日本のマスコミが日本を敵に回す理由

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マスコミとは何か?

日本は、明治維新によって西洋列強から史上最大の物を輸入した。

それが「民主主義」と言う概念だ。元々、日本は士農工商穢多非人に代表されるように、階級社会だった。インドのように生まれによって自分の階級が決まっていて、それを受け入れて民衆は生活してきた。

戦国の世においては、確かに田中久兵衛吉政や宇喜多直家、斎藤道三、豊臣秀吉に代表されるように、百姓や平民から成り上がった武将も数多くいたが、江戸時代に入り徳川家康より後は江戸幕府が日本国の統治の手法の一つとして、階級制度を取り入れたことで、260年の長期にわたる政権を維持することができた。

当時の階級制度は社会を統治する目的だったので、侍は特権であるとしても、最も貧しいとされた農民を侍の下に置くことで、民衆の溜飲を下げさせる狙いもあった。もっとも、気候による大飢饉や地方の年貢の重税によって真っ先に被害を被るのが農民であって、数年おきに40回以上も日本中で起きていた一揆を見れば、江戸時代の日本は必ずしも統治機構として安定していたとは言えない。

その日本が明治維新を経て急速に西洋列強に追いつく為の手段として、また「文明」国に成り上がる手段として、「民主主義」を取り入れた「自由」と「平等」な社会を目指したのは、時代背景から言えば当然のことだった。

日本のマスコミの走りは、讀賣新聞の社名の起源ともなった、瓦版と言われる回文、戯文を含む「読み売り」。瓦版は藩主の下ネタから天変地異から百姓一揆に至るまで、町民の興味をそそる記事が盛りだくさんで、今の週刊文春などとそのレベルにおいて差はない。今も昔も、一般大衆は下ネタエロネタから特権階級の怪しい噂話からどこそこでエラい天変地異が起きたといったことが大好きだったのだ。

その理由は、日本社会の階級制度にあると考える。要は諦めだ。百姓に産まれた者は死ぬまで百姓であり、侍は侍、町人は町人だ。その階級の中でなら自由に職業選択できたかもしれないが、階級そのものが変わることはない。だからこそ、瓦版で溜飲を下げる。自分より階級が上のものの怪しい噂話を読んで、ザマアミロとほくそ笑んでいた。つまり、その点で今も昔も、それほど人間の本質は変わってはいない。

西洋から「民主主義」の概念が輸入されることによって、なんとなく大衆の中に、「特権階級と対峙するのが民衆である」という意識がより鮮明になり、新聞というメディアがまるで大衆の代弁者であるかのような素地が出来上がってきた。そんな歴史のなんたるか?を言いたいのではなく、新聞を発行している人たちの根底には、自分たちは大衆の言葉を代弁しているという気概も、少しはあると言いたいのだ。

確かに権力が日本社会を支配するようなことになったら、右翼だろうと左翼だろうと関係なく、日本の民主主義は失われていくだろう。

以後、

・マスコミの役割
・マスコミの弊害

続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。