“極右の足音”に困惑するドイツ国民

オーストリアとドイツは言語(独語)が同じということもあって兄弟国のように見られてきた。ドイツの社会的流行、トレンドも少し時間がたてば隣国オーストリアでも見られるようになる、といわれてもきた。ドイツは欧州の経済大国で兄貴の立場とすれば、アルプスの小国オーストリアは弟だ。ドイツが時代を先行し、オーストリアがその後を追う、といった関係が続いてきた。それがここにきて風向きが変わり、ドイツの政界、国民はウィーンから吹き荒れる風に怯え、吠え出しているのだ。以下、その背景を説明する。

ハンブルク市の反AfD抗議デモ、参加者で溢れる(2024年01月20日、オーストリア国営放送の中継からのスクリーンショット)

ドイツでは目下、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)関係者がポツダム近郊のホテルで欧州の極右関係者などと共に会合し、そこで移民・難民の強制移住計画などについて話し合っていたことが判明し、ドイツの政界、国民は大きな衝撃を受けていることはこのコラム欄でも数回報じた。ドイツ各地で先週末、数十万人の人々がAfDに抗議するデモ集会に参加した。

問題は移民難民の強制送還の話を持ち出した参加者はAfD関係者ではなく、オーストリアの最大極右組織「イデンティテーレ運動」(IBO)の元代表マーティン・セルナー氏だ。同氏は、ニュージーランドのクライストチャーチで2019年3月15日、2カ所のイスラム寺院を襲撃し、50人を殺害したブレントン・タラント(当時28)から寄付金を受け取っていたことが判明し、物議をかもしたことがあった。

ドイツのメディアによると、セルナー氏は会合で、北アフリカに最大200万人を収容する「モデル国家」を構築し、難民を収容するという考えを提示した。第2次世界大戦の初めに、ナチスはヨーロッパのユダヤ人400万人をアフリカ東海岸の島に移送するという「マダガスカル計画」を検討したことがあったが、セルナー氏の「モデル国家」はそれを想起させるものがある。ポツダム会議の内容は調査報道プラットフォーム「コレクティブ」が明らかにした。

欧州の過激主義について研究しているロンドンの「過激主義研究所」のユリア・エブナー博士は20日、オーストリア国営放送(ORF)とのインタビューの中で、「オーストリア国民にとってセルナー氏の主張はよく知られていることで、今更驚くべき内容ではないが、ドイツ国民にとってセルナー氏の主張はナチス時代を思い出させたのだ」と指摘し、ドイツ政界、国民がオーストリアから来た極右活動家の提言に驚きと衝撃を受けたという。

ドイツ民間放送のニュース専門局ntvは抗議デモに参加していた70歳代の男性にインタビューしていたが、その男性は「自分はこれまで路上に出て抗議デモに参加したことがなかったが、今回は参加せざるを得なくなった」と説明し、ポツダム近郊の極右団体の会合に危機感を持ったことを明らかにしていた。

オーストリアのセルナー氏の現代版「マダガスカル計画」についてドイツ人はオーストリア人より歴史的痛みを強く感じたのかもしれない。それも隣国から招かれたオーストリア人の男性がポツダムで喋ったのだ。その内容、そして戦後の戦争処理を話し合ったポツダムの地という歴史的な書割も手伝って、ドイツ国民は忘れかかっていた歴史的痛みを思い出したのだろう。

ドイツ国民の中には、オーストリアからきたセルナー氏の姿にアドルフ・ヒトラーの亡霊を感じた人々もいたかもしれない。ちなみに、ヒトラーはオーストリア人だ。画家の道を目指したが、ウィーンの美術学校の入学試験に落ちたためにドイツに行った。そしてヒトラーが率いるナチス政権が後日、オーストリアを併合したために、オーストリアは一時的だが消滅した。

ドイツはオーストリアから来たヒトラーが主導したナチス政権が発足し、第2次世界大戦では戦争犯罪国というレッテルを貼られる国となった。そのヒトラーの国から今度は極右運動の指導者セルナー氏がポツダム近郊の会議でヒトラーが夢見ていた「マダガスカル計画」の現代版を提言したのだ。ドイツ国民が寒い冬にも拘わらず、路上の反AfD抗議デモに出てきた背後には、「ドイツは“いつか来た道”を行こうとしている」といった危機感があるからかもしれない。

ドイツでは現在、AfD禁止問題が大きなテーマとなっている。元憲法判事リュッベ=ヴォルフ氏は、「ドイツではAfDの禁止問題は常に、『もしNSDAP(国民社会主義ドイツ労働者党=ナチス)が禁止されていたらヒトラーの台頭は防ぐことができたのではないか』といった歴史的懺悔とリンクされる傾向が強い」という。NSDAPは1923年のヒトラー一揆後に一時的に禁止されたが、ヒトラーの台頭を防ぐことが出来なかった。それに対し,リュッぺ=ヴォルフ氏は、「法的力が不足していたのではなく、この党を阻止するという政治的意志が欠けていたからだ」と指摘している。

欧州の政界では右傾化が話題となっている。そのパイオニア的役割を果たしたのはオーストリアのイェルク・ハイダー氏だ。同氏が率いる極右政党「自由党」が2000年、保守派政党「国民党」を担ぎ出して政権に参加したことが欧州極右政党が起こした最初の衝撃だった。欧州諸国は当時、自由党が参画したシュッセル連立政権の発足を受け、オーストリアとの外交関係を中断する制裁を実施したことはまだ記憶に新しい。

オーストリアでは今年、議会の総選挙が実施されるが、複数の世論調査では自由党が支持率30%前後を獲得し、第1位を独走している。欧州の極右政党で総選挙で第1党、支持率30%を獲得できる政党は現時点でオーストリアの自由党しかない。オーストリアの極右政党は文字通り一歩先行している。それゆえに、ウィーンから聞こえてくる極右の足音にドイツの政界、国民は困惑と不安を感じ出しているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年1月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。