「西洋の没落」の不可避と日本の高齢者が招く混乱

篠田 英朗

オスヴァルト・シュペングラーが『西洋の没落(Der Untergang des Abendlandes)』を著したのは、1918年だった。第一次世界大戦が、物理的な荒廃だけでなく、文化的な卓越性をも、「西洋(Abendland)」から奪ったことを、多くの人々が感じていた時だった。そのため、『西洋の没落』は広く読まれた著作となった。

シュペングラー自身は敗戦国・ドイツ帝国の人物だった。そのため少し偏見があったことは確かかもしれない。しかし「西洋の衰退(Der Untergang des Abendlandes)」はまやかしだった、その後も「西洋」が影響力を持ち続けた、と考えるのは、誤りである。

シュペングラーが論じた歴史的な意味での「西洋」は、第一義的には、欧州のことである。欧州の影響力が、19世紀までの権勢と比べて、20世紀になって衰退したことは疑いのない事実だと思う。

20世紀に世界を主導した二つの超大国であるアメリカとソ連は、いずれも厳密な意味では欧州ではない。とはいえ、確かに、両者を「広い意味での西洋」の一部とみなして、それをもって「西洋の衰退」は二つの超大国によって防がれた、と論じることは可能ではあるかもしれない。しかし20世紀末にソ連は消滅した。アメリカもまた、その力を衰えさせている。

国際政治学の領域では、アメリカがベトナム戦争から敗走した後の1970年代などに、アメリカの衰退を論じる議論が華やかになった。だが反論も多くなされた。冷戦終焉後に「自由民主主義の勝利」の物語とあわせて、世界で唯一の超大国となったアメリカの「単独主義」が語られるようになって、「アメリカの衰退」は間違いであったかのように総括されることが多くなった。

だが長期的な傾向からすれば、19世紀から20世紀にいたる時代の流れで欧州が衰退したのが疑いのない事実であるのと同様に、20世紀から21世紀にいたる時代の流れで米国もまた衰退しているのは否定できない事実であるように思われる。「アメリカの衰退はブラフだ」の主張は、そもそも非常に怪しいうえに、少なくとも限りなく通用する法則のようなものではない。

1960年に世界経済全体の40%を占めていたアメリカのGDPは、2019年の統計で24%にまで落ちている。欧米諸国という言い方で、「西洋」を考えた場合であっても、あるいはさらにその友好国である日本を加えた場合でも、世界経済全体における「西洋」の割合は下落の一方だ。現在の経済成長率、及び人口動態の数値を見れば、さらなる「西洋の衰退」が不可避的な長期的傾向であることは、火を見るより明らかな現実である。

文化的な影響力を測定するのは難しいが、たとえば政治現象を見ると、欧米諸国に芳しくない状況が広がっていることは明らかだ。冷戦終焉後一貫して増え続けていた「民主主義国」の数は、近年、減少に転じた。欧米諸国主導の軍事介入はもちろん、和平努力すらも、失敗か停滞に直面している場合がほとんどである。

もっとも西洋の「没落」というよりは「衰退」であり、かつてほどの影響力はなくなった、という意味である。そしてかつてよりも影響力を高めた諸国からの追い上げにさらされている、ということである。

2021年アフガニスタンからのアメリカの敗走は、「グローバルな対テロ戦争」の一つの暗澹たる帰結を示したのみならず、アメリカの衰退・西洋の衰退を、強く印象づける事件であった。その後、ロシアのウクライナ全面侵攻を見て、欧米諸国は団結して勇敢に戦うウクライナを支援することによって、威信を回復させようとした。しかしそこで得たある種の貯金も、ガザ危機をめぐる混乱で、喪失の危機にさらされている。

こうした状況で、日本外交が考えるべきなのは、現実を受け止めたうえで、なお同盟国・友好国と、よりよき国際秩序を維持発展させていくためにできることを一緒に考える態度だ。

西洋からアジアへ、のような安易な乗り換えは、ありえない。現実的ではない。ただ、いずれにせよ、日本国内では、西洋からアジアへ、といった左派的なスローガンは、すでに勢いを失っているように見える。アジアでは中国の影響力が圧倒的で、日本はもはや主導的な役割を、少なくとも思うようには、発揮できないからだろう。様々な意味で、現代日本はもはや第二次世界大戦時の大日本帝国ではなく、そのようなものになりうる国ではない。

現代日本で目立っているのは、むしろ復古主義的に日本の国力を誇張する極右勢力である。日本の国力が衰退している現実を受け止めず、移民排斥的な傾向にも走る。高齢視聴者に訴える扇動ユーチューバーとその取り巻きの「政党」関係者が、常軌を逸した行動に出ていることが話題を呼んでいる。背景には、日本の衰退と自己の社会的地位の実情を受け入れられない高齢者層がいるようである。

訴訟ネタになる行動に走る層を、特異なSNS界生息高齢者群と考えるとして、その外周にいるのは「西洋の没落」を受け入れられない層である。ガザ危機で、イスラエル政府の大本営発表をそのまま拡散すれば自分も安全保障の専門家になれると信じているような層、あるいは、結局は中東情勢の行方はアメリカが決めるのさ、と呟いていれば自分も安全保障の専門家になった気分に浸れる、と考えているような層である。

超少子高齢化社会とは、時代の趨勢を受け入れられない高齢者が社会を支配し、現役世代をSNSで恫喝し、若者を委縮させる社会のことである。

少なくとも自らの衰退に極めて自覚的な欧米社会では、少子高齢化社会の弊害を防ぐための努力が多々なされている。

その意味では、「西洋の衰退」の自覚なき日本の方が、より危険が大きいかもしれない。

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