ナワリヌイ氏が残したメッセージは

ロシアの著名な反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏が16日、収監先の刑務所で死去した。明確な死因については不明だ。同氏は昨年末、新たに禁錮19年を言い渡され、過酷な極北の刑務所に移され、厳しい環境の中、睡眠も十分与えられず、食事、医療品も不十分な中、独房生活を強いられてきた。刑務所管理局FSINは16日、「ナワリヌイ氏は流刑地で散歩中、意識を失って倒れた。救急車が呼ばれ、緊急救命措置が取られたが無駄だった」と説明している。

ナワリヌイ氏SNSより(編集部)

ナワリヌイ氏が療養先のベルリンからモスクワに戻ることを決意した時、同氏の死は十分に予想されたことだった。その意味で同氏の死はサプライズとはいえないが、ロシア国民は貴重な人間を失った。

ナワリヌイ氏は2020年8月、シベリア西部のトムスクを訪問し、そこで支持者たちにモスクワの政情や地方選挙の戦い方などについて会談。そして同月20日、モスクワに帰る途上、機内で突然気分が悪化し意識不明となった。飛行機はオムスクに緊急着陸後、同氏は地元の病院に運ばれた。症状からは毒を盛られた疑いがあったため、交渉の末、2020年8月22日、ベルリンのシャリティ大学病院に運ばれ、そこで治療を受けてきた。

ベルリンのシャリティ病院はナワリヌイ氏の体内からノビチョク(ロシアが開発した神経剤の一種)を検出し、何者かが同氏を毒殺しようとしていたことを裏付けた。英国、フランス、そしてオランダ・ハーグの国際機関「化学兵器禁止機関」(OPCW)はベルリンの診断を追認した。一方、ロシア側は毒殺未遂事件への関与を否定した。

ナワリヌイ氏は2021年1月17日、ドイツのベルリンからモスクワ郊外の空港に帰国直後、拘束された。そのニュースが報じられると、モスクワを含むロシア全土で同氏の釈放を要求する抗議デモが行われた。モスクワで4万人の市民がナワリヌイ氏の早期の釈放を要求するデモに参加した。気温の低いシベリアのノボシビルスクでも約4000人が路上デモに参加した。それに対し、ロシア当局は無許可デモとして1000人を超えるデモ参加者を拘束した。その中には、ナワリヌイ氏のユリア夫人も含まれていた。

ナワリヌイ氏はモスクワに帰国すれば、拘束されることを知っていたはずだ。ドイツに留まり、亡命先でプーチン政権打倒のために戦う道もあったはずだが、同氏はモスクワに戻った。その段階で同氏の死は予想できたことだ。にもかかわらず、モスクワに戻る選択をした背景には、プーチン政権を打倒するためには、ロシア内で国民を民主化運動に巻き込まなければ難しいことを知っていたからだろう。

人権団体メモリアルの共同創設者であり、ノーベル平和賞受賞者でもあるイリーナ・シェルバコワ氏は16日、オーストリア国営放送とのインタビューの中で、「ロシアの最も重要な反政府勢力の人物、アレクセイ・ナワリヌイ氏の死は政治的殺人だ」と指摘している。

インスブルック大学のロシア問題専門家、マンゴット教授は、「ナワリヌイ氏がどのように亡くなったとしても、それはロシア国家による残虐な犯罪であることに変わりはない。プーチン大統領がナワリヌイ氏やその他の反体制派の人物を容赦なく迫害し、虐待するのは、偏執的な恐怖のせいだ」と説明している。

ナワリヌイ氏をよく知っている知人、友人たちは異口同音に「彼は刑務所にあってもユーモアを忘れなかった」という。同氏は2021年1月22日、身柄が拘束されている警察署から弁護士を通じてメッセージを発信している。ロイター通信の記事から紹介する。

「自ら命を絶つ考えはない。念のために申し上げるが、窓の面格子で首をつったり、尖ったスプーンで静脈や喉を切ったりするつもりはない。階段は慎重に登り下りしている。彼らは毎日私の血圧を測り、まるで宇宙飛行士のように扱ってくれるので、突然、心臓発作に見舞われる心配はない。刑務所の外には多くの善良な人がおり、必ず助けが来ると分かっている」

ロシアの著名な哲学者アレキサンダー・ジプコ氏(Alexander Zipko)は独週刊誌シュピーゲル(7月8日号)とのインタビューの中で、「プーチン氏は生来、自己愛が強い人間だ」と述べる一方、「ロシア国民は強い指導者を願い、その独裁的な指導の下で生きることを願っている。ロシア人は自身で人生を選択しなければならない自由を最も恐れている」という(「『自由』はロシア国民を不安にさせる」2023年7月15日参考)。

プーチン大統領は自由を享受する欧米社会を退廃した文化と軽蔑し、(自由を恐れる)国民を強権で統治し、ロシア民族の優位性を豪語してきた。それに対し、ナワリヌイ氏は国民の覚醒を願い、3月の大統領選では「プーチンのいないロシア」を呼びかけた。しかし、ナワリヌイ氏は、ロシア人の、ロシア人による、ロシア人のための民主化された祖国を目撃することなく、極北の刑務所で47歳の若さで亡くなった。

なお、ナワリヌイ氏はアカデミー長編ドキュメンタリー賞(2023年3月)を受賞した映画「ナワリヌイ」の中で、もし自分が亡くなったらロシア国民に何をメッセージに残したいかという質問に対し、「悪なる者が勝利するのは、(それを阻止するために)他の者たちが何もしなかった時だ。だから、諦めてはならない。強く雄々しくあってほしい」と述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年2月日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。