煙害被害:数値化・可視化し示すことの重要性

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本稿では「数値化・可視化し示すことの重要性」を記しておきたい。

最初にお断りしておくが、筆者の一連の論考は論文ではなく、あくまで一庶民の雑記雑感であり読みにくい長文である。

それでも読みたいという方向けであり、あらさがし・嘲笑的な嫌がらせに類するコメントをわざわざ付けるような者を読者・議論の相手として想定していないことを改めて明示しておく。

煙害測定は学術的にも有効な手法

筆者は欧米諸国の煙害被害者や研究者の発する情報を調査し、彼らの明確な行動傾向を把握した。

欧米諸国にあっては煙害被害者(薪ストーブに限定せず一般的な大気汚染を含む)は自らエアモニタを購入設置し、被害の程度を連続自動測定し数値化・可視化することで世にその被害の程度を訴える手法が広く採られている。

全世界に広がるPurpleAirの測定網

これらに使用されるローコストエアモニタは全世界に(非公開を含めれば)恐らく3万基以上が設置され、日々空気質を測定し続けている。

エアモニタのオーナーたちはデータを蓄積分析し、彼らの在所における大気汚染の実際を世界に公開し、世界中の同志たちと情報交換を行い、取得したデータをもとに空気環境を改善する活動に実務的かつ積極的に励んでいる組織も多い。

中にはそのデータを基に訴訟を行い、煙害被害を行政に認定させたという例も存在する。

行政府によるエアモニタは主に都市部や幹線道路沿いが主で、郊外住宅地や田園地域にはあまり設置されていないのは、諸外国も日本も同様である。

このため、民間人によるローコストエアモニタは、行政府による設置が無い「空白地帯」での空気質の調査に有効である。

またこのローコストエアモニタは、最近では大学の研究にも使用例が増えている。英国アイルランドドイツなどでの最近の「住環境での薪ストーブや暖炉による大気汚染」を調査する空気質研究にも多数のエアモニタが有効に活用されている。

このように、煙害測定は学術的にもスタンダードかつベーシックな手法であり、被害証明にも極めて有効である。

さらには「立証責任の原則」という言葉がある。

何かを主張するなら、原則としてその根拠を主張者が自ら立証する責任が有る。

しかし、この当然かつ必須と言える「立証責任の原則」と「被害の程度を数値化・可視化し示すことの重要性」は、煙害に関連しては残念ながら次項に示すような現状であることが判明し、筆者は愕然としている。

「測る=知る」を否定する日本の被害者

空気の汚染原因物質は多種が有り、ガス状物質はエアーサンプラー等の機器が必要であり、専門家の支援も必要となり素人には採取分析は困難である。

しかし、燃焼による主要な汚染原因物質のうち最も測定しやすいのは微粒子である。

PMの測定は最も安価な部類の機器で可能であり、専門知識も要せず誰にでもできる。

煤煙汚染の程度を初歩的レベルで把握するには極めて好都合なはずである。

繰り返すが欧米諸国での煙害被害者は自ら測定を実施しその被害状況を数値化・可視化することが基本的な行動となっている。

それにもかかわらず、

日本の煙害被害者の中には「測定など無意味だ」と豪語する者が存在し驚きを隠せない。

自分が苦しめられている対象物質の実態を知ることを軽視し「測る=知る」ことを放棄するのはなぜか。

5分間隔自動測定値の例

命と健康が脅かされていると言いながら、自身の置かれている状況を数値化し知ることを頑なまでに避ける理由が筆者には全く理解できない。

実は、日本では屋外用ローコストエアモニタが販売されていない。屋外空気質を安定的に測定するには、現状では個人輸入するしか方法は無いが不可能ではない。

中学生レベルの英語で可能なことではあるし、スマートフォン程度の価格帯なので高価すぎて購入できないということも無かろうとは思うのだが。

しかしそれよりも安価な記録式室内用エアモニタは数種が販売されており通販で入手は可能、それらを上手に活用する方法は有るのだが、それも嫌だと言うのではどうにもならない。

なぜエアモニタによる測定を無意味だと言うのだろうか。

空気質測定が無意味だと言うなら、彼ら煙害被害者は自身で無意味だと言うPM2.5の有害性や測定値に関心を持ち言及する必要も無いし、エアモニタを使用した空気質研究の論文を援用すべきでは無かろうと思うのだが。

また、気象学的分析や粒径分布などの考察や実測値提示も無しに「黄砂は無臭だから問題無い」との珍説を発しつつ環境問題を叫び空気汚染を主張するような迷言説は全く以て理解に苦しむ。

「無臭=無害」と根拠提示も無く断ずるのはあまりにも暴論であり、基本的な科学リテラシーが欠如していると判断せざるを得ない。

怒りをちからに

一方的で理不尽な煙害被害を受け、被害者たちが冷静平常心ではいられない、強い言葉で何かを言いたくなる気持ちは、筆者も通ってきた道なので痛い程によくわかる。

ただ、「現在合法である行為者」に対する怒りの罵倒発言だけで解決できる問題ではないことを、煙害被害者には理解してもらいたいと思うのだが全く伝わらないのが残念な現状である。

怒りは盲目に通じる。

筆者はその発煙行為者による傲慢な理不尽に対する激しい怒りがあるからこそ今は「怒る」のをやめている。

怒る代わりに、傲慢な発煙行為者の身勝手な行動の結果が地域にどんな害悪をもたらしているかの公開証明を全世界の人がリアルタイムで見ることが可能な状態で、空気質測定により行うことにした。

付近の薪ストーブから煙が出続けていた日の測定例

言わば、一種の晒し行為ではあるが、当然ながら盗撮には該当せず空気質測定は正当な合法行為であり、彼らが撒き散らした煙を筆者に常時測定公開されたくなければ、近隣住民に迷惑な煙を出さねば済むことである。

因みに日本国内で一般に公開された各種エアモニタは筆者の運用する2基を含めても10基にも満たない。これは先進国中で最少であることを付け加えておく。

日本にあっては、空気の複合汚染が、と強気で叫ぶ者が多い割に、彼らが公開エアモニタを設置している様子も無い。

何らかの汚染を主張するなら他者に示すデータが無ければ主張の説得力も担保できないとは思うのだが。

これらに関連し、筆者の論考のうち、「行政が放置する生活環境の諸問題」の記事の一部について、掲載が不適切であると判断し部分削除を行った。


編集部より:この記事は青山翠氏のブログ「湘南に、きれいな青空を返して!」2023年12月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「湘南に、きれいな青空を返して!」をご覧ください。