聖職者も「不規則な状況にある人々」

ローマ・カトリック教会の総本山バチカン教皇庁のヴィクトル・マヌエル・フェルナンデス教理省長官は18日、「同性カップルもカトリック教会で祝福を受けることができる」と表明した。バチカン教理省(前身・異端裁判所)が発表した文書には「不規則な状況にあるカップルや同性カップルを祝福する可能性について」と記述されている。そして「同性カップルも今後、教会内で祝福を受けることができる」と強調する一方、「結婚の秘跡に内在する祝福との混同を避けるため、教会での儀式的枠組みの祝福とは区別しなければならない」と説明している。

オーストリアのカトリック教会の精神的支柱シュテファン大聖堂内(2023年12月19日、撮影)

バチカンの立場は明確だ。婚姻は男性と女性の異性間のものであること、婚姻のサクラメントは異性婚のカップルに限るものだ。新しい点は、同性カップルに対し典礼外で神の祝福を与えることが出来ることだ。欧米教会で多くの聖職者が既に教会内で同性カップルに神の祝福を与えてきたが、バチカンは今回、それを不法と断罪せずに承認する形だ。ただし、先述したように、「異性婚カップルへの神の祝福と混同してはならない」と何度も釘を刺している。

バチカンの今回の決定を欧米教会は概ね歓迎している。米シカゴ教会のブレイズ・キューピッチ枢機卿は、「不規則のカップルの祝福を許可したバチカンの宣言を歓迎し、「教会は同性カップルを含む不規則な状況にある人々に対する司牧的なアプローチを何よりも必要としている」と述べ、今回の決定を「前進」と評価している(バチカンニュース2023年12月19日)。

ちょっと不謹慎かもしれないが、バチカンの文書の中に何度も登場する「同性カップルを含む不規則な状況にある人々」という表現を聞いて、ひょっとしたら「ローマ教皇を含むカトリック教会の聖職者も不規則な状況にある人々」ではないかと感じたのだ。彼らは神の召命を受けて聖職に従事する人々だが、彼らのコミュニティは同性者から構成され、異性者との婚姻を許されていない「不規則な状況にある人々」だからだ。

神の創造の計画は男性と女性間の婚姻であり、家庭を構築して子孫を繁栄することだ。とすれば、教会の聖職者はその神の創造計画と整合しない人々となるから、明らかに「不規則な状況にある人々」と評しても的外れではないだろう。

「同性カップルに対しても神の祝福を与えることが出来る」という今回の教理省の発表は神の祝福を願う同性カップルの救済向けとなるが、同性カップルと同じように「不規則な状況にある」聖職者に対しても救いの手を差し伸ばすチャンスと感じるのだ。

世界のカトリック教会では数万件以上の聖職者の未成年者への性的虐待事件が発生してきた。教会指導者は過去、聖職者の性犯罪を隠蔽してきたが、教会の内情はもはや隠しようがない。“ドイツ教会の重心”マルクス枢機卿は、「教会は同性カップルの生き方に負の評価をくだしてはならない。むしろ“司牧的に寄り添う”(seelsorgliche Begleitung)べきだ」と語るが、その前に、教会は聖職者を独身制という檻から解放すべきではないか。

フランシスコ教皇は世界シノドスでは教会の刷新として女性の登用の拡大をアピールしているが、聖職者の独身制の義務を廃止し、聖職者の婚姻を許可すべきだ。神の創造の計画に整合するためには、教会は聖職者の独身制を廃止して、「同性サークルの教会」から「家庭教会」に刷新すべきだろう。

独身制は明らかに神の創造計画に反している。野生動物学のアンタール・フェステチクス教授は、「カトリック教会の独身制は神の創造を侮辱するものだ」(オーストリア日刊紙プレッセ2018年10月3日付)と言い切っている(「聖職者の『独身制』を改めて考える」2018年10月5日参考)。

カトリック教会で聖職者の独身制議論が出るたび、教会側は「イエスがそうであったように」という新約聖書の聖句を取り出して、「だから……」と説明する。ただし、ベネディクト16世は、「聖職者の独身制は教義ではない。教会の伝統だ」と述べている。カトリック教会の近代化を協議した第2バチカン公会議(1962~65年)では既婚者の助祭を認める方向(終身助祭)で一致している。聖職者の独身制は聖書の内容、教義に基づくものではない。教会が決めた規約に過ぎないことをバチカン側も認めている。

キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由があったという。

繰り返すが、バチカンは同性カップルへの神の祝福を認可するだけではなく、さらに一歩進め、同じ「不規則な状況にある」“聖職者の独身制の義務”を放棄すべきだ。聖職者の未成年者への性的虐待問題も案外、独身制の廃止が大きな効果をもたらすかもしれないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年12月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。