上川大臣に期待したい「フェミニスト・ディプロマシー」

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上川陽子氏は日本の女性国会議員にありがちなステレオタイプを打ち破る稀有な政治家である。少なくとも私にはそう見える。派手なパフォーマンスで目立とうとはしない。節度のある装いも好感が持てる。政治的安定感があり、着実に実績を積み上げている。

上川氏の初当選は2000年であるが、私が同氏の存在を知ったのは2005年11月下旬、イスラマバードの空港で偶然上川さんのお嬢さんとお話をする機会があった折である。私は同地で開催された「アジアにおける女性と政治」のシンポジウムに参加して帰国の途に就くところであった。飛行機の出発が遅れ、ロビーのベンチでぼんやりしていた私は、すぐ隣に若い日本女性が座っていることに気づき、話しかけた。

2005年10月8日、パキスタン北東部からインド北部カシミール地方一帯にマグニチュード7.6の地震が襲い、甚大な被害をもたらしていた。お嬢さんはその国際救援NGOの一員として現地に滞在しておられたのだと言う。私がシンポジウムについて話すと、なんとお母上が衆議院議員の上川陽子さんだと教えて下さったのである。

以来、私は上川氏に注目するようになったが、その活躍は目覚ましく、2007年の男女共同参画大臣を皮切りに、2014年から20年にかけて法務大臣を3回、そして今回の外務大臣と要職を歴任してきた。

日中韓外相会議での上川陽子外務大臣(右)

「女性と政治」に関心を持つ研究者や女性議員の増加を訴える市民団体などの間で上川氏が注目されることはあまりない。というのも、男女共同参画大臣の際の印象は薄く、男女平等、ジェンダー多様性といった女性やジェンダーの課題を声高に訴えることもないからだ。しかも、こうした課題に消極的な意見さえ表明している。

2021年の衆議院議員選挙においてNHKが行った候補者アンケートによると、上川氏は「選択的夫婦別姓の導入」と「同性婚の法制化」の質問には無回答、女性議員を増やすための「クオータ」制の導入については反対と回答していた。

女性政治家には「女性」というジェンダーに即した政治的発言と行動が期待される。実際、少なからぬ女性政治家はそうした期待に答えるために奮闘している。私は女性政治家が女性の利益のために働くことには大賛成であり、この方面で素晴らしい実績を上げている女性国会議員の名前もすぐに頭に浮かぶ。

ジェンダー不平等な社会では、男女平等やジェンダー多様性の擁護を声高に言い立てなければ埒が明かない。権利と平等の針が大きく男性に傾いている状況に目をつぶる、あるいは中立であることは差別や不平等に加担することだということもできる。

もっとも、女性だから女性問題に取組み、ジェンダー平等を主張すべきだという硬直した考え方には賛成できない。女性政治家にも様ざまな考え方があって当然だ。女性を貶めて、右派グループに擦りよるような女性議員だけは願い下げであるが。

しかし、それでもなおジェンダーは人の有り様から切り離すことはできないと思う。自分は何者なのか、人のアイデンティティの形成にとってジェンダーは欠かせない要素である。

女性というジェンダーの人は「女性である」ことから逃れることはできない。家庭と社会で「女性の役割」を担い、それに伴う不平等や差別を多かれ少なかれ経験させられる。つまり、女性として生きてきた議員は、女性の不利益や困難を率直に理解できるはずなのである。たとえそれまでジェンダー問題に関心が持てなかったとしても、機会を与えられたり、あるいは興味が湧くテーマに出会ったりすれば、女性/ジェンダー政策に果敢に取り組む可能性がある。

さらに、ここが重要な点なのだが、女性の視点はやはり男性とは異なる。それは、肉体的な違いに加え、女性ゆえに不平等や差別を被理、理不尽な経験をするという社会的な要因のためである。女性は男性が見過ごし、軽視してきた事柄に目を向けることができるのである。

近年、外交に新しい潮流が生まれている。フェミニスト外交である。2014年スウェーデンの外務大臣マーゴット・ウォルストームが「地球の隅々まで蔓延り、前提条件でもある女性に対する抑圧に断固として戦う」ことを同国の外交政策の基軸にしたことに始まる。2017年にカナダ、2019年にはフランスが続いた(ICRW)。その後、国連も提唱するようになった(UN, 28/03/2022)。

フェミニスト外交は「フェミニスト」なる人物が行う外交でも、個別のイシューでもない。平和や安全保障から国際開発、気候変動、環境問題まで外交政策のあらゆる分野にジェンダーと女性の視点を取り入れ、外交政策の基層にする考え方であり、アプローチである(GEAC)。

と、いうわけで、上川大臣には「フェミニスト外交」を期待したい。