いまさら騒ぎ立てるわけではありませんが、日本の人口減少と少子高齢化の勢いが止まりません。このままいくと、2070年までに人口は8000万台に落ち込み、3人に1人が65歳以上、4人に1人が75歳以上になると想定されています。
その結果日本がどうなるか。様々なシナリオや事態が予想されますが、一つはっきりしていることは、地方の過疎化、衰退が一層進むということでしょう。現在すでに、一極集中化が進む東京都を除いて、全国的に人口の減少が加速しており、消滅の危機に瀕しているとされる市町村が少なくありません。とくにここ数年、コロナ禍の影響もあってか、地方では、学校が閉鎖されたり、老舗企業が潰れシャッター街が増えたりしているところが急増しています。
私自身この一年間に講演などで時々故郷の新城市に足を運んでいますが、そんな折、夕方になると新城駅で駅員がいなくなり、完全な無人駅になっているのに出くわして、愕然としました。それだけ飯田線の利用客が少なくなったということでしょうが、私たちが子供のころの駅前の賑わいを思うと、まさに隔世の感があり、一抹以上の寂しさを感じます。
しかし、その一方で、新東名高速道路が開通し、新城市内にインターチェンジ(IC)ができ、道の駅「もっくる新城」もオープンして活況を呈していることなどをみると、今後この地域は大きく発展する可能性を孕んでいるのではないか、決して将来を悲観することはないのではないかとも思います。
地域活性化に向けて
そんなことをあれこれ考え、私なりに何か故郷の活性化のために良いアイデアがないものかと思案していたところ、ちょうどお誂え向きに、一冊の本が出版されました。
『愛知奥三河 今昔物語』と題するこの本は、10月半ばに東京の恒春閣という出版社から出版されたばかりで、新城市川路在住の弟(書道家の金子賢次、雅号華石)が送ってくれたものですが、読み始めた途端に引き込まれ、一気に読了しました。大変内容の濃い有益な本だと思います。
編著者は穂積前新城市長など6名、執筆者は下江現市長ほか30名近くに及び、いずれも奥三河各地域の行政や産業、教育などに深い関わりのある顔ぶれ。中には、「新城ふるさと応援隊」のメンバーとして、長年新城市の活性化に尽力されている方々も。まだお読みになっていない方には、ぜひ一読をお勧めします(ちなみに、この本でカバーされている「奥三河」は新城市、設楽町、東栄町、豊根村に限られています)。
実は、私自身は70年近く前に故郷の旧東郷村を出て以来すっかりご無沙汰しており、昭和と平成の「大合併」の経緯や以後の地元の動きなどには疎いので、いまさら何か目新しい建策や提言ができるとも思えず、その資格もありませんが、故郷を思う熱い気持ちだけは今も変わっていないつもりなので、この際甚だ僭越ながら、右の本に触発されて、いささか自分勝手な私見を述べさせていただきたいと思います。
所詮「今浦島太郎」的な繰り言に過ぎないかもしれませんが、その点については予めご海容いただくとともに、重大な勘違いや誤解などがあれば忌憚なくご教示をお願いしておきます。
地域経済圏の形成なるか
さて、地図をみれば一目瞭然ですが、新東名が完成し、しかも新城ICができたことにより、新城市は名古屋、東京と直接つながるという絶好の環境が整ったわけで、今後奥三河の中心(ハブ)として一段と発展する可能性が膨らんできたように感じます。実際、すでに名古屋への定期便が新城市役所から出ているし、東京―大阪間の高速バスが「もっくる新城」にまで下りてきているそうです。
さらに数年後に三遠南信自動車道が完成すれば、三河(新城北部、鳳来峡IC、東栄IC)、遠州(浜松市、三ヶ日JC)、長野南部(南信州、天竜IC、水窪IC、飯田山本IC)を結ぶ産業道路により、かつて江戸時代に栄えた経済圏の復活ということになります。浜松いなさICが、新東名と三遠南信自動車道との結節点となりますが、そのいなさICと新城IC間はわずか14.1キロ。まさに至近距離です。
物流はもとより、人の往来も飛躍的に拡大するでしょうし、将来浜名湖を挟んで浜松市とも連携して広大な経済圏が生まれるのではないか。そうなれば、山紫水明の山村地域と太平洋に面した海岸(湖)地域の利点をミックスしたダイナミックな広域経済圏が形成される可能性が十分あるのではないか。愛知、静岡、長野の3県に跨るので、政治的に複雑な面は多々あろうかと思いますが、ぜひ将来の方向性の一つとして積極的に取り組んで行ってもらいたいと思います。
移住・定住と移民
ただ、仮にそのような広域経済圏が出現し、就労機会が増えたとしても、そこに住む十分な人口を確保できなければ無意味。少子高齢化による労働人口の減少をどう食い止めるか、つまり、どこから新しい人口を持ってくるかが大問題です。
