昨年末に、プレジデント・オンラインで『47都道府県の「旧制一中」の栄枯盛衰…地元トップを維持する名門22校と凋落した元名門17校の全リスト』という記事を書いた。
今回その続編として、『「旧制一中」のライバル校「二中と三中」の現在の実力…47都道府県の「ナンバースクール」を徹底検証する 地元の公立トップに輝く「旧二中」は8校』という記事を載せたので、その一部の紹介と補足を書く。
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一中の場合と同様に、二中という名前の旧制中学が必ずあったというわけでないのだが、設立順から二番目以下をナンバースクールとして順番を付けることは可能だ。
そこで、旧二中など、それ以外の旧制中学にルーツをもつ「ナンバースクール」は現在のどの高校なのか、また、進学校として健在なのだろうかという質問をよく受ける。
はじめはナンバーを振っていたが、途中で多くなってきたので地名が校名になったところもある。滋賀県の膳所高校でいうと、1898年に創立されたときは、滋賀県第二尋常中学校だったが、10年後には滋賀県立膳所中学校に改称した。
また、神戸一中(神戸)、二中(兵庫)、三中(長田)のように、兵庫県の一中ではないが、神戸市内にある中学校のなかでナンバーがついていた場合もある。
一覧表については、プレジデント・オンラインの記事を参照してほしい。これまでも書いてきたが、今回はより精査してみた。
旧二中については、旧一中がある都市(原則としては県庁所在地)のライバル都市にあるのが一般的で、設立当初の行政区域で同じ都市にあるのは、仙台第二(仙台市)と錦岡(金沢市)、高知小津(高知市)だ。
なかには、岐阜県高山市の斐太、熊本県天草市の天草のように、遠隔地で人口があまり多くない地域に置かれたケースもある。
城下町など県庁所在地以外の弘前、郡山、松本、彦根、大和郡山、首里(※)に旧一中が置かれたケースでも、旧二中は県庁所在地にあったとは限らない。沖縄県では県庁所在地の那覇に置かれたが、青森県では県下二番目の城下町である八戸、長野県も城下町の上田、奈良県では大和郡山と奈良が近かったので、南部の畝傍(現・橿原市)に置かれた。膳所も当時は大津市外だった。
※旧一中設置当時は首里市(現在は那覇市首里)
また、立川、日川(山梨市)、防府、脇町(美馬市)、育徳館(みやこ町)、大村、臼杵、川内などは、現在の都市規模から考えると少し意外なところにあるかもしれないが、その事情は記事のなかで各県別の事情を解説している。
都道府県庁所在都市への人口集中と通学区域の全県化もあって、全般的には旧二中は全般的に苦戦している。ただ、8校も県下ナンバーワンというところがある。また、さまざまな工夫をして、旧一中の競争相手として位置づけられているろころもある。
せっかく、一中に負けない伝統があるのだから、何も工夫をしないままじり貧にならず、積極的な戦略で生き残ってほしいと思う。