「裏金」事件の捜査・処分からすれば、連座制導入は「民主主義への脅威」になりかねない

東京地検特捜部が、昨年12月から、全国からの応援検事数十名を動員し、かつてない大規模捜査態勢で行ってきた自民党各派閥の「政治資金パーティー裏金事件」、1月19日に、「裏金受領国会議員」3名、派閥と議員の政治団体の会計責任者ら5名の8名が起訴(略式起訴を含む)され、さらに、1人だけ逮捕・勾留されていた池田佳隆衆議院議員が、1月26日に起訴され、捜査は事実上終結した。

これを受け、安倍派(「清和政策研究会」)は、各議員へのパーティー券のノルマ超の売上の還流分の寄附が不記載だったとして、政治資金収支報告書の訂正を行った。

1月26日に召集された通常国会では、29日の衆参両院の予算委員会での集中審議、30日の岸田文雄首相の施政方針演説、31日、2月1日の代表質問の中で、政治資金規正法の改正が今国会の重要な論点として取り上げられ、その中で、罰則強化・連座制導入を求める声が相次いだ。

今回の捜査が、政治団体の会計責任者と政治家との共謀を立証できず、政治家の責任が曖昧なまま終わったということからすれば、裏金事件に関わった政治家に刑事責任を負わせるための罰則強化・連座制導入が議論の対象になるのも自然な流れだと言える。

しかし、現行の政治資金規正法の枠組みにおいては、政治資金収支報告書の提出を受ける総務省や都道府県選挙管理委員会は、収支報告書の内容については形式的審査権しかなく、不記載・虚偽記入や違法寄附の認定は、刑事司法の判断に委ねられている。しかも、実際の刑事事件としての立件や起訴の判断においては、検察の裁量に委ねられる余地が極めて大きい。

検察が、国会議員等の政治家の政治資金規正法の事件で、違法性の判断権をほとんど独占することで、その捜査・処分が政治的、社会的に極めて大きな影響を生じさせているのであるが、その検察という組織には、行政機関であるにもかかわらず、近年、日本の企業・官庁等の組織にほぼ例外なく求められている「ガバナンス」「情報開示義務」「説明責任」を全く求められて来なかったという組織の特殊性がある。

ガバナンスに関しては、検察は、誰の意思に基づいて、誰にその権限が与えられて活動しているのかは、ほとんど考えられることもない。多くの国民は無条件に「検察は正義」だと信じており、まさに、「正義」という言葉でガバナンスが切断されている。

情報開示義務に関しては、検察の権限行使に関する情報・資料は、「刑訴法47条による訴訟書類の非公開」などの理由で、ほとんど開示されない。

説明責任という観点からは、検察は裁判所に対して立証責任を負っているだけで、それ以外には説明責任は負わないとされる。強制捜査や起訴・不起訴についても、基本的に、「理由は説明しない」ということで済ませてしまう。

今回の「裏金事件」で、安倍派幹部の不起訴処分の見通しに対して世論の強烈な反発が生じたことを受け、処分が行われた1月19日に東京地検次席検事が「記者会見」を行ったが、撮影禁止、発言内容自体も非公表という、凡そ「会見」とは言えないものだった。しかも、安倍派幹部の「嫌疑なし」での不起訴処分を含め、そもそもいかなる被疑事実が不起訴の対象とされたのかすら不明だ。

このように、ほとんど説明責任を果たさない検察に、違法性の判断の殆どが委ねられることには根本的な問題があると言わざるを得ない。

「政治資金パーティー裏金問題」で検察が果たした役割

今回の「裏金事件」について、東京地検特捜部を中心に行われた検察の捜査・処分とマスコミとの関係には、恣意性が働く余地が多分にあった。その判断には「政治性」すら感じられる。

昨年11月下旬頃から、マスコミで「自民党派閥政治資金パーティー問題」での検察捜査の動きが報じられるようになり、12月に入ると、検察が地方から数十名の応援検事を含め「異例の大規模態勢」で捜査に臨んでいると報じられ、「令和のリクルート事件」などとも言われて大きな社会的関心事となっていった。

