生成AIとの共生:多くの人は知らぬ間に白痴化する懸念

日経の24日付「春秋」の冒頭はこんな書き出しです。「どんな本でも片っ端から読まなきゃだめ。遊んでばかりだと、知識の引き出しがないからどうせろくなものはかけませんよ――。記者への耳の痛いお説教、ではない。手塚治虫さんが約60年前、子供向け漫画雑誌に書いた『こうすればまんが家になれる』の一節である」。

バブルの頃、クラブ(踊るところではなく、女性が横に座って飲むところ)談義があり、なぜ銀座のクラブのホステスは優秀なのか、という話がありました。彼女たちは日々、スポーツ新聞から政治、経済、株価チェックまでしてどんな客のどんな話にも対応できるようトレーニングし、知的な魅力を備えているからだ、というのが大方の理由でありました。

どんな職業でもジャンルを問わず、様々な知識をどん欲に吸収してこそ、人間の深みや崇高さ、判断基準の高さ、そして職業のより高い領域への到達目標がありました。故に我々が小さい頃はひたすら「書を読め」であったし、江戸時代以降の時代物小説などでは上に立つ者は書を読んでいるというのがごく当たり前に描かれています。

Vertigo3d/iStock

一方、今週の日経ビジネスの特集は「同僚は生成AI、破壊者か、期待のエースか」です。大企業を中心に生成AIが各企業の業務や部署ごとの業務にカスタマイズした形で浸透、社員は生成AIが生み出す「成果」をベースに業務をこなすのが普通になってきています。先週、いみじくもオープンAI社のドタバタ劇があり、生成AIが社会に浸透するそのプロセスが人間生活に想定以上の影響を与えるのではないか、という議論に対して商業主義派が「抑制可能である」という思想のもと、AIが猛烈な勢いで社会に浸透しつつあるわけです。

多くの方にはまだ生成AIが身近に感じられないかもしれませんが、知らぬ間に確実にそれを利用しつつあり、社会人の方はそれを使わざるを得ない時代になったという点でかつてのウィンドウズ到来の衝撃以来の大変革時代ともされます。マイクロソフトはエクセルやワードにAI機能をつけますし、グーグルも同様の展開をしていきます。ハイテク系企業に限らず、主要企業の多くは生成AI由来のビジネス展開をするはずで来年2024年は開花する年になるのでしょう。

先に上げた「春秋」にはその後、次のようなくだりがあります。「今週発売の週刊少年チャンピオンに、代表作『ブラック・ジャック』の新作が載った。粗筋の素案を担ったのは、大量のデータを蓄えた生成AI(人工知能)だ。… 今回の制作チームは『人間とAIの共同作業の醍醐味』を感じたそうだ。AIを御するためにも、人間の引き出しはまだまだ大事ということだろう」と。

生成AIは現時点ではまだ、人間が支配し、制御し、利用は一部に留まるので人間との共生が重要である、という締めです。ただ、私の疑問は創成期かつ過渡期である現時点において既に人々が生成AIの虜になりつつあり、生成AIに太刀打ちできなくなるのではないか、という点です。それこそ、数年のうちに人間は生成AIなしには仕事が出来なくなる、そんなトレンドを予見しています。

NTTの澤田純会長の日経ビジネスインタビューは興味深い議論の要素がちりばめられています。何処までが人なのか、人とは何なのか、シンギュラリティは来ない、AI親友論と不出来な人間、AIと共生しながらの人間拡張論、人がAIより上だとする二元論、パラコンシステント(二律背反の両立)などおもちゃ箱をひっくり返したような哲学的議論の中を経て氏は人間との共生が生まれると考えています。

確かに学術と先端の社会に生きる人間はそれが人間社会をより豊かにすると考えます。豊かさとは過去数百年に渡り物質的欲望の充足でした。今は情報やサービスと共に思考や試行プロセスのワープ、つまり熟考や議論、実験や検証をしなくても答えが出ることが現実化しつつあります。

しかし、それはもしかするとごく一部の学者、経営者といった人だけがメリットがあり、多くの人は知らぬ間に白痴化するのではないかという懸念はあります。2023年に於ける日本でパソコンを使えない、ないし苦手の人の比率は31%です。日本はいまだにファックスが主要なるコミュニケーション手段です。AIの浸透は当然ながら人間がより受動的社会での参加になりかねない懸念があるのです。

人間は実に弱いもので「効率」「便利」という名に引き寄せられます。500ページの書籍なんて読まなくても要約したものやユーチューブの解説をみれば何十分の一の時間であたかも「読んだ気」にさせます。その時、我々人間は物事の本質的判断すらまっとうに出来なくなる劣化が起きるかもしれません。

私が北米で仕事をしていて思うのは職務分掌が明白故に自分の仕事が全体の中でどういう位置づけにあるのかに全く興味がなく「それは私の担当ではない」で切り捨ててしまうケースです。北米の実質的労働生産性が下がっているのは物事を作り出す100のプロセスにおいて、それらがうまく連結されず、手戻りやうまく流れなかったりバラバラになりつつある、これがわかりやすい表現だと思います。要は調子が悪いベルトコンベアです。そしてベルトコンベアを操作する方ではなく、それに乗っているのが我々人間になっているのです。これを笑っていられる日本も必ず、その方向に向かっていることへの警鐘をしなくてはいけないのでしょう。

私は昭和の仕事のやり方だと思います。が、広いジャンルに幅広く興味を持ち、掘り下げる努力をし続けています。私のような人間が貴重な存在になる時代が案外早く訪れる、そんな気もします。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年11月28日の記事より転載させていただきました。