いい失敗と悪い失敗の違い

黒坂岳央です。

とにかく失敗してしまうことを恐れる日本人は少なくない。その理由は「失敗すると周囲から叩かれる。無能だと思われる」という自己肯定感の喪失だけでなく、「とにかくしない方が良いもの」という価値観が強く根付いているだろう。

だがこれは「失敗」への解像度が低いことに由来する改めるべき価値観だ。失敗にはいい失敗、悪い失敗の2種類があり、決して一緒くたにするべきではないのだ。

chachamal/iStock

優秀な人も失敗をする

筆者は外資系企業で働いた時期があった。その時は同僚や外資系コンサルに東大卒、海外有名大学MBAホルダーもおり、確かに非常に優秀だと感じる仕事をしていた。だが、同時に常に100点を取れるわけではなく、失敗もしていた。

起業した今も取引先のビジネスマンに大変優秀な人もいて一緒に仕事をしてきた。これまでいろんな人と仕事をしてきた経験から言えることは「世間では神様のように崇められる経歴で優秀な人でも、間違えることは普通にある」という当たり前の事実である。

政界でも大変優秀なキャリアを持つ人も多いが、後から政策の失敗だと評価されることもある。世の中、失敗しない人は誰一人いないのだ。

だが、彼らに共通していたのは「質の低い失敗はしない」ということだ。

質の低い失敗とは?

次に質の低い失敗を考えたい。いつくかあるが身近な事例を中心に取り上げたい。

まずは「同じ失敗を繰り返す」である。プロセスも結果もデータとして入手できたのに、全く同じアプローチを試み、全く同じ失敗するという結果になるのは好ましくない失敗である。たとえば本人のいないところで陰口を叩き、結果的に相手から嫌われて後悔した人がヒソヒソ悪口をいう快感の誘惑に負けてまた別の人の悪口をいって同じように嫌われる、みたいなイメージである。この場合、原因は「後悔」をしても「反省」していないからであろう。

他には「事前に調べておけば回避できたミス」だ。人との待ち合わせにおいて事前に場所をよく確認しなかったことで当日、迷って遅刻するみたいなイメージだ。この場合、仮に想定通りにいかなかったリスクやダメージを計算できていなかったことに由来する。たとえばずっと恋い焦がれている相手とデートできるとなれば、事前の下調べを入念にしない人はほとんどいなくなるだろう。これは万が一、うまくいかなければ大きなチャンスを流してしまうリスクが事前に顕在化できているからだ。事前のリサーチという手間を過大評価し、潜在リスクを過小評価する時に起きるエラーである。

このように犯すべきではない、質の低いミスはいくつもある。共通点は「意識することで誰でも未然に防止できる」という回避策が確立していることだ。それにもかかわらず、ちょっとした手間を惜しんでミスを繰り返すのは優秀という評価を取り逃しても仕方がないだろう。

質の高い失敗とは?

翻って同じ失敗でも質の高いものもある。

1つ目は仮説の検証である。何事も新規の取り組みはやってみないとわからないことは多い。事前に限界までリサーチをし、リスクとリターンのリワードを評価、後はやってみた結果を分析して改善をしようという段階になれば1秒でも早くやってみるべきである。仮にうまくいかなくても、このような試みからは大きなリターンがある。

事前に持っていた仮説はなぜ想定通りいかなかったのか?読み間違えた原因は?結果は想定とどう違ったのか?こうした膨大なデータを解像度高く獲得することができる。重要なのは事前に「仮説」を持った上で試行し、そして結果をしっかり検証する態度である。オペレーションの数だけ成長が保証され、やがて似たようなパターンはミスなく攻略できるようになり、次の仮説もレベルが向上する。

2つ目はリスクリワードである。「リスクを取らなければ大きなチャンスは決して得られない」ビジネスマンなら誰しも頭ではわかっているこの世の真理である。とはいえ、でかすぎるリスクを取って再起不能で退場するのは得策ではない。重要なのはリスクリワードの良い局面で思い切った挑戦をすること、つまりは環境認識力ではないだろうか。

40年勤め上げてまとまった退職金を元手に蕎麦屋を開業して失敗、という話があるがこれはリスクを過小評価した結果である。一方で株式の暴落局面で「2番底、3番底があるぞ」と騒がれている時に思い切って投資をするのはそれほど悪い選択ではないだろう。仮にさらなる暴落があっても、すでに大きな暴落があったなら下落はかなりの程度、限定的といえるしそうなれば回復を待てばいい。逆に誰しも買い向かう最高値を更新し続ける局面からオール・インする方が遥かに恐ろしい。正しいリスク評価をした上での失敗は報われる可能性は高いだろう。

いい失敗にも関わらず、うまくいかずに経営資源を消費したことに怒る人は考えを改めるべきだろう。リスク評価と仮説を持って取り組んだ新規の試みはたとえうまくいかなくてもそれはいい失敗である。よしんば叩かれるのを恐れて何もしなければ、今度はリスクを取らないリスクに晒されてしまう。個人的には失敗した人を集団で嬉々として叩くメンタリティを改善しなければ、良い失敗をすることを恐れて社会全体がジリ貧になってしまうのではないかという懸念がある。もっといい失敗に対して寛容な社会作りが望ましいと考えるのだがどうだろうか。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。