「検察リーク」と思える記事で、閣僚クラスを含む政治家への「裏金」の金額が報じられ、派閥事務所への捜索も正確に「前打ち報道」され、世の中の関心は、「裏金問題」に集中していった。

しかし、年明けの通常国会前に事実上終結した検察捜査で実際に起訴されたのは、後述するように、政治資金規正法の適切な解釈に基づけば「無理筋」と思える「裏金受領議員」3人の起訴・略式起訴のほかは、会計責任者の起訴・略式起訴だけにとどまった。

安倍派幹部は、検察の捜査が事実上終結したことを受けて次々と記者会見を行い、「政治資金パーティー券のノルマ超の売上」について、安倍派は、所属議員に「裏金」を供与したということではなく、通常の収支報告書に記載する「表の政治資金」と同様の性格の寄附を行ったが記載しなかっただけであるかのように説明し、また、「裏金受領議員」も記者会見で裏金金額を公表するなどしているが、その使途については「政治活動に使った」「使わずに保管していた」などと説明するのみで、かかる説明に対して、世論の厳しい批判、国会での追及が行われている。

それを受けて自民党幹部による裏金受領議員への「聞き取り」が行われているが、身内同士で厳しく問い詰めるはずもなく、そのようなもので、「裏金」の本当の費消先が明らかになることが期待できるはずもない。

検察は、地方からの応援検事数十名も含め、裏金受領議員に一人ずつ検事を張り付けるとまで言われていたのであるから、任意捜査の範囲でも、各議員から徹底した資料提出を求め、事務所関係者を取調べるなどして裏金の使途の解明を行うことは可能だったはずだ。

「裏金の使途」が解明されていないことは、後述する検察捜査の方向性の問題に関連している。検察捜査が、「政治家個人への寄附」「個人所得」としての追及に向けられていたら、異なった状況になっていたはずだ。

今回の問題の中心である安倍派の政治資金パーティーのノルマ超の売上の「裏金」による還流は、20年前から慣行的に続いていたと言われており、それ自体は、自民党関係者にも相当広く知られていた話だ。本来であれば、自民党関係者等からの取材に基づいてマスコミの取材・報道が行われ、追及を受けて、派閥側が自主的に事実を明らかにすることでも、相当程度事実が解明されたはずである。

検察は、本来、刑訴法上の権限に基づいて、証拠を収集し、事実を解明し、法の適切な適用を求めるのがその役割である。しかし、今回の事件で実際に、検察が、事実解明と法適用において果たした役割は、極めて限られたものでしかなかった。

むしろ、検察が捜査によって把握した事実や捜査の動きについての報道によって「裏金」に対する世論の怒りが炎上し、自民党の最大派閥を解散に追い込むほどの重大な政治的影響を生じさせていく中で、検察が「裏金報道」に燃料を供給し続ける形になった。そこに今回の問題の特異性がある。

検察の捜査・処分の「政治性」

今回の事件では、最終的には、安倍派と二階派が強制捜査の対象とされ、それに加えて岸田派も刑事処分の対象とされたが、捜査の途中では、安倍派の問題が集中的に取り上げられた。そして、安倍派幹部は閣僚・党役員辞任、最終的に安倍派は派閥解散に追い込まれた。それに関して、2020年、安倍内閣が、黒川弘務検事長を定年延長によって強引に検事総長にしようとして検察人事に介入したことへの「意趣返し」だとの話も、検察幹部の話として語られていた。

実際に、過去に、検察捜査が政治的動機に基づいて行われたと思われる事例がある。

2009年3月、東京地検特捜部が、民主党代表だった小沢一郎氏の秘書を政治資金規正法違反(2800万円の「他人名義の寄附」)で逮捕したことから始まった陸山会事件は、自民党から民主党への政権交代が現実のものとなりつつあった時期の日本政治に大きな影響を及ぼした。

