このまま解散総選挙に突入したら、立憲民主党は惨敗すると思える理由

立憲民主党の苛立ち

衆議院予算委員会の国会中継で、立憲民主党の堤かなめ議員の質問の最中に、立憲民主党の逢坂議員が怒号を張り上げていた。

中継を見ていた国民は、

「このオッサン、何を大声張り上げとんねん?」

と言う感想以上の感想は持たなかっただろう。

国会中の野党質問に内閣の誰が返答するか?は、法律の範囲において所管の大臣が答弁すればいいと思うし、そもそも、その大臣の発言も含め内閣を総理する大臣である岸田首相が全責任を負うことになるだろうと考えるので、最終的に岸田総理に責任追及すれば良い。

逢坂議員は、いくら自分が気に入らない答弁者だとしても、怒号を張り上げてやってる「フリ」をすることに、いい加減、国民は飽き飽きしていると言う国民感情が分からないのだろうか?

また、27日の参議院予算委員会では、辻元清美議員が執拗に憲法改正問題を追求するなど、立憲民主党としての方向性が定まっていないことを感じる。

加えて、同じく立憲民主党の石橋通弘議員は、先ごろ報道された自民党各派閥のパーティー券を詰め寄っていたが、そもそも法的に問題が無いことを執拗に聞いてる点など、有権者側に立てばどうにも合点がいかない。と言うのも、政治資金問題を追求し始めたら、立憲民主党議員とてその批判を免れることは出来ないからだ。

立憲民主党の辻元議員 同党HPより

辻元議員について言うなら、関西万博問題とライドシェア問題では岸田総理には厳しい口調で詰め寄るのに、所管の斉藤国交相には猫撫で声を出す。これは、大阪維新に対抗するために、公明党の支持が欲しいからではないかと推察する。現在、自公連立そのものが崩れる厳しい状況にあることは誰の目にも明らかで、維新が台頭し、さらに今回の補正予算に賛成した国民民主党が政権与党に接近したとなれば、連立を組む公明党の存在意義そのものが問われることになるからだ。

ましてや、文科省主導で過去に例の無い厳しい対応をされた統一教会問題の真っ只中にいるのが創価学会であり、創価学会は教祖の池田大作氏が逝去したことで、創価学会そのものの求心力が急速に弱まる可能性が非常に高い。弱体化が始まっている支援母体の創価学会が、選挙において集票力の基盤になり得ないとなれば、自民党は平気で公明党を切るだろう。

そもそも公明党の存在は、自民党にとっては目の上のたんこぶだからだ。

大阪府内をはじめ、関西圏で着実に支持基盤を拡大している維新の会は、いずれは東京を中心とした関東圏に進出してくるのは目に見えており、また、国政においても議席を伸ばす可能性があり、そうなると、立憲民主党や社民党は、ますます大阪の支持基盤を失うだろう。そうなると議席に執着する辻元清美議員のようなギリギリの当落ラインすれすれにいる者にとっては、今から支持基盤を強固にしておく必要がある。

元来、大阪に強い筈の創価学会も段々と維新に押される状況の中、協力関係を結ぶ議員を探しているだろうから、そこに乗っかろうと辻元清美は考えているのではないか?と、私は邪推する。

自民党としては、衆議院で可決された補正予算を参議院でも穏当な状況で可決することを狙っているが、立憲民主党は、予算成立後にあると言われている解散総選挙も睨みながらの国会論戦ということで、例えば逢坂議員のように来る衆院選に備えて存在感を残そうとする議員が増えてくるだろう。ただ、雑駁な状況判断だけ見ても、衆院選後、立憲民主党代表選に逢坂議員が立候補したとしても、そもそも代表職を担える器ではないし、他に立憲民主党を代表するような議員がいるようにも見られない。

また、参議院を見ても、辻元議員や(謝)蓮舫議員のように、ご本人たちがどれほど目立ちたいと思っても、以前のようにマスコミも注目しなくなったし、立憲民主党の代表職を担えるような議員の存在も無い。だから、岡田幹事長のような古株がおよそ野党の幹部とは思えない発言をしてしまう。

