高齢者の延命治療の闇:医療費自己負担の適正化を急げ

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高齢者の延命治療で懐が潤うのはどこか?

急性期病院において、DPC制度により入院が長期になると病院側は赤字に傾き、勤務医も固定給であり利はない。

低い自己負担額を優に越す公金が入る患者家族だけだ。

低すぎる自己負担により、高齢者の医療利用閾値は極めて低い。生活保護世帯含め、「医療費自己負担額」<<<「家族を生かすことによる入る公金」という不等式が成り立ち、患者背景からは適応がないと思われる延命治療や、積極治療を希望される家族が散見される。問題の比重は、個々の家族のモラルの問題よりも、制度に重きがある。

処置や治療を行うか(続ける)かどうかというのは倫理に抵触する難しい問題で、現状は現場の多職種で話し合った上で、家族と相談して決めるしかない。医療者のコンセンサスは、十分な説明を行ったとしても家族が受け入れなければ無に帰す。

時間をかけた病状説明により、終末期や老衰に関する理解が得られることも多い。しかし、公金に加えて「何かやってあげた感」がついてくるので、延命治療や積極治療を希望されやすい状況がある。

家族の希望と反対の方針を無理に押し通すことは、現状の診療ガイドラインや訴訟判例からは不可能である。そして、家族希望も含めた検討や判断は、何の免責も後ろ盾もなく、現場担当医に丸投げ状態のため、萎縮過剰医療が行われやすい状況にある(方針を決める際の社会的リスク=医療訴訟判例や医師殺人事件についてはご存知の通り)。

そのため、老人虐待同様の過剰な延命に繋がらないような意思決定を援助するために必要なのは、医師の十分な説明に加えて、行政の終末期に対する言及と、萎縮医療を招く訴訟判例の見直し、終末期についての診療ガイドラインの作成であるが、現状これらは極めて難しい状況となっている。

(※ 一方で、老人延命を食い物にしているような悪徳慢性期病院が存在するのも事実で、これらは糾弾されるべきである。)

この狂った制度を変えねば、未来はない。多額の社会保険料納税に伴う現役世代の貧困はもちろん、様々な形で襲い来る「過剰社会保障排泄物」の増加は、急性期病院の現場をも更に苦しめる。

また、延命治療を受ける高齢者の姿は見るに耐えない。彼らは後悔しても発信の術を持たないのだ。文字通り体と引き換えに「寝たきり大黒柱」を営んでいる。

自己負担額が適正化されれば、現状の歪んだ最期のあり方は自然と変わる。過剰社会保障も抑制できる。

(編集部より)この記事はくず(@premiumrarara)のポストからの転載させていただきました。