政権交代後、同党の幹事長となった小沢氏に対しても、特捜部は世田谷の土地をめぐる政治資金規正法違反事件の捜査を続け、秘書3人を逮捕・起訴した。小沢氏は検察の処分では不起訴となったものの、その後、検察審査会で起訴議決が出されて起訴され、幹事長辞任に追い込まれた。その検察審査会の議決に関して、特捜部が作成した虚偽の捜査報告書によって検察が検察審査会を騙して起訴議決に誘導していたことが発覚し、小沢氏の一審無罪判決において裁判所から厳しく断罪された。

それは、東京地検特捜部という検察の内部組織が、「検察組織としての決定」に反して虚偽の捜査報告書を作成提出するという犯罪行為によって、検察審査会を、(通常は検察が何とかして阻止しようとする)「起訴議決」に誘導するという「禁じ手」まで使って、「小沢潰し」という「政治的目的」を実現した、という極端な事例であった。

検察の捜査・処分の方向性の誤り

上記のとおり、検察の捜査・処分には、恣意性という要素が否定できず、時に、政治性を帯びることがある。

では、今回の検察捜査が、政治資金規正法という法律を適切に適用して行われたものと評価できるのだろうか。その点には、大きな疑問があると言わざるを得ない。

私は、かねてから、Yahoo!ニュースへの投稿や、著書『歪んだ法に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』(KADOKAWA:2023年)等で、政治家個人にわたった「裏金」について、政治資金規正法での処罰が困難であること、この「大穴」を塞ぐ法改正が必要であることを訴えてきた。今回の裏金受領議員についても、その「大穴」によって処罰が困難であることを、私自身の発信や様々なメディアへの出演で指摘してきた(『日本の法律は「政治家の裏金」を黙認している…「令和のリクルート事件」でも自民党議員が逮捕されない理由』など)。

政治資金収支報告書というのは、個別の政党、政党支部、政治団体ごとに会計責任者が提出するものである。国会議員の場合、政治団体である「資金管理団体」のほかに、自身が代表を務める「政党支部」があり、そのほかにも複数の国会議員関係団体があるのが一般的だ。つまり、一人の国会議員に「財布」が複数ある。

政治資金規正法で、政治資金の収支の公開の問題として罰則の適用の対象になるのは、どこか特定の政治団体や政党支部に収入があったのにそれを記載しなかったとか、それに関連して虚偽の記入をしたことであり、「どの団体の収入なのか」が特定されていないと、政治資金収支報告の不記載・虚偽記入の犯罪事実が特定できず、起訴状が書けない。

ところが、議員個人が「裏金」として政治資金を受け取った場合、それは、その議員に関係する政治団体・政党支部のどこの収支報告書にも記載しない、という前提で領収書も渡さずやり取りする。

ノルマを超えたパーティー券収入の還流は銀行口座ではなく現金でやり取りされ、収支報告書に記載しないよう派閥側から指示されていたとされており、議員の側は、どの政治団体の収支報告書にも記載しない前提で「裏金」として受け取り、そのまま、どの収支報告書にも記載しなかった、ということである。

そうだとすると、どの収支報告書に記載すべきだったのかが特定できない以上、政治団体等の収支報告書の不記載・虚偽記入罪は成立しないのである。

検察の捜査・処分と「政治資金規正法の大穴」の問題

政治資金パーティーの売上の還流金は、安倍派から所属議員側に、収支報告書に記載しないように指示して渡されたとされている。一般的に考えれば、これは、議員側で表に出さないように自由に使える「裏金」である。それを刑事立件しようとすれば、「政治資金規正法の大穴」の問題が立ちはだかることになる。

ところが、検察は、この「政治資金規正法の大穴」の問題に真剣に向き合おうとせず、問題を殆ど無視して、今回の捜査・処分を行い、裏金受領議員のうち、池田議員と大野泰正参議院議員、谷川弥一衆議院議員を起訴した。