【衆院予算委】総理の「減税」は物価を上回る賃上げに「白旗」を上げている 岡田幹事長

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つまり、今の立憲民主党は一枚岩とは言えない。

今回の臨時国会においても、攻め手を欠いてるという印象しかない。

安倍政権の時のように、良くも悪くも政権不信を掲げて国会において政権を追求できたのは、安倍政権自体が盤石だったからだ。ちょっとやそっとでは政権は倒れないと分かっていたから、むしろ、国会で目立つことを許されていたと言える。

ところが表面上でも安倍政権打倒を掲げて国会運営を邪魔しまくった結果が、何度かの国政選挙を経ての今の支持率であり、菅政権、岸田政権ともに安倍政権の考え方を追随しつつも独自色を織り交ぜている為、むしろ弱体化した立憲民主党は攻め手を欠いている。

安倍政権に踊らされた立憲民主党

以前も書かせていただいたが、安倍政権は野党議員に騒ぐだけ騒がせながら、外交力を発揮して関係国との連携を強めつつ、国内政治の何がキモになるかを熟知した政権運営を行ってきた。つまり、その老獪な自民党政治に絡め取られていいようにされていたのが立憲民主党だった。この点を総括しない限り、立憲民主党が政権政党として力を付けることは出来ない。

また、立憲民主党の熱烈な支持者は、安倍政権を追求していた頃の覇気を感じないと嘆くが、実はそうではなく、自民党によって時間をかけて弱体化させられたことを分かっていない。ここが日本の与党と野党の違いなのだ。そして、こういう手練手管を分かって知略を働かせなければ日本の議会制民主主義の基盤の拡充など、夢のまた夢だ。

自民党のパーティー券の件についても、今ひとつ追求の矛先が鈍っている原因はそこにある。確かに立憲民主党議員の中にも、叩けば埃が出る議員がいるからというのもあるが、つまり、安倍晋三という政治家から何も勉強してないのだ。

泉代表も育ちが良さそうな言葉で岸田総理を追求しているが、やはり弱い。おぼっちゃまのような泉代表では、いかな岸田総理相手とは言えど、泉代表とは経験が違いすぎる。岸田総理は、安倍晋三の元で閣僚を長年経験してきた。派閥の長として党内政局の経験も豊富だ。大変申し訳ないが、泉代表では岸田総理には敵わない。

その意味で、日本の国政の機微を理解している国民民主党の玉木代表は、政治家としては泉代表の一枚も二枚も上手だ。つまり、彼と国民民主党が思い描く政策実現の最短距離は与党連立だと知っているのだ。だから、今回の補正予算の時にも、自分たちを弱小政党だと卑下しながら、野党が与党に協力することの意味を分かって、補正予算に賛成したのだ。

岸田総理が政治家として老獪なのは、落選した議員とはいえ、国民民主党の矢田稚子氏を総理補佐官に起用した点だ。これは玉木代表も驚いたに違いない。確かに矢田氏は優秀な人材だが、そこには、来る補正予算を睨んでのこともあったろうし、またその先には玉木代表を閣内に取り込む狙いもあっただろう。

その点を立憲民主党と日本共産党の共闘と比較すればよく分かる。両党の支持層から見て、本来「水と油」であるはずの立憲民主党と日本共産党が一時的にでも野党共闘を模索した背景は、つまり、互いの支持層を使った議席のバーターだ。つまり自公連立のようなものを作り出したかったのだ。立憲民主党は連合の支持を貰ってる筈なのだが、こちらも安倍政権の時代から切り崩しに遭ってきた。連合としても、賃金が上昇するとなれば法案を成立させる力の無い野党の立憲民主党にくっついている必要はない。

2021年に行われた衆院選での野党共闘は、5野党間での協議が必須条件だった。実際には実現はしなかったものの、考え方の違う野党が互いに協力して議席をバーターしあうなら、まだ可能性はゼロではなかった。ただ、ここでも野党間で議席の奪い合いが起こり、それらを取りまとめられるだけのリーダーが不在だったため、3割の勝率に止まった。

