原子爆弾から学ぶこと

Dennis Swanson – Studio 101 West Photography/iStock

12月3日号のNew England Journal of Medicine誌に「Learning from the Bomb」と言う記事が掲載されている。ハーバード大学の公衆衛生学の名誉教授のBarry Bloomさんが書かれたものだ。

毎年8月になると、彼の気持ちが落ち込むという文章から始まる。理由は広島・長崎の原爆記念日に対する関心が年々薄れていくことを嘆いたものだ。今年は映画「オッペンハイマー」が公開され、ロシア・北朝鮮・中国・米国での戦術核兵器の開発に対する危惧があるにも関わらずだ。

Bloom博士は、80年代後半にRadiation Effects Research Foundation(RERF)で科学諮問委員をしていた。と書くと日本と関係がないように思う人が多いだろうが、この研究所は低いが広島と長崎にあり、日本語では「放射線影響研究所」となる。

1946年に米国トルーマン大統領が発足させたABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)「原爆傷害調査委員会」をその源流として持ち、1975年にRERFとなった。原子爆弾の生物学的・医学的影響を長期間にわたって調査することが研究所のミッションだ。

実は私も90年代半ばに、米国側の研究所の責任者として、カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校から広島に赴任したWolff所長に依頼されて、科学諮問委員を務めていた。

遺伝子やゲノム研究なくして放射線の影響は語れなくなってきた時代だったとはいえ、40歳になるかならないかの私が諮問委員を務めるのは荷が重かったが、Wolff所長の息子さんがユタ大学で私の大学院生で面識があったこともその理由のひとつだ。

突然、当時在籍していた癌研究所に電話があり、「広島のRERFの所長に着任した。日本で遺伝子・ゲノムというと、お前の名前しか思い浮かばないし、国際的にも通用する名前なので、委員になってくれ」と自尊心をくすぐられて、「わかりました」と即座に返事をしたことを覚えている。単純な私の性格を見透かしたような勧誘だった。

この研究所は当初は米国の支援で運営されていたが、今は米国と日本の支援で運営されている。委員として科学的な評価をする以上に、多くのことを学んだと思う。

原子爆弾の爆発点の温度は3〜4百万度で爆心地には3000〜4000度の熱線や火球が降り注いだという。鉄は1500度で溶けるので、その温度の高さは驚異的だ。そのため、正確な死者数はわかっておらず、2020年にScience誌に報告された論文でも、広島で9万人から12万人、長崎で6〜8万人と大きな幅がある。

放射線の影響は、純粋に科学的な評価ではなく、政治とのせめぎ合いだ。ロシアの原発事故の影響もはっきりしないし、この国では、東日本大震災後、何の調査もせずに「放射線の影響はない」と言った愚かな政治家がたくさんいた。調査も学習もなければ、学べるはずもない。

津波被災者の方々の健康被害調査も不十分だ。コロナ感染症流行時もそうだったが、大惨事においては、政治家や官僚の科学的リテラシーの高低が国民の命を左右する。国民の健康を守れなくて、何が政治かと思う。

民主党の復興策に伴う負の遺産を清算する自民党に期待したが、それも期待外れだった。福島県の野生動物の放射線影響調査をしているグループがいるが、日本の評価がさらに下がらないことを願っている。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2023年12月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。