それらの起訴において、検察は、上記の「政治資金の大穴」の問題について、どのように考えたのであろうか。

政治家側に入った政治資金については、「資金管理団体に入金して収支報告書に収入として記載すべき義務がある」と解釈することができるのであれば、「裏金」を資金管理団体の収入に記載しなかったことについて、収支報告書の不記載・虚偽記入罪が成立することになる。そのような解釈は、政治資金規正法の改正の経緯からも行い得ないことは、『「政治資金規正法の大穴」を無視した池田議員逮捕、「危険な賭け」か、「民主主義の破壊」か』などでも詳述した。

実態としても、国会議員の政治資金処理で、政治資金の収入が資金管理団体に一元化されているわけではない。

今回、安倍派が政治資金収支報告書を訂正したが、議員によって訂正したのが資金管理団体であったり政党支部であったりと様々であり、資金管理団体に「一元化」されているとは到底言えない。

結局、「収支報告書不記載を前提にして渡される金」である以上、資金管理団体への記載義務を客観的に認めることは困難であり、所属議員側の「自白」によって、政治資金パーティーの還流金を記載すべき政治団体を特定する、という方法に頼るしかなかった。

会計責任者が、

派閥から「収支報告書に記載しなくてよい」と指示された還流金についても、資金管理団体の収支報告書に記載しなければならないことはわかっておりました。しかし、派閥からの指示にどおりに、資金管理団体の収支報告書に記載しませんでした。

というような自白をすれば、証拠上は、資金管理団体の収支報告書の不記載・虚偽記入の犯罪事実で起訴することは可能であろう。

今回、唯一、資金管理団体の収支報告書虚偽記入罪で略式起訴された谷川氏も、本人と会計責任者が上記のような「自白」をしたからこそ、略式起訴を受け入れ、政治資金規正法違反での罰金刑が確定した、ということだと考えられる。

池田氏、大野氏は、公判での主張如何で無罪の可能性も

では、今回の事件で正式起訴され、政治資金規正法違反の事実を争う方針を示している池田議員、大野議員については、検察は、「大穴」の問題をどうクリアしようとしているのだろうか。

唯一逮捕された池田議員が他の議員と異なるのは、検察が政治資金パーティー裏金問題での捜査に乗り出していると報じられた2023年12月8日に資金管理団体「池田黎明会」の収支報告書を訂正し、安倍派からの寄附約3200万円を収入として記載していることである。これによって、池田議員側が、自ら還流金を記載すべき収支報告書を特定したことになり、まさに「自爆」したと見ることができる。

検察は、池田議員逮捕の理由について「パソコン破壊の罪証隠滅行為が行われたため」と説明しているようだが、実際には、この収支報告書の訂正によって、記載すべき収支報告書が特定されていたことが大きかったと思われる。

しかし、池田議員の場合でも、今回「政治資金パーティー裏金問題」が表面化した後に収支報告書を訂正したからと言って、今後の公判で、記載すべき収支報告書の特定の問題が争点とならない保証はない。

重要なことは、この収支報告書の訂正の時点で、池田議員自身が、

政策活動費だと認識して受け取り、政治資金収支報告書には記載していなかった。

と説明していたことだ。「政策活動費」は政党から政治家へ渡される収支報告書への記載義務のない政治資金であり、池田議員は資金管理団体への収支報告書に記載すべきだったことの認識を否定した上で、収支報告書の訂正を行ったことになる。

つまり、「資金管理団体の収支報告書の訂正」を行ったことは、受け取った時点で、その収支報告書に記載すべき義務があるとわかっていたことを「自白」するものではないということだ。

しかも、池田議員の場合、その訂正以前に受けていた清和政策研究会からの寄附は、「資金管理団体」ではなく「政党支部」に入金され、政党支部の政治資金収支報告書に記載されていた。そのような実態からすれば、池田議員に関連する政治資金について、すべて資金管理団体に入金して収支報告書に記載すべき義務があったとも言い難い。

池田議員が公判で、

資金管理団体の収支報告書に記載すべき義務があるとは思っていなかった。収支報告書を訂正したのは、政治資金パーティー裏金問題が報道され、取調べを受け、還流分も収支報告書に記載すべきだったと言われたので、深く考えることなく資金管理団体の収支報告書を訂正しただけです。

