オペレッタ『こうもり』

小田島 久恵

毎年、ダンサーや映像作家や斬新な演劇家によるアウトローな(?)演出で前人未踏のプロダクションを実現している全国共同制作オペラ。今年は狂言師の野村萬斎氏が台本・演出を担当したオペレッタ『こうもり』が上演された。

©2/FaithCompany

11月25日に東京芸術劇場で行われた公演を観てひっくり返る。この「意外な人に演出してもらう」プロジェクトの真骨頂を味わった思い。余りに面白く、素晴らしすぎる。有名な序曲から、図案化された逆さのこうもりのアニメーションがスクリーンに映し出され。それが和風の紋に見えたり、松の模様の舞台背景に見えたり、非常にユーモラス。

舞台中央に重ねた畳の上には上方落語の御曹司、桂米團治さんが座っていて、これからはじまるオペレッタの前口上をリズミカルに語っていく。この「弁者」はずっと舞台上手にいて、登場人物たちの心理や、さまざまな事のなりゆきを語り倒していくのだが、それが無駄に饒舌に感じられることもなく、大変よい効果を上げていた。高座では満開の八重桜のように咲きすぎてしまうこともある米團治さんが、この舞台では結構渋くていい味を出していた。

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『こうもり』は登場人物全員が変装をして家族や他人をだまし、その掛け違いのおかしさが物語を牽引していく。見事に「変装しない人」がいない。ちょっと仮面をつけたくらいで人を騙せるのは現実的におかしいのだが、おかしい設定が全部マトモであるかのように通ってしまうのがこのオペレッタの特徴で、ことの真意はルービックキューブのようにズレながらもアクロバティックに収束し、最後は「全部シャンパンの泡のせい」にされてしまう。 意識の上で「ホンマ領域」と「ウソ領域」を行ったり来たりするという点で、落語の世界にも似ている。

1幕は、文明開化の頃の日本の質屋が舞台で、ちゃぶ台のホームドラマが展開される。アイゼンシュタイン福井敬さんもロザリンデ森谷真理さんも和服姿。森谷さんの着物は豪華で映画「極道の妻たち」を思い出した。アデーレ幸田浩子さんは可憐な和装のお手伝いさん、美声を解き放ちっぱなしのアルフレード与儀巧さんは遊び盛りの書生さん、ファルケ博士の大西宇宙さんは知的なハイカラな紳士といった仕上がり。

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観客の度肝を抜いたのは、オルロフスキー公爵役の藤木大地さんで、平安の麻呂の恰好をしていて、登場の瞬間から天地がひっくり返る思いだった。オリジナルはロシアの大富豪の青年で、一般的にズボン役の女性歌手によって歌われるが、蹴鞠する麻呂の姿をした藤木さんは、カウンターテナーのおっとりとした「黄泉の声」で舞踏会の場を仕切っていく。

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この舞踏会じたいがアイゼンシュタインを騙すためのファルケ博士の陥穽なのだから、ウソ領域が暴走するほど面白味が湧くのだが、そこに集められた男女たちがシーツのような布に描かれた書き割りの横長の「衣裳」を首から下げているのには本当に参った。

照明はいたずら満載で、アルフレードの高音にヤラレてしまうロザリンデは電飾のように点滅し、鹿鳴館でバッタリ鉢合わせするアイゼンシュタインとアデーレは、運命の出会いのように二人だけにスポットライトが当たる。ひとつひとつの洒落は結構シンプルで、小学生のギャグのようなものも含まれているのだが、「間」と「タイミング」が絶妙なので、きちんと笑えるような仕組みになっている。

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オケの緩急と照明も、細かいところがぴったり合っていたので、相当丁寧な準備を行ったのだろう。阪哲朗マエストロとザ・オペラ・バンドのゴージャスなオーケストラ・サウンドが喜劇を盛り上げていた。

森谷真理さんのコメディエンヌとしての身体性の素晴らしさ、フランク山下浩司さんとアイゼンシュタイン福井敬さんのやりとりの面白さ、ファルケ大西宇宙さんの黒幕としてのギラつく迫力など、オールスター歌手陣の活躍が目覚ましかったが、すべての人の記憶に最も強く残ったのは「カウンターテナー麻呂が歌うオルロフスキー(藤木大地さん)」だったと想像する。

松の廊下のような足運び、冥途からのメッセージのような美声、設定の突拍子もなさ…演出家の天才的な才気を感じずにはいられない。萬斎さんは演出家が「主人」となって出迎えなければ、オペラ(オペレッタ)という出し物が成立しないことを熟知していた。

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「境を破る」というキワの精神は、最も日本的な洗練のひとつで、よぶんな衣裳などを簡略化した「まさか」の方法も、二次元的表現をアヴァンギャルドにつきつめていく和の技法。20年以上前の著作『狂言サイボーグ』では、既に当時の萬斎さんが海外の様々な演劇を取材し、勉強されていることが書かれているが、伝統芸能を切っ先鋭く伝承していくためには、井の中の蛙ではいかんと思われていたのだろう。身が引き締まる。

プログラムには、三幕の牢獄シーンで萬斎さんが、コミック『はいからさんが通る』をイメージしていた箇所があると書かれていて、大いに笑った。確かに、『はいからさんが通る』には「牢名主」も出てくるし「酒乱童子」も出てくるし…オルロフスキーのような殿様も通行人として出てきたような気がする。

酔っぱらってバカ騒ぎをして、隙あらば浮気をしようとしている大人の世界は、天空から俯瞰すれば可愛いものなのかも知れない。酒(シャンパン)がもたらす酩酊は、この世とあの世の虹の架け橋。プロの凄い演出を通して描かれる最新の『こうもり』は、一周回って何だか尊い世界だった。

J.シュトラウスⅡ世/喜歌劇 『こうもり』