キッシンジャーのみた「世界秩序」の歴史(アーカイブ記事)

国際秩序(上) (日経ビジネス人文庫 )

ヘンリー・キッシンジャーが死去した。歴史上これほど大きな影響を「世界秩序」にもたらした米国務長官はいない。本書は古代ローマから現代までを語る壮大な歴史だが、それを貫くのは、キッシンジャーのリアリズムだ。その原則は次の3つである。

  1. 国際政治は理想や善意ではなく力の均衡で決まる。
  2. ウェストファリア的な国家主権は戦争の抑止力にはならない。
  3. 国際機関も頼りにならないので各国が相互不干渉の原則を守るしかない。

1928年の不戦条約で「正しい戦争」という概念は廃止されたはずだったが、その後も世界大戦は起こり、冷戦は続き、国連は国際連盟と同じく無力である。こうした国際的アナーキーの中で、アメリカが中東などで「世界の警察」の役割を果たしてきたが、その結果はさらなる混乱だった。もう「アメリカの正義」を世界に売り込むのもやめるべきだという。

そして次のアナーキーの原因となりそうなのは、アジアである。それを防ぐ上でキッシンジャーが高く評価しているのは日本だ。中国はウェストファリア的な秩序に挑戦し、アメリカと太平洋を分割しようとしている。これに対して日本は欧米と価値観を共有できるアジアで唯一の国として、その地政学的な重要性は高まっている。

アメリカと中国の「世界観の戦い」

中国には、近代的な国家の概念がもともとない。そこでは伝統的に全世界がその版図であり、対等な国家が条約で平和を維持することもない。華夷秩序は厳然たる上下関係であり、皇帝に臣下が従うように周辺国は中国に従う。だから海外に植民地を求めることもなく、軍事的に周辺国を併合することもなかった。むしろ皇帝に対して朝貢を行ない、文化的に一体化することが求められた。

このように利害の異なる国が妥協するという歴史をもたない点では、アメリカも似ている。それは生まれたときから自由と民主主義の国であり、英本国という共通の敵はあったが、各州が戦争することは(南北戦争を除いて)なかった。彼らは自国の正義が世界に普遍的なものだと信じるナイーブさにおいて中国と似ているところがある。

この信念は冷戦期に強まり、「悪の帝国」である共産主義を滅ぼすことがアメリカの理想となったが、共産主義は幸い自滅してしまった。その後は中東などにアメリカの正義を売り込んだが、これは冷戦ほどうまく行かなかった。もう「アメリカの正義」を世界に売り込むのもやめるべきだが、第2次大戦前のような孤立主義に戻るのも誤りだ。

国連が機能しない限り世界の警察は必要であり、その役割を果たせる国がアメリカ以外にないことも明らかだ。ハーバード大学の研究によれば、新興秩序が既存秩序に挑戦した歴史上の15件のうち10件で戦争が起こった。このとき重要なのは、軍事力よりカトリックとプロテスタントのような秩序概念の違いだという。

西洋的な国際秩序とまったく異なる概念で世界をみている中国がアメリカと対等な立場で妥協するかどうかはわからない。ウェストファリア的秩序の有効性は疑わしいが、国際機関が機能しない以上、アジアで欧米と価値観を共有でき、平和と安定の柱となりうる国は日本しかない。日本は対米依存を改め、国家として自立しようとしている。アメリカはこれを支援すべきだ、というのがキッシンジャーの評価である。