と弁解した場合、検察にとって、池田議員が「毎年の収支報告書の提出の時点で、資金管理団体の収支報告書に記載すべき金と認識していたこと」の立証は、かなり困難になる。

少なくとも起訴されるまで収支報告書の訂正を行っていない大野議員については、この点について、検察の立証は一層困難だ。大野議員は、現時点では、

「派閥からの還流金の処理はすべて秘書に任せていた」

との説明しか行っていないが、公判では、「どの収支報告書に記載すべきかなどということも、全く考えていなかった」と弁解する可能性もある。検察にとってその点の立証は容易ではない。

今後の「裏金受領議員側」の刑事処分はどうなるのか

裏金受領議員については、上記の3名のほかは、今のところ刑事処分は行われていない。マスコミによると、検察は、今後、各議員が収支報告書の訂正を行ったことを受けて、上記3議員以外の還流金額3000万円以下の議員については、会計責任者を収支報告書の虚偽記入罪で立件して起訴猶予にし、議員本人については、告発があった場合には、「嫌疑不十分」「嫌疑なし」で不起訴にする方針だと言われている。

会計責任者については、検察は、起訴しようとすればできるが「不記載・虚偽記入」の金額によって、一定以上の金額の事案に限定する方針であるかのように言われているが、実際には、ここでも「政治資金規正法の大穴」の問題が立ちはだかる。少なくとも、会計責任者が「自白」してくれない限り、還流金受領時にどの収支報告書に記載すべきであったかを特定することはできない。

裏金受領議員側が、池田議員と同様に「政策活動費だと認識して受け取り、政治資金収支報告書には記載していなかった」と説明して、特定の収支報告書への記載義務の認識を否定した場合、起訴することは困難であり、不起訴とするのであれば、厳密に言えば、犯罪を立証する証拠が不十分だという「嫌疑不十分」であり、起訴できるがあえてしない「起訴猶予」とすることもできないことになる。

結局のところ、検察が、政治資金収支報告書の虚偽記入罪での刑事立件にこだわったために、「無理筋の起訴」「取引的決着」に終わらざるを得なくなったのである。

「政治家個人に対する寄附」違反を中心とする捜査を行うべきだった

では、現行の政治資金規正法の適用として、検察は、どのような方向で捜査を行うべきだったのか。

政治資金規正法21条の2第1項は、「政治家個人宛の政治資金の寄附」を禁止している。政党からの寄附が例外として許されているが、安倍派から所属議員に「収支報告書に記載不要」と言われて渡された「裏金」は、政党からの寄附ではなく派閥からの寄附である。

それを、違法な「政治家個人宛の寄附」とみる余地は十分にある(元総務官僚で過去の政治資金規正法改正を担当した経験もある立憲民主党の小西洋之議員は、当初から、「政治家個人への違法寄附で処罰すべき、虚偽記入は違法寄附の隠蔽工作に過ぎない。」と主張し続けてきた。

小西議員とのYouTube対談⇒「裏金受領議員」への検察捜査は間違っている!元総務省政治資金課・小西洋之議員と徹底討論)。

当初から、会計責任者、議員本人に、「収支報告書に記載しない前提の金である以上、資金管理団体、政党支部などに宛てた政治資金ではない」として、収支報告書を提出不要の「政治家個人宛の寄附」として受け取ったことを認めさせる方向で捜査を行い、事務所の資料等で、議員個人の認識を裏付けることができれば、「政治家個人宛の寄附」であることの立証も可能だったはずだ。

この場合は、「政治家個人宛の寄附」は、政治団体ではなく政治家個人に帰属するので、個人の「雑所得」となる。そこからの支出があったとしても、「(政治団体、政党ではなく)個人の政治活動のための支出」でない限り、雑所得から控除できる経費とはならない。基本的にすべての「裏金」について政治家個人に課税される可能性が高く、追徴税・重加算税等の税務上の措置も受けることになる。

