考える癖:生成AIと共に育つこれからの若者たち

「大学改革シンポジウム、社会人の学び どう進める」(日経主催)の講演とパネルディスカッションがあり、オンラインで拝見していました。AGC(旧旭硝子)の平井良典社長と池上彰氏の対談はなかなか面白く、物理で博士号を取られた平井氏が学士、修士、博士の違いを述べられています。学士ぐらいだと大学側から与えられる課題をこなすだけだけど博士号になると課題を見つけるところを含め、自分で考えなくてはいけない点が最も大きな違いと述べられていたのが印象的でした。

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日本の教育は決められたカリキュラムをいかに生徒、学生に詰め込むかにかかっています。小中高の時、先生は学期ごとに教科書の決められたページまではどうやってでも進めなくてはいけません。理由は1つに受験などで未消化のページが試験などで出るリスク、2つ目は親と学校内部からの突き上げがあるかと思います。ところが授業はなかなか思った通りには進まないもの。とすれば学校の授業そのものが「消化試合」になりかねないリスクが生じます。

そんなものは面白くもおかしくもない単なる時間つぶしであります。前述の講演で平井氏が講演前に池上氏に「先生はもっと勉強すべき」と吐露、それを池上氏が暴露し、温和な平井氏が焦る場面もありました。

小中高の先生に「自分で努力して教え方や内容の改善改革を行っていますか?」と聞けば過半数は小手先の改善は別として本質的にはしていないと答えると思います。理由は簡単で、毎年同じことをオウムのように繰り返して教えるも、生徒は毎年変わるので何ら陳腐化しないのです。おまけに学校の先生は長時間労働とされる上に残業代がつかないのです。「なんでそこまでしなきゃならないのか?」という疑問は当然湧き上がるでしょう。

私が何度も繰り返して申し上げるように小中高ぐらいのレベルなら学校の先生が授業を教える必要はもうないのです。ITとAIと教え上手な先生のビデオのコンビネーションで十分なのです。なぜなら学校の先生のレベルのムラとクラス内の学力格差を取り込めないために落ちこぼれを生み出し、生徒の実力形成に影響を与えるからです。そんな事せずに先生は生徒に考える力を与えるべく授業/運営をすべきです。「なぜ」と思わせ、「どう考えるか?」という意見を引き出し、意見同士をぶつけさせ、相手を説得、理解させる力をつけるのです。

生成AIが今後極めて早い勢いで我々社会を支配していきます。驚いたのは今回、芥川賞を受賞した九段理江著「東京都同情塔」はChatGPTを駆使、5%ぐらいは文章をそのまま使っているというのです。書籍を入手次第読んでみますが、何かしっくりこない気がします。例えば東野圭吾氏の作品もエンタメとしては面白いのですが、チームで描き上げているので作品にテイストがないのです。どれを読んでも印象に残らない、言い換えれば文章が機械的であり、登場人物に「生」がないのです。昔の小説家、松本清張、森村誠一、西村京太郎、司馬遼太郎、山崎豊子…は文章に力強い感情移入されたものを感じ、何年たっても内容を覚えているし、「もう一回読みたいな」という気にさせるのです。登場人物があたかも友人だった人の如く、自分の立ち位置との関係を自然に考えさせるのですね。

生成AIと共に育つこれからの若者たちはこの小説の違いと同じになりかねないのです。大人になって一人前のことを言う、それなりに知識もある、だけど全部、実感が伴わないというパタンです。なぜか、といえば経験もしていないし、その内容について誰かと深いディスカッションをしたわけでもないからです。

例えば私がブログを書けばたくさんのコメントを頂戴します。それは考え方の違いでもあるし、焦点の当て方の違いでもあります。私がAと言ったら「違うね、Bだよ」と指摘を受けるのはもちろん私が外している時も大いにあるのですが、立ち位置や視点が違うことも多いからなのです。つまり答えは一つではない、ということを改めて理解できるわけです。

ところが日本の教育は答えが一つという前提でしたのでコメントでも当然、「君それは外しているよ」と大胆に切り捨てられるわけです。理数系はともかく社会科学ではその解はいくらでもあるのです。その人が何処を重要と考えるのか、それ次第なのです。なので私がよほどのことでない限り「それは違うね」と反論もしないのは素直に「それもあるよね」と受け入れるのです。ハーバード大学のマイケル サンデル教授も学生から考えを絞り出させる方式を取っています。生徒は黒板と先生と対峙する時代ではないのです。

日本には大学が800程度あります。そして大学でも受動的な「教わる」なんです。そうじゃない、能動的に「共に考える」に転換すべきだろうと思います。まさに大学ゼミでやっているようなスタイルをもう少し水平展開できればよいのでしょうね。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年1月24日の記事より転載させていただきました。