もちろん域内の人口を増やすためには、まず新生児の誕生を増やさねばならず、そのためには婚活と出産・育児を容易にする環境、そして当然ながら若者が地元で家庭を築きたくなるようなインセンテイヴ作りが欠かせません。また、域外からの新しい流入(Uターン、Iターン)を増やす仕組みも作らねばなりません。
こうしたことは私がここでいちいち言わなくても先刻地元の皆様は判っていることで、現に全国の多くの地方自治体が躍起になって動いています。しかし、国内人口が確実に減少する中では、成果を挙げるのは容易ではないでしょう。
そこで重要になってくるのが、外国からの移民(短期、長期、永住)の受け入れ拡大です。ご参考までに、新城市に例をとってみると、同市在住外国人のトップ5は次の通りです(昨年12月現在)。
- ブラジル人:229世帯433人
- ベトナム人:268世帯286人
- フィリピン人:96世帯152人
- 中国人:36世帯99人
- ネパール人:71世帯77人
ちなみに、ブラジル人は男性が、ベトナム人は女性と単身者が圧倒的に多いのが特徴的。
今後こうした外国人の三河への移住をどうやって増やすかが問題ですが、こちら側の受け入れ態勢が十分整っていれば、三河に移住しようとする外国人は結構多いのではないかと思います。
ただし、安全保障上の問題もあり、基本的には親日的な国の人を優先すべきです。その観点からすれば、アジアではベトナム人やインド人が最も有望でしょう。とくにベトナム人については、彼らがなぜ歴史的に親日的なのかは、本欄で度々詳しく論じていますので、ぜひ参考にしてください(バックナンバーは、私の公式ホームページに載せてあります)。
ただし、周知のように、近年のベトナム人の受け入れについては日本側にもいろいろな問題があります。無用な摩擦やトラブルを起こさないよう、事前にしっかりした受入れ体制を整備しておく必要があります。
例えば、言葉の壁問題についていえば、母国語で勉強ができる学校を作っておけば、真面目で勤勉なベトナム人が来日しやすくなると思います。ベトナム語で教育や講義ができる日本人は全国にかなり多数おり、彼らにとってもよい雇用機会になります。
この辺のことについては、国にも十分協力、支援してもらう必要があります。せっかく日本に来てくれたのに、日本側の不手際や不注意で悪感情を持って帰国するようではだめ。奥三河とベトナムの農村地帯は風土的にも似たところがあり、きっと素晴らしい「三河ベトナム村」ができると思います。
城址・古戦場の観光資源化を
こんな調子でいろいろ奥三河活性化計画を論じ始めるときりがないので、別の機会に譲って、最後に一つだけ。
言わずと知れたことながら、この地域の最大の魅力(セールスポイント)の1つは、徳川家康のホームグラウンドであるということ。NHK大河ドラマ「どうする家康」のお陰で三河の知名度はかつてなく全国的に高まりましたが、その割に、現在の三河がどんなところかあまり知られていないようです。ぜひこの三河への関心を一過性のブームに終わらせないように、行政当局者も一般市民の方々も今まで以上にしっかり知恵を絞っていただきたいものです。
私も昨年秋、大河ドラマに先立って、戦国時代の城や古戦場のいくつかを見てまわりました。岡崎城、吉田城、野田城、長篠城、設楽原、三方ヶ原、浜松城等など実に多彩です。新城市にはすでに設楽原歴史資料館、長篠城址史跡保存館などがあり、展示内容も充実してきています。これらは重要な歴史遺産であると同時に貴重な観光資源でもあります。「宝の持ち腐れ」にしていてはいけません。
しかし、実際に巡回してみて痛感したのですが、これらの折角の史跡や資料館などがバラバラな感じで、まだまだ工夫の余地があると思います。これらを相互にうまく関連させて、歴史学者や歴史愛好家だけでなく一般市民にも理解しやすいようにアレンジしたらどうでしょうか。
また、例えば、設楽原の古戦場には連吾川沿いに馬防柵が一部復元されており、そこで年に1回火縄銃の射撃デモンストレーションも行われていますが、それを常設化し(毎週1回程度実演)、遠方からの観光客にも見学しやすいようにするとか、外国人向けに英語の説明やガイドも用意するとか。また、史跡めぐりの小型観光バスを走らせるのもよいのでは?
その際、参考となるのは、例えば、ナポレオンのフランス軍と英蘭連合軍が激突したワーテルローの戦い(1815年、ベルギーの首都ブラッセルの郊外)や、米国の南北戦争最大の激戦地・ゲティズバーグの古戦場(1863年、ペンシルヴァニア州)にある観光施設。私も何度か訪れたことがありますが、大変見ごたえがあります。行政当局者はぜひ現地を視察して、ヒントを得てください。なお、ワーテルローについては、私の公式ホームページに簡単な視察記が載っていますので、ご覧くだされば幸いです。
(2023年12月25日付東愛知新聞 令和つれづれ草より転載)