これらを含めた制裁の程度は、収支報告書の不記載・虚偽記入罪による「無理筋の起訴」「取引的決着」に終わった検察の捜査・処分より、遥かに「裏金受領議員」にとって厳しいものになったはずだ。

現行法の枠組みのままでの「連座制」導入は危険

今回の「政治資金パーティー裏金事件」では、本来の政治資金規正法の解釈を前提とすれば、政治資金の寄附の帰属先が特定できないために、裏金受領議員の処罰は極めて困難であるのに、一部の議員については強引に「無理筋の起訴」を行い、一方では、会計責任者等の「自白」で帰属先を特定するという「取引的決着」で、「大穴」の問題自体を覆い隠そうとしている。

このような検察のやり方を問題にすることも、「政治資金規正法の大穴」を塞ぐこともなく、会計責任者の処罰で国会議員等の政治家が公民権停止となる連座制を導入した場合、どういうことが起きるだろうか。

国会議員と秘書との間でパワハラ等のトラブルが起きる例は枚挙にいとまがない。このような秘書が会計責任者を務めている場合に、収支報告書への記載や領収書の交付が行われていない収入について、その秘書が、検察に対して、政治資金の帰属と不記載の事実を供述し処罰されれば、国会議員が公民権停止で失職することになる。

もちろん、その国会議員が、「裏金」に主体的に関わり、そのことについて責任を免れないのであれば、失職することになっても自業自得である。しかし、国会議員が与り知らないことであった場合であっても、秘書たる会計責任者の供述だけで、国会議員の地位を簡単に奪えるのが、「連座制」なのである。

検察の捜査・処分が恣意的に行われかねない現状のままで、「政治資金規正法の大穴」を塞ぐことなく、会計責任者が処罰された場合に代表を務める国会議員が公民権停止となる連座制を導入した場合、国会議員は与野党を問わず、検察のご機嫌を窺いながら、議員活動を行わざるを得ないことになる。それは、民主主義に対する脅威にすらなりかねない。

政治資金規正法の改正を行うのであれば、まず、会計処理のデジタルデータ化、リアルタイム公表等によって政治資金処理の透明性を高めること、「政治資金規正法の大穴」を塞ぐために、国会議員について、個別の団体・政党支部ごとの会計帳簿とは別に、当該国会議員に関連する政治資金の収支すべてを記載する「総括政治資金収支報告書」の作成・提出を義務付けることなどの実体規定が先決である。

会計責任者ではなく政治家個人に重い責任を負わせる方向での法改正を行うのであれば、1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金であり、収支報告書虚偽記入罪の5年より軽い、「政治家個人への寄附の禁止」の罰則を大幅に引き上げること、1994年改正で、それまでの「保有金制度」の下で義務付けられていた、政治家個人の収支報告書の作成・提出義務を復活させること(この場合、虚偽記入について政治家個人が処罰されることになる)なども検討すべきだろう。

令和国民会議(令和臨調)が2月2日に公表した「政治資金制度改革等に関する緊急提言」の論点メモでは、「収支報告書誤記載・虚偽記載に対する罰則強化」として、「公職選挙法における連座制と同様に、政治家の責任を問う仕組みが必要ではないか。」との意見も示されているが、「かりに連座制にまで踏み込む場合には、後述する新たな第三者機関の設置構想と併せて検討を行うことが適当と考える」とされている。

同提言の公表とあわせ、政治資金・政党助成金等を監督する独立性の高い第三者委員会として「政治資金委員会」(仮称)の構想が公表されており、そこでは、「政治資金の分野にも必要最小限の行政監督を導入すること」について、収支報告書の修正命令や、一定期間の寄附の授受や政治資金パーティーの開催の禁止、寄附金やパーティー収益の返還命令など、必要な行政監督や行政処分の内容を具体的に規定し、十分な事務局機能を備えた、準立法的、準司法的権限を有する独立性の高い政治資金委員会を内閣府に置くことが提案されている。

政治資金規正法の運用が、刑事処罰のための検察の捜査・処分の判断に事実上委ねられていることで大きな歪みを生じている状況を是正するための、注目すべき提案である。