経営者の判断はどうやるのだろうか?

私のようにどんな小さな会社を経営していようと日々大なり小なり無数の判断を繰り返しています。相談する相手があまりいないわけですから自分の判断、決定が全てであります。

上場企業の秘書をしていた頃、オーナー会長と銀行から来た社長には経営判断プロセスに大きな違いを感じました。お二方とも様々な経営判断を日々積み上げていたのですが、オーナー会長は何か判断事があれば社長以下、すぐに関連する部署の副社長や役員クラスを会長室に呼びつけ、4-5人から様々な意見を徴集し、その上で自分の独自の判断をします。合議ではありません。ちゃぶ台返し的な差し戻しや否決の確率は5割ぐらいあったと記憶しています。

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一方、社長は副社長あたりから持ち上がる判断に深い切り込みを入れます。つまり、純度を高めて判断する方法です。他の人はめったに呼びません。1対1の戦いでした。長ければ1時間も議論することもしばしばでした。その意味ではこの2人の経営者は経営判断のプロセスが違っていたわけですが、それゆえ、二人三脚が機能したともいえます。共通して言えたのは情報は鵜呑みにせず、自分で事実関係を理解、吸収したのち、自分の判断を下すことを心がけていた点です。私は幸いにしてこの二人から学んだので双方の良いところ取りをしながら経営を続けています。

私が27歳の時の上司(部長)からは非常にかわいがられました。寿司屋や鉄板ステーキ屋などに昼食から出入りしながら部内の人とは一線を画して一種の経営的な英才教育を受けました。この上司は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで社内で最も実力ある部長でした。また私は真の意味での特命係を拝命し、会社のオーナーと部長と私だけで全てが実質完結される特殊な任務をしていました。1年間で50億円から数百億円規模の案件を3つ担当させられました。3つとも禍根を残す案件となりましたが。

後で知ったのですが、それらは全て私を1年間で会長付きの秘書にするための教育だったそうです。教育係であった部長が私に言った印象的な言葉は「判断は3秒でせよ」でした。3秒で判断するためにあらゆる知識の武装をせよ、というわけです。そして時間がないなら歩きながら考えよ、でした。これも後で分かったのですが、私を美術館に連れて行ったり、1月2日から不動産物件を見に行こうと雪降る会津磐梯まで2人でドライブしたのは判断視点の切り口を増やす為だったのでしょう。

これらがその後、どれだけ経営に生かされたかは言うまでもありません。新規の不動産開発案件をやる時、部長は必ず完成後をイメージせよと言います。「さんさんと朝日が降り注ぐ中、開発した住宅から子供たちや会社に行くお父さんを笑顔で送り出すお母さん」と「夕方になっても電気もつかない住宅地を空っ風が吹き、落ち葉が舞う中、とぼとぼと歩く自分」の2つのシーンを思い浮かべよ、そして成功するシーンを常に頭に描きながら前に進むのだ、と。

北米に着任して最初に感じたのは「答えは一つではない」でした。10人が10人の意見を述べるのは何故だろう、そしてどれが正解なのだろうと考えた時、「どれも正解かもしれない」と思ったのです。日本では正解は一つなのです。だけど、例えば経済学では社会の実証実験が出来ないために失敗だったか成功だったか、その答えは誰も引き出せないのです。経済学が自然科学に劣るとされるのは自然科学は実験を繰り返すことで正解を引き出し、精度を高めることができる点なのです。

これはもしかすると政治にも言えることなのですが、判断に関して必ず反対派や批判が出るのです。全く異論が出ないことはあり得ません。が、判断はせざるを得ないし、異論が出てもそれに振り回されないだけの胆力を身に着けることこそ、経営者でありリーダーであるのです。

例えば私が北米で株式投資をし続けるのは判断力を磨くからです。買う時は誰でも買えます。売る時が一番難しい。それらの売買の判断をなぜ行ったのか、という視点からいつも自分を磨くのです。そういう点では投資信託を介していても何も学べないともいえます。

私がこのブログで様々な放言をしています。これも私が考えた上での判断の一つ。それがそうなるかどうかは私が決定者ではないので当然、外すことも多々ありますが、私がこう思う、という判断をしたらそれがどうなっていくのだろうか、と考えるとあたかも政策決定者のようで楽しいのです。

しかし、実践の経営判断は間違えるわけにはいきません。楽しいなどと言っている場合ではなく、常に緊張感をもって判断の積み重ねをします。故に今日も歩きながら、シャワーを浴びながら、あるいはトイレで座りながら考え続けるのです。「3秒で判断できるように」です。

どれだけ有名人や大御所とされる人が「こうだ」と述べたとしてもそれが正しいとは限らない、あるいは、100人のうち99人がそうだと言ってもそれが正解だと断言できるのか、これが私の立ち位置です。つまり、誰かからの受け売りではなく、それを聞いて自分の中で消化したのか、これがポイントであり、経営者の判断ではないかと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年12月5日の記事より転載させていただきました。