高坂正堯が示す未来への道しるべ:高坂正堯『歴史としての20世紀』

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共産主義は素晴らしい理論と素晴らしい動機から恐ろしい社会を生み出し、さらに引っ込みがつかなくなった。

前年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦秩序が激しく揺れ動いていた1990年。本書「歴史としての20世紀」は、全6回のシリーズで開催された高坂正堯の講演録である。

戦争、恐慌、イデオロギー、経済的繁栄、体制選択、そして文明論と広範囲に渡って平易な語り口で、しかし一言で本質に迫るのが高坂節だ。

ロシアによるウクライナ侵略や分断が固定化する米国政治の不安定さは、ポスト冷戦以降の国際秩序を激しく揺さぶる。だからこそ、冷戦という一つの時代が終わろうとしていた歴史の転換点において20世紀の大きな流れを考察した本講演は、30年以上を経た今も輝きを失っていない。

経済はお金の計算で済みますが、安全保障の話では、人間がいかに不合理かがわかります。安全保障において求められるのは、不合理な人間の説得の技術です。

経済的合理性をもってすれば、ポスト冷戦期に絶頂を迎えた自由貿易が現在のような米中関係に翻弄されることはなかったであろう。また理性を持って自国の将来を構想すれば、米国を始めとした主要国を敵に回してまで自国領土を拡大させようなどと指導者は考えないであろう。

1990年時点での高坂の言葉は、時代が進んだ2020年代にも大変示唆に富み、重みを持つ。ロシアとウクライナの戦線膠着を前に、習近平が台湾海峡でリスクを冒すはずがないと断言するのは簡単だ。しかし、プーチンという人間の不合理性を見せつけられてもまだ性善説に執着する方が合理性を著しく欠いている、とも言える。

政治というのは、人を動かす技術ですから、命のやり取りを含めた行動をして初めて迫力が出てくる。権謀術数をめぐらしながら筋を通すということを学びます。

それでは我が国は、時代の転機とも言える2020年代を如何にして生き残ればよいのか。既に高坂はこの世におらず、明確な指針が示されることはない。しかし3つの核保有国に囲まれ、台湾海峡での戦乱で台湾から大量の難民が海を越えて沖縄、九州にまで到達することが見込まれる今日、我が国の指導者は1990年代のように惰眠を貪っている暇はない。

故・安倍晋三元総理が国益を背負って世界を飛び回った姿を見て、日本国民は「平和を愛する諸国民の公正と信義」が当てにならないことを、身をもって知った。

国民の意識が変われば、小粒になったと言われる日本の政治家たちも覚醒し、水を得た魚のように働くはずだ。それこそ高坂が講演の中で言う「そういう政治家しか作っていないのですから仕方がありません」との国民に向けた警鐘を、国民自身が克服することになる。

高坂正堯『歴史としての20世紀』(新潮選書)