地震を理由にした一般参賀中止は間違った判断だった

昨年も皇室について、いろいろ論じてきたが、新年もダイヤモンド・オンラインで『愛子さま、悠仁さまの“名字”は何?「皇室には姓がない」と言い切れないワケ』という記事を書いた。

歴史、法律、海外の王室についての正確な知識がないとわかりにくい話だが、考えれば当たり前の話である。ぜひ、お読み頂きたい。

宮内庁
NHKより

昨年は、秋篠宮家批判が盛んだったが、ほとんどすべて不当なもので異常としかいいようがない。秋篠宮家は、上皇ご夫妻の考え方をよく継承され、きわめて質素だし、公務に対する意識も高い。

結局のところ、秋篠宮批判は上皇ご夫妻への批判の身代わりなのだと思う。美智子さまのご成婚のときからの学習院グループの恨み辛みが、眞子さま・佳子さまがICUに行かれ、悠仁さまが最初から学習院を袖にされたことで、秋篠宮家批判というかたちで吹き出たのだ思う。

もちろん、上皇ご夫妻のスタイルが絶対なのではないし、秋篠宮家が下手なことは多々あるが、批判するなら、正々堂々とするべきだ。

最近、思うに、皇室批判というのは、ほとんどプライベートな面とか、細かいお金の使い方とかいった境界領域に集中している。また、両陛下は平成のときも、令和になってからもアンタッチャブルだ。

だが、皇室について、議論すべきは、公的な側面、とくに両陛下のそれのはずである。それは、古代から当然とされてきたし、立憲君主制においては、オープンでタブーのない議論の対象となるべきなのである。

平成の末期における退位問題など、象徴天皇制の根幹にふれる問題なのに、陛下のお気持ち尊重という愚かな感情論で絶対君主制的な扱いを立派な言論人までもが支持したのはまことに呆れるべきことだった。

令和になってからの問題としては、公務があまりにも少ないことは、基本的には好ましくないはずで、それについては公的な議論に委ねられるべきだと思う。愛子さまが22歳になっても単独公務をされないことなど、学業優先は当然という問題でない。

庶民出身の学生でも、アルバイトしたり、家の手伝いしたりするわけで、まして、皇族ならそれなりの時間を公務に割くのは当然であろうし、それは、国民がみんなで議論して、愛子さま自身の判断の参考とすべきことだ。

そして、今年は一般参賀を能登半島地震のために、中止にされたのだが、これは間違った判断だと思う。

もちろん、参賀という言葉はふさわしくないし、女性皇族の服装など、お祝いっぽいものは避ける必要はあったが、陛下がお言葉を国民に発する機会としては維持すべきで、被災者へのご心配をお話しになり、国民と感情を共有することはむしろ積極的にするべきだった。

また、もうひとつの面は、多くの地方の人が参賀のために上京して楽しみにしていたのに、簡単に切り捨てることの是非だ。

令和になって地方公務は、新型コロナ以前から縮小され、これまで二泊三日の日程だったものが一泊二日になったりしている。公務全体のなかで地方をまず切り捨てている印象があるなど、全般的に地方軽視が顕著だ。

また、東京五輪のときもそうだが、なにかというと、国民に迷惑をかけたくないからと、なんでも公務を縮小してしまう方向にばかり傾きがちだ。その一方で御用邸での長期のご静養とかテーマパークなど貸し切っての私的活動はむしろ多くなっている。

もちろん、災害のときなどに、現場訪問することは、政治家の場合でも皇族の場合でもやり過ぎるとよくないこともある。なにも、上皇陛下の現場重視のスタイルがいいことばかりだった訳では無いし、令和新スタイルがあっていいのだが、それは十分に議論の対象とするべき問題だと思うし、一般論として、なんでも中止、縮小することを国民が望んでいるとは思えないし、いきすぎると皇室の存在意義にかかわるとも心配する。