今回、立憲民主党は支持層の弱い部分を補完しようと日本共産党との共闘を考えたのだが、そもそも支持母体の連合は日本共産党とは仲が悪い。連合にしてみれば、用無しのような扱いをされたと考えれば、ますます、立憲民主党と距離を置くようになるだろう。

そして、ここが立憲民主党の判断ミスだったのだが、アテにしていた肝心の日本共産党の支持基盤は弱体化の一途なのだ。高齢化も進み、若年層は共産主義など全く関心が無い。この読み間違えが立憲民主党の今を象徴していると言っていいだろう。

立憲民主党の歴史を旧民主党まで遡れば、強固な自民党政権を打ち倒すため、バラバラだった野党がまとまって出来上がった経緯がある。当時、一向に上向かない経済に対して、打つ手なしだった自民党政権に対して、有権者はデフレ不況から立ち直れない日本経済にカンフル剤を期待して誕生したのが旧民主党だったが、東日本大震災もあり、また結局は烏合の衆でしかないことが露呈しただけだった。下手に大きくなってしまった立憲民主党は、中途半端に支持者を増やしてしまったため、支持者もどこに向かって良いか分からない状況に置かれているのが現状だ。唯一、左派リベラルな有権者が気を吐いたのは安倍政権当時だけだった。

森友学園問題、加計学園問題に端を発し、新聞や雑誌記事をネタにしたスキャンダル追求が主たる業務になってしまった旧民主党勢力は、政策を度外視して他に手段が無いという現実を直視させられながら、結局は国会の貴重な議論の時間を浪費するしかなかった。

旧民主党支持者、立憲民主党支持者は、この点の総括は終わっているのだろうか?

長きにわたる安倍政権時代、旧民主党勢力が真綿で首を絞められるように、力を失って行ったその現実と、本質について、本人たち自身が一番理解してないからこその現在であるという認識はあるのだろうか?

その総括が足りないが故に、繰り返すが現在の立憲民主党は旧民主党からの脱却に時間がかかってる。時間がかかっているから、逢坂のような議員がいなくならないのだ。

立憲民主党はリベラルな政党らしいが、リベラルとは「革新的な」と言う意味はない。革新的な政党なら、とっくに自分たち自身が革新的な改革を行い、時と共に変遷していなければならない。そうなっていないところが、立憲民主党が日本共産党と同じく保守政党だと言われる所以だ。変わることが怖いから、変えられない。むしろ変わってはいけないという強迫観念が支配している。自分たちで自分たちを強迫しているから、代表選をやっても旧民主党「的」な候補者しか出てこないのだ。

辻元清美のように、衆院選を見据えて公明党にすり寄るような態度を見せたり、泉代表のように、党内での意見集約が出来なかったり、逢坂のように政権追求の意味を理解せず安倍政権当時の姿勢のまま、中身も曖昧な問題点に執着したりと、党内がバラバラの印象だ。今回の衆議院予算委員会での逢坂議員に象徴されるように、古い議員体質が目立つ議員が騒ぐのも、立憲民主党自身が革新的な政党としての態度が無いからだ。

自分が実現したい公約に真摯に向き合うことは大事だ。逢坂で言えば教育問題だ。しかし、今の議院内閣制の中で党派の力は誠に意味が大きく、だからこそ民主主義の根幹と言われるのだから、逢坂のように自己都合で国会での間違った政権与党への追及のあり方こそが主権者を置き去りにするものだ。

主権者の中にも政府や与党に対して疑問を呈する者がいるのだから、国会での追求は当然だ、と言う意見もあるだろうが、国会では記者会見を開け、ぐらいは言ってもいいと思うが、それ以上は国民の時間である国会運営の妨害でしかない。

繰り返すが安倍政権以後、そのような国会を空転させる態度が支持率を落とし、数多くの議員を落選させた最も大きな要因だと言い切って良い。

立憲民主党議員は決まり文句のように、

「国民の貴重な税金を無駄使いするな」

というが、一番無駄使いをしているのは、国会論戦を停滞させている立憲民主党自身だ。

以後、

・弱体化した立憲民主党と来る衆院選

続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。