2023年も感じた日本的平等感

日本が世界でもまれに見る独特な平等国家となっていることは案外、世界では知られていないのかもしれません。そもそも平等の意味を理解できないのかもしれません。「同じ釜の飯を食う」という概念を他国で見出すとすれば大学の寮生活や徴兵や軍隊生活で共に汗をかくといった特定の環境下ぐらいだろうと思います。

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日本の場合にはより広範な社会に於ける平等を第一義としています。1つには給与所得者が主流の中でその給与水準は上司から部下までほぼ丸見えであり、自分がこの会社に長期間在籍すればこれぐらい貰えるという将来予想が分かってしまいます。20年後の期待値があれば、それに合わせたライフスタイルをコツコツ積み上げるわけで厭世観と言えなくもありません。セロトニンが少ない日本人にはこれはうってつけ。音楽の歌詞も女流作家の小説も悲しくお涙頂戴がヒットの法則。ネットフリックスで映画を邦画と洋画を見くらべればそもそも画面の明るさが全然違います。故に日本の恐怖映画はより怖く、陰気くさい作品になるのでしょう。

謝罪文化。これについてももう一歩踏み込んで考えると勧善懲悪以上に、怨嗟と「すっきりしたい」気持ちの表れだとも言えます。これは韓国にも近い文化があります。半沢直樹の土下座がなぜあれほど話題になったのでしょうか?本来は自分と何ら変わらないのにズルをしてよい思いをして、うまいものを食い、良いところに住んでいる輩に対するひがみとやっかみです。論理ではない差を極端に嫌う訳です。

その差は時として給与などに限りません。例えば給与所得者と自由業、自営業、零細ながらも社長…など世の中を見渡せば様々な職業や生業の方が混在していますが、それらの方々が交わることはあまりないのです。なぜなら住む世界が違い過ぎてお互いが「うらやましい」ように見えるだけで乗り越えられない相違感に失望しがちだからでしょう。

経済的にも社会的地位にも考え方も生き方もしゃべり方も食べるものも乗る車も住む家もお金の使い方も流行に敏感なのもKYと呼ばれないようにLINEにせっせと返信するのも平等を維持するために皆さんが必死の努力をしているのです。これが日本。

人間の成長にGDPを重ね合わせるのはタブーですが、年間成長率2%は心地よい坂道なのです。5%もあると勾配がきつすぎて脱落者が続出し「もう歩けない」という人が続出します。つまり持続可能な幸福成長、これが2%程度である、とも言えます。成長率を5%に設定すると必ず不満が出て、「俺たちを置いていく気か!」と怒号が飛び交うのです。

政治家がずるいとやり玉に挙げられるのは戦後一貫した事実であり彼らは実に都合の良いサンドバッグでもあります。今般の自民党の問題も引き金は東京地検特捜部の反逆であることは間違いないのですが、週刊文春と同様、ネタはずっと前から持っていてそれをいつぶちかますかだけの話でした。地検特捜部は今や勧善懲悪のヒーローであり、テレビのレポーターが「今、特捜部の捜査員が建物の中に入りましたぁ!」と報じるのはズルは逃がさぬという水戸黄門の精神が今でも脈々と連なっているともいえるのでしょう。

他の話題になった事件でも見方次第では似た背景を感じます。「ジャニー氏はそんな悪いことして名声を上げていたのか?」「大麻やったの、僕だけじゃありません」。挙句の果てに「ゴルフを愛する人への冒涜です」というのは創業者が自分は平等組に所属しているのだ、となぜかムンクの叫び状態に陥ったのです。想像するに同氏の記者会見時の心理に本人はうそをついているという意識は全くないのです。創業者であり、責任者であるという意識も消え、あの壇上についた瞬間に「私たちも皆さんと同じなんです」になっているのです。長年意識しなかった強烈な平等感が出てきたのでしょう。

その理由は仲間外れが怖いのです。村八分もKYも同じ。学校でいじめられるのも職場で嫌われるのも結局は「一人になりたくない」がボトムラインだろうと思います。言い換えると私たちの命の保険は生命保険ではなくて「知人、友人、お隣さん」だったりするわけです。朝、家の前の掃き掃除しながらお隣さんに化粧していないけれど朝日に負けないぐらいの笑顔で「おはようございまーす!」というのは「何かあった時のお隣さん」の関係維持のために「私も一緒に掃除しています」の姿勢を見せる理由があるわけです。奥様方は実にしたたかであります。

このような社会は海外になくはないですが、ここまで統一化された空気はないと思います。私が外国人の日本への永久移住者はさほど増えないだろう、と何十年も言い続けているのはこの平等感がわかりにくいのだろうと思います。日本は背伸びは良いのです。今日はちょっと贅沢に…なんていうのは大ありなのですが、大ジャンプすれば「それまでの世界よ、さようなら、新しい世界さん、こんにちは!」であり、自分の周りの環境変化が怖すぎるのであります。この辺りは農耕民族故というのもあるのでしょう。

とは言え、世界もうらやむ平等主義ニッポンであることは誇りでもあります。超高層ビルとスラム街が背中合わせになっている街や、路上生活者の横に高級車が乗り付ける社会といったギャップは人生の半分以上を海外で過ごした者であっても全くなじめないのです。

日本人は金銭面のみならず、社会の構成員としての常識観や自立心、自尊心を含めて平等の質をもっと高めたらより素晴らしい国になれるでしょう。楽しみです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年12月28日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。