ダイハツでは今年4月にインドネシアで4車種について不正があったことが発覚、その後、2車種追加されて「ダイハツ6車種問題」として第三者委員会が調査を継続していました。異例ともいえる長期に渡る調査の結果、不正は25の試験項目174の不正があったと報告され、ダイハツは国内外全車種の出荷を止める事態となりました。
まだニュースとしては初期なので今後いろいろな事実、更には専門家を含めたコメントが出てくると思いますが、私はばっさりタイトルの通り、この問題はビッグモーター問題と類似性があると考えています。
まず、私の今年5月20日付のブログにダイハツ問題、日野自動車問題を受けて次のように書かせて頂いておりますのでコピペさせて頂きます。
日野、ダイハツとトヨタグループでなぜこのような問題が連続して生じたのでしょうか?幹部は共にトヨタ出身者です。事業運営はトヨタと歩調を完全一致させるわけで、一企業としての個性は喪失され、厳しいルールや規制、トヨタポリシーがより強く幹部の肩にのしかかり、それがプレッシャーとなって会社全般に広がっていく、そんな構図がありやしないか、と思うのです。つまりトヨタ出身の幹部による重圧はなかったのか、そこも検証した方が良い気がします。エリート集団故の問題だったのではないでしょうか?
トヨタグループでは豊田自動織機でも不正がありましたが、同グループに次々と襲い掛かる問題の本質は何かといえばズバリ、管理体制と組織作りにあるとみています。ダイハツにしろ、日野にしろトヨタグループという表向きの聞こえの良さと内情との相違があるとみています。それはダイハツの社員も日野の社員もトヨタに使われているという思いです。平たく言えば「偉くなれない」だから「忠誠心は落ちる」のです。もっとわかりやすく言えば「誰のために仕事をしているのか?」が失われた中で繁忙期と細かい手続きが次々と生まれる中、やけくそになった、ということでしょう。
これはビッグモーター問題と同根なのです。厳しいトップや上司にわんわん言われて、できもしないハードルに精神的にズタズタにされる、その結果、ズルをするわけです。同じですよね。
私はトヨタという会社は盤石ではないと昔から思っていたところがあります。それはあまりにもエリート意識が強く、日本のトップ企業で稼ぎ頭という自負の塊であるためにトップを維持するために誰かが犠牲になっている、それが今回、その組織の最も弱い子会社の生産部門で起きた、ということです。トヨタの役員や幹部に出世競争の本心が見え隠れしており、それぞれの責任者が功績を上げるために必死になっているのです。戦国時代の武将が「今度は私に先陣を…」というのと同じです。
コロナで自動車生産が計画通り出来ず、受注残が積みあがる中、業界は超繁忙期であったと思います。一方、社会はコンプラにガバナンス、更には新たなルールがどんどん生まれ、末端は覚えるだけでも大変な状態になります。当然ながら人事も生産側に多めの配員にせざるを得ず、安全や管理という面ではおろそかになります。トヨタは世界一の生産台数を誇るわけですが、それを維持し、かつ、顧客の満足度を得るために末端の社員を犠牲にせざるをえなかった、ということでしょう。
報告では「組織的な不正を示唆する証拠はなかった」とあります。要はせいぜいリーダーまでの認識で組織的な問題ではないというわけです。そんな阿呆なことがあるわけありません。不正は1989年から34年も続いています。当時平社員や工員でも時代と共に当然、ベテランになっていくのです。会社としてそういう事実があったことは多くが知っていたけど「見ないふり知らないふり」だということです。第三者委員会の報告書は証拠を積み上げるので「そんな昔の話は…」だし、当時の管理職は既に退職している人も多いでしょうから判明せずという結論だったと察しています。
この問題、たまたまトヨタグループに集中していますが、当然ながら他の大手企業でも毎月の様に問題が起き、「謝罪の文化」なるものが生まれ、コンサルタントは企業に「謝罪会見のABC」を伝授し
、日経ビジネスでは各社の謝罪について批評をする特集まで組むわけです。くだらないというか、日本的であると言わざるを得ないのです。
結局、下部組織が声を上げることができないことに問題の本質があると見ます。そして80年代から続く問題に関して社会の意識や社員の仕事に対するスタンスはすっかり変わったのに同じやり方を繰り返していてはそれは成長が無さすぎると思います。
実に日本的であり、毎度の話であり、残念というか、またどこかで起きるのだろうな、としかコメントできない事件だったと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年12月21日の記事より転載させていただきました。