとっては、組織構造の合理化の前提である。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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