被災地はついに交通規制へ:現地に入る迷惑な政治家を批判し続けるべき理由

こんにちは、音喜多駿(日本維新の会 参議院議員 / 東京都選出)です。

与野党6党で当面の国会議員による被災地入りの自粛を申し合わせたばかりなのに、某党の代表が乗り込んでいるSNS投稿を見て膝から崩れ落ちました。

能登への一般車両による移動は控えてほしい・人命救助の妨げになると石川県が再三再四呼びかける中、レンタカーを使って長時間かけて(つまり渋滞の一因となりながら)被災地に向かい、炊き出しを一緒に食べたとのことでした。

国会の一因としても、また東日本大震災の後にNPOを立ち上げて長らく復興支援に携わっていた当事者としても、本当に残念でなりません。

誰しも、そして政治家であればなおさら、今すぐ現地に駆けつけて状況を見たい、被災者に寄り添って声を聞きたいという気持ちは持っています。私だって飛んでいきたいし、物理的にはできるでしょう。

現地を訪れて手持ちの物資を渡して話を聞けば、目の前の人には大変な感謝をされるでしょう。

しかし、それは被災地全体を見れば明らかにマイナスの行為で、大勢の方がそれをやろうとした結果が現在の惨状です。緊急車両の到着が遅れた現場では、一刻を争う中で命が失われた可能性だってあります。

そうしたことに想像力が回らず、いやむしろ確信犯かもしれない国会議員が被災地に趣き、一部の方々が称賛を送り現地に行かない政治家を馬鹿にする。

こうした現状が悔しいし、悲しい気持ちでいっぱいです。

多くの方がすでに指摘をしている通り、残念ながら先鋭化する彼らは批判を受けても迷惑行為をやめることはないし、それが一部に支持されることを知っているので、行動や思想はますます過激化するかもしれません。

それでも、私たちは彼らの非常識な行いに対して、その都度しっかり声をあげて抗議をするべきです。

なぜなら「◯◯国会議員が行っているのだから、俺だって!」という有害無益な誘発を防がねばならないからです。

確信犯でやっている本体の暴走は止められなくても、一縷の迷いを持ちながら見ている人たちに対して、駄目なことは駄目なのだと伝える。

こうした行為の積み重ねでしか社会の良識は守られないし、一定数の暴走が防ぐことができないからといって、私達は決して諦めてはいけないのだと思います。

呼びかけにもかかわらず減らない一般車両に対して、ついに政府は車両規制に踏み切りました。これは党首会談で維新からも要望したことであり、今回の決断を支持します。

本来であれば、良識によって守られるはずだったこと。

しかしSNSの普及により、いち早く現地に駆けつけて写真を撮り、物資を配り、その様子をあげることがもてはやされてしまったことも相まってか、残念ながら今回は強制力を発揮せざるを得ない状況になりました。

私たち政治家も自戒を込めて。

これまでの早期の被災地入りは、功名心がはやっての「やってる感」のパフォーマンスではなかったか。

何もできない自分に対する歯がゆさや、自身に向けられる批判に負けて、とりあえず被災地に向かって負担を増やしてはいなかったか。

現在も多くの意見・批判が私たち政治家には寄せられています。でも、特に行政権を持たない政治家たちが被災地に入って活動するフェーズは、もう少し先です。

現場を知ることは大事でも、現地の負担を増やしてまでやるべきことではないし、単身や数人で乗り込んでも俯瞰した情報を得ることはできません。「お気持ち」は時にマイナスに働きます。

復興は長期戦です。やるべきでないことを抑えるのも支援、また被災地以外の方は過度に自粛せず、通常の経済活動を回すことも支援の一つだと思います。

私も寄附や情報発信など、自分が今できることに努めて、現地入りできる時を待ちます。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2024